「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
      (1998年 7月12日午前 0時30分放送)


 今週も色々なことがありましたが、特に次の三つの出来事について、新聞を素材に考え てみたいと思います。


1.「ロス銃撃事件」、検察が最高裁へ上告

まず最初に、いわゆる「ロス銃撃事件」で検察側が上告したこと。7 月1 日東京高裁は、いわゆる「ロス銃撃事件」について三浦被告に無罪の判決を言い渡しましたが、東京高等検察庁は10日、最高裁への上告を手続きをとりました。『読売』10日付夕刊などは「上告へ」という形で伝え、各紙11日付朝刊で一斉に上告の事実を報道しました。『読売』や『東京新聞』の一面トップに対して、『朝日』だけは社会面肩4段で、比較的地味な扱いでした。東京高裁の無罪判決については先週の出来事なので、ここでは詳しく触れることは控えますが、そもそも最高裁に上告するときの上告理由にあたるのは、憲法違反や従来の最高裁判例に反する場合です(刑訴法405 条)。ただ、「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」場合には、最高裁は原判決を破棄できるので(411 条)、検察はそこにかけたといえます。ただ、実行犯とされた元貿易商については検察は今回上告せず無罪が確定しており、三浦氏を実行正犯とする形で主張を展開するのかという点を含め、上告審で検察側がかなりむずかしい対応を迫られそうです。地裁判決が三浦氏と共謀した「氏名不詳の者」というのを唐突に登場させ、状況証拠をモザイク状に積み重ねて有罪判断に持ち込んだわけですが、二審の東京高裁は、そうした手法に厳しい批判の眼を向け、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則にきわめて忠実な判決を出しました。どんなに疑わしい人でも、疑わしいだけでは有罪にはできないのは刑事司法の鉄則です。先週の各紙社説もこの点を評価するものが目立ちました。また、この事件がマスコミの過熱する犯罪報道の問題性を鮮やかに示してきた事件でもあったため、地方紙の社説のなかには、たとえば『北海道新聞』2 日付や広島の『中国新聞』3 日付のように、三浦氏について通信社からの配信記事を無批判に掲載した点を反省するものも見られました。何が社会の関心をよぶ事件なのかというとき、結果としてマスコミがそうした事件を作ってしまうということもあります。そこにマスコミの怖さもある。近年では松本サリン事件で一会社員を犯人視した報道があります。先週から今週にかけてのロス銃撃事件での各紙の報道を全体として見てみて感じたことは、犯罪報道の問題性への自覚と反省がまだまだ十分ではないということです。その点で、今回の検察上告についての『朝日』の抑制的な伝え方が印象的でした。


2.法制審議会、少年法改正を諮問

次は少年法改正についてです。7 月9 日、法務大臣は、少年法の改正を法制審議会に諮問しました。法制審議会というのは、法務省の付属機関で、その意見は若干の例外を除きほとんどそのまま法律案になるなど、民法や刑法などの司法法制の立案について実質的な役割を果たしています。少年法の改正問題が論議されるのは21年ぶりといわれ、各紙は例外なく一面トップの扱いでした。中学生の凶悪事件が続発するなかで一部に強く主張されている刑罰適用年齢の引下げ問題は今回の諮問には含まれていませんが、少年審判に検察官を関与させる点や、少年の身柄を拘束する観護措置期間を現行4週間からさらに延長する点、事実認定や法令の適用について検察官の高等裁判所への抗告権を与えるなど、重大な内容が含まれています。日本弁護士連合会は今春、重大犯罪など一定の事件に限って検察官の立会いを認める案を出していますが、今回の諮問の方向は検察官の審判立会いを一般化するもので、日弁連側の反発は不可避です。また、検察官の抗告権については、日弁連は強く反対しています。各紙社説のトーンは分かれました。『読売』は諮問の内容を「妥当な選択」と評価し、『毎日』は「被害者への配慮」を理由に、諮問の方向を支持しました。これに対して、『東京新聞』は「少年法改正は保護の理念で」というタイトルのもとに、「非行を犯した少年の立ち直りを助ける最善の道を探る」という少年審判の目的をより確実にするには何が必要か、との観点で進めるべきだと指摘しています。『東京新聞』社説は、厳罰主義・必罰主義は少年審判とは無縁であり、検察官に訴訟当事者の一人のような権限を与えるべきではないことを強調しています。『朝日』は日弁連の案をスクープしたときに基本態度を示していたため、今回は社説を出しませんでしたが、『東京新聞』とほぼ同方向です。ところで、少年法の問題だけではありませんが、『毎日』社説のタイトルに見られるように、「被害者への配慮」が強く押し出されています。ただ、「被害者への配慮」を大上段に振りかぶると、ときに大切な問題が忘れられることがあるので注意が必要です。昔から犯罪の被害者は無数に存在します。かけがえないの身内を失った家族の悲しみは当然です。しかし、「被害者への配慮」を理由にして、刑事手続や少年法の手続の根幹を安易にいじることには慎重であるべきです。その点で大切なのは、被害者への配慮の中身です。少年審判の非公開規定は少年保護の観点から作られていますが、これが被害者側からは、少年審判では何が、どこでどう決まったかを知ることができないという大変評判が悪いものになっていることは確かです。『朝日』10日付は、社会面縦4段見出しで「知りたい」と大きく打って、遺族・被害者側が情報の提供を求めていることや、犯罪の被害者への援助のシステムである犯罪被害者等給付金制度が十分でないことなどを具体的に紹介しています。「被害者への配慮」という場合、こうした中身に即した議論が必要です。「被害者への配慮」という物言いが一人歩きして、少年法の保護主義の精神を空洞化させ、厳罰化をめざすことだけは避けるべきだと思います。この点、『東京新聞』10日付社説は、加害者への最終処遇や審判期日・内容さえ知らされない被害者の現状の改善は必要だが、「被害者の立場を強調するあまり審判が応報感情に左右される事態を招かないよう、警戒を怠ってはならない」と書いています。適切な指摘だと思います。さらに、今回とくに各紙が問題視しているのは、「11月をめどに」という期限付き諮問である点です。法務省は少年法改正への「社会的な強い要請」を理由に結論を急ぐべきだとしており、『読売』10日付は「法制審議会は・・・異例のスピード審議を迫られる」と書きました。『朝日』は「なぜ11月なのか」という委員の一人の疑問を紹介し、「期限付き諮問」に対して「検察官関与の問題がおざなりに議論されるのではないか」「この程度の期間では、互いに歩み寄ろうとしても、議論を深めることすらできない」という弁護士委員の批判を紹介しています。少年法改正だけではありませんが、このところ、残虐な事件が続発し、犯罪の低年齢化が進むなど、社会が殺伐としてきていますので、社会防衛とか安全といった論理が突出して、手っとり早く犯人を捕まえて厳罰に処せというせっかちな議論があちこちで叫ばれています。これに対して、憲法の刑事手続原則に忠実に、被疑者・被告人、あるいは少年の人権を言うことは大変評判が悪いという雰囲気が生まれています。そうしたなかで、人権や平和の大切さを強調することは大変な勇気がいります。私のところにも、電子メールなどで脅迫めいた匿名の文章が送られてきます。そうした文章の底には、「眼には眼を」、「力には力を」といった短絡的な発想が共通して流れていることです。どんな凶悪犯罪や犯罪者に対しても、理性的に向かいあうことが大切です。それを社会が失って、「あんなやつ死刑」とか厳罰をと絶叫するような社会は、まっとうな社会ではないと思います。少年法問題でも、理性的な対応が求められていると思います。


3.「今世紀最後」の参議院選挙

先々週までは、各紙ともに、参議院とは何か、世界各国における二院制度の意義などを特集していました。しかし、選挙が始まると例によって選挙報道一色で、報道自体には目立った特色はありませんでした。『毎日』が7 日付、『朝日』、『読売』が8 日付でそれぞれの調査に基づき参院選の情勢分析を出していました。これもいつも通りのものですが、今回の特徴は投票率に関するものです。投票率は前回の95年参院選が44.5%と史上最低を記録したため、今回は特に投票率に関心が集まりました。『朝日』は投票率が上がると予測していますし、各紙ともに参院選にしては関心の高さを指摘しています。今回の選挙では、不在者投票の手続が簡素化されたり、投票時間の2 時間延長がなされました。『信濃毎日新聞』5 日付は、2 時間延長で投票立会いの仕事が13時間の激務となり、高齢者が立会い人を断るケースが相次いでいると報じています。制度をいじった問題については、選挙後に総括が必要です。現に不在者投票は増えていますし、時間延長は投票率を増やすでしょう。しかし、国民を投票所に自覚的に向かわせるような明確な政策上の対立軸が十分に明らかになったかといえば、必ずしもそうとは言えません。これは政党側の責任と同時に、選挙報道よりは選挙区報道あるいは選挙運動報道と走るマスコミ側の責任もあるように思います。『朝日』と『読売』は11日付一面に編集局幹部の論説を掲げ、それぞれ「『新世紀への選挙』に行こう」、「危機打開への選択の重み」と参院選の意義を説いています。このうち、『朝日』論説は、今回の参院選のなかでなされた名言として、亀井静香前建設大臣の「利益誘導をやるのが政治家の第一の義務であり責任だ」という発言を挙げています。不況と失業、倒産などの不安のなか、建前よりも本音を押し出した方が受ける、という計算をそこに読み取っています。「狭い目先の利益にばかり捕らわれて、どんな社会を後世に残すのかという、目に見えない大きな利益を見失ってきた結果が、この国の現実ではないのか。そこに有権者の責任があったことも、また自覚しないといけない」と書き、今回の選挙で選ばれる議員の任期が西暦2004年であり、「新世紀への選挙」であると指摘して、「だから、投票所へ行こう。将来の日本に目を向けて、大きな利益、本当の利益を考えながら」と述べています。今回の参院選は今世紀最後の世紀末選挙であると同時に、新しい世紀への選挙であることは確かです。このコーナーは過去の新聞が対象で、「明日の新聞を読んで」という予測めいたことは語れませんが、21世紀の日本と世界の未来を展望して、国民の意思を国政につなげる大切なこの機会を有効に使いたいものです。


    「新聞を読んで」( 1998年 7月12日午前 0時30分放送 NHKラジオ第一放送)