「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
(2000年10月22日午前5時35分

1.参議院の惨状…「死に至る病」

 「食欲の秋」「芸術の秋」と言いますが、人間の歴史も秋に動くことが多いのです。

 いまから11年前の晩秋、「ベルリンの壁」崩壊に始まる、東ヨーロッパの巨大な転換を 私たちは目撃しました。この10月初旬、最後の砦と言われたユーゴスラヴィアで大きな政治変動がありました。そして、20世紀最後の秋、朝鮮半島を中心に、アメリカも絡んで、 アジアの枠組みを大きく変える出来事が起こりそうな気配です。そんな時、この国は、外交的に大きく取り残されているだけでなく、この一週間、国内的にも世界から「民主主義 の発展途上国」と笑いものになる事態が続いています。参議院の選挙制度改変をめぐる国会の混乱です。しかも、それが「良識の府」と言われていた参議院で起きたことは実に象 徴的です。

 私の専門は憲法学なので、詳しく話し出すと最低でも37分はかかるので、簡単に説明し ますと、参議院は都道府県ごとの選挙区から選ばれる議員と、比例区から選ばれる議員とから成ります。比例区は政党名で投票し、その政党の得票に応じて、政党が決めた名簿の 順番に候補者が選ばれていきます。これを「拘束名簿式比例代表制」と言います。これだと有権者は、比例区で「この人を当選させたい」という選択ができません。今回、個人名 でも投票できるようにして、得票の多い候補者の順に当選を決めていく「非拘束名簿式比例代表制」に変えようというのが与党の法案です。ところが、個人の得票をその政党の他 の候補者の当選に反映させる仕掛けを作ったため、「票の横流し」という批判が野党から出てくるわけです。『東京新聞』20日付「解説」の言葉を借りれば、「有名人の票の横流 しで、巨人軍監督が立候補したら1人で3人分ぐらいの得票をしてしまう」制度です。しかも、全国を対象にした選挙運動になるので、費用もかさみ、銭がかかる「銭酷区」ある いは、候補者がかけまわって過労死する「残酷区」と言われていたかつての「全国区」の復活になると『東京新聞』解説は書いています。

 どんな選挙制度にも色々な問題点があり、完璧なものはありません。しかし、選挙制度 は国民代表を選ぶ仕組みですから、じっくり時間をかけて行うべきもので、来年の選挙に勝てるために制度変更を急ぐなどということは、民主主義の根幹を揺るがすものです。『 産経新聞』20日付社説は、「選挙制度の重要な変更がこうした異常なかたちで進められるというのは、憂慮すべき事態という以外にない」と厳しく批判しました。『朝日』同日付 も、参議院に「死に至る病」が進行しているとの見出しをつけ、参院議員を選出する自らの土俵づくりの法案をわずかな審議で通したことを批判し、社説では、《ゲームの途中で 、一方のプレーヤーが突然ルールの変更を決める。いまは自分が優勢だが、この先、劣勢に追い込まれそうだから、ルールを自分に有利なように変える。こんなことをすれば、子 どもの遊びの世界でも、卑怯だぞと抗議が殺到するだろう》と皮肉っています。『毎日』は「猪突猛進、危険な前例」と書き、「選挙制度改革をこんなふうにポンポンやるなら、 政権交代のたびに選挙制度が変わる。最低でも120 時間ぐらいは審議してほしかった」という与党議員の戸惑いの声を紹介しています。そして、主な選挙制度改革について、審議 から成立までの時間を一覧表にし、参院に比例代表制を導入した82年の時は10カ月が費やしているから、4日で法案を通過させるという「今回のようなスピード審議は例がなかっ た」と指摘しています。データに基づく分かりやすい批判だと思います。

 さて、この国の議会制民主主義にとって、もう一つ重大な問題は、国会の議長の役割が 大きく傷つけられたことです。1976年12月以来、議長は第一党、副議長は野党第一党から出すという国会慣行が成立しました。24年前の自民党の保利衆院議長と社会党の三宅副議 長は名コンビと言われたものです。当時、参議院には河野謙三という立派な議長がいました。河野議長は自民党を離党し、公正な議会運営につとめ評価されました。ところが、今 年6 月の総選挙のあと、衆議院の議長選びで党利党略が先行。四分の一世紀続いた国会慣行が崩されました。そして今回、「議長あっせん」を与党までもが拒否するという事態のなかで、参院議長が辞任しました。『毎日新聞』19日付は「議長の権威、紙同然」と書き、『朝日』同日社説は「これは参〔議〕院の自爆だ」という過激なタイトルをつけたほど です。議長辞任に至るドロドロした経緯は『読売』18日付が詳しく書いていますが、大事なことは、『信濃毎日新聞』19日付社説が指摘するように、「過去、議長あっせん不調で 参院議長が辞任した例はなかった。議長あっせんが持つ意味は、それほど重い」ということです。『信濃毎日』の社説は、議長辞任と引き換えに与党が法案通過をはかる手法を、「議長の権威がこれほど軽んじられたことがあっただろうか」と厳しく指摘しています。同時にこの社説は、議長あっせん案が、非拘束式による当選者を上限を25人までにするい わゆる「混合型」を提案することで、「議長あっせん」の範囲を越え、議会の審議に踏み込む結果となったことに注目。「議長あっせん」の内容も問題にしています。

 一方、野党側にも問題がありました。20日の法案通過のあと、野党4党のうち、民主・共産の2党は直ちに衆院での審議に応じました。重要法案の審議が必要だというのがその理由です。しかし、この点、『読売』20日付は「野党抵抗、腰砕け」と書き、『産経』20 日付社説は「そうした法案の取り扱いと選挙制度の変更とは、おのずと次元の異なるものであるはずだ。正常化最優先のかけ声のもとで、なし崩し的に既成事実化してしまってはならない」と、まさに正論を書いています。『朝日』から『産経』までが珍しく一致して与党の強引な手法を批判する結果になりましたが、ことは議会制民主主義の根幹に関わる 問題です。野党の姿勢もしっかり国民は見ています。15日の長野県知事選挙の結果も、単に有名人だから当選したという認識だとすれば、それは大政党の奢りと言うべきだと思い ます。地方の変化は確実に永田町1丁目1の7の国会にも影響を与えていくでしょう。

2.少年法厳罰化を語る前に

 次のお話は、少年がからむ事件の背後にある問題です。

 16日、愛知県藤岡町で、小学校5 年生が自宅2階のベランダで死亡した事件がありまし た。翌17日の朝刊は一斉にこれを報じましたが、全国紙3紙の東京本社14版を比較すると、『読売新聞』は第二社会面に小さな扱い。見出しは「小五縛りベランダ放置、死なす、 両親逮捕」。『朝日新聞』は第一社会面ベタ扱いで同様の見出し。地元『中日新聞』は社面トップで、詳しい事件報道を行っています。東京ではベタ記事、地元では大事件という典型的な形ですが、全国紙では『毎日新聞』東京本社版だけが、第一社会面トップで大きく扱いました。しかも、「行為障害に思い余り? テント生活強いる」と縦四段見出しで打ち、他紙とはかなりり違ったトーンを打ち出していました。

 『毎日』を読むと、この9 月末頃から少年が「殺す」「死ぬ」と言って包丁を持ち出す などしたため、両親は自宅2 階のベランダにテントを張り、そこに少年を生活させ、市の子ども発達センターなどに相談に行ったり、病院にも通院させ、行為障害という診断を受けていたことが分かります。ベランダに縛りつけた14日夕方から16日朝までの間、両親は少年を室内からずっと見守り続け、ほとんど眠っていなかったと言います。そのため、母親が水をかけたあと眠り込んでしまい、異変に気づかなかった可能性を指摘しています。警察は両親を傷害致死容疑で逮捕しています。「ベランダに縛って、放置して死なせる」 という他紙を読んだときには、身勝手な両親という印象を強く受け、逮捕も当然という印象を受けるのですが、『毎日』の第一報を読むとかなり違った印象を与えます。真相はこれから解明されるでしょう。ただ、第一報というのは、一つの事件について同じ時間的切迫のなかで、ギリギリのせめぎあいになり、時間を限った試験の答案のような側面があり ます。事件発生の翌日の朝刊各紙最終14版を比較した限りでは、この事件の奥行きと広がりを読み取った『毎日』の報道が光っていたと思います。『中日新聞』は詳しい事件報道 のわりに、『毎日』が注目したテント生活については4行触れただけでした。『毎日』の記者及び当番デスクの問題意識が評価されます。

 一方、この17日、野党が欠席のなか、衆院法務委員会で、少年事件の被害者が証言しま した。厳罰化の方向で少年法の改正を促進する意見が述べられ、『東京新聞』18日付は2頁を割いて「被害者の声」を大きく紹介しました。しかし、被害者といっても一律ではあ りません。「被害者たる個人」がいる以上当然でしょう。でも、新聞では、厳罰化を求める被害者は大きく扱われ、そうでない被害者の声が聞こえてきません。

 辛うじて『朝日』19日付が、西鉄バスジャック事件で重傷を負った山口由美子さんの声 を伝えています。山口さんは、18日、衆院議員会館で行われた日弁連の学習会で発言し、「厳罰化で少年犯罪をなくせるかどうかは疑問。短絡的な法改正ではなく、彼らを追い込んだ背景に、大人たちがもっと目を向けることが重要ではないか」と述べました。『朝日新聞』西部本社版17日付によると、山口さんは17歳の娘さんが不登校になり、佐賀市内の 不登校の親の会で活動していたこともあり、少年に切られたとき、もうろうとする意識のなかで「彼の心はここまで傷ついていたのか」と感じたそうです。一緒に福岡に向かった 友人の塚本さんを殺され、「少年を憎んだこともあったが、いま少年に会えるなら、『つらかったね』と声をかけたい気持ちだ」そうです。

 たまたま私の高校時代の友人が当日、山口さんの話を聞き、食事をご一緒したのですが 、その友人によると、山口さんは、手や頸部、顔を深く切られながら、「少年を殺人者にするわけにはいかないと、手首の傷口を心臓より高くあげて、下腹に力を入れて意識がな くならないように気張った」といい、その下りでは、議員会館の会場からはすすり泣きの声が聞こえたそうです。私にも17歳の娘がいます。父親として悩むことの多い毎日ですが 、自分の子どもが加害者にも被害者にもなりうるわけです。少年法を厳罰化の方向に改める動きが加速するなか、真の被害者の保護とはどうあるべきを含め、もっと冷静な議論が 必要だと思います。