「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
(2000年12月24日午前5時30分

今年もいよいよあと1週間になりました。来週は大晦日のため、今回は今年最後の、あるいは今世紀最後の「新聞を読んで」になります。

1.無罪から無期へ…ネパール人被告

今週22日、東京高裁で出された一つの判決が新聞各紙で大きく取り上げられました。97年に渋谷で起きた強盗殺人事件のネパール人被告に対して、東京高裁が一審の無罪判決を取り消し、無期懲役の逆転有罪判決を言い渡したのです。この事件は自白もなく、被告の犯行を裏づける直接証拠もないなかで、状況証拠だけから有罪を認定できるかが焦点となりました。一審の東京地裁はこの4月、被告人を「犯人と認めるには合理的な疑問が残る」として無罪判決を言い渡していました。同一の証拠から正反対の結論が出ることは、刑訴法が、裁判官の自由な証拠判断を尊重している以上、その意味では当然のことです。しかし、事実審である一審の地裁で、詳細かつ慎重な事実認定の上で無罪という結論が選ばれたのですから、控訴審でそれを覆すのにはそれなりの根拠が必要です。しかし、一審の無罪判決が指摘した、検察側立証に対する各種の疑問点について、今回新しい証拠は何も提出されませんでした。被告人を有罪とすべき積極的な根拠が乏しいのに、高裁判決は、被告人の主張を否定的に評価することで結論を逆転させました。事実認定を行う事実審たる一審の重さをあまりに軽視しているとの『読売新聞』の識者コメント〔村井敏邦〕がポイントを突いていると思います。

「疑わしきは被告人の利益」は、刑事裁判の鉄則です。言葉が不自由な外国人被告の場合、直接証拠なしに、その主張の曖昧さ・矛盾を強引に突いて、状況証拠だけから有罪を導く手法はかなり危ないと言えます。東京本社版の新聞各紙の取り上げ方は、『毎日』『読売』『産経』『東京新聞』が22日付夕刊1面トップと社面トップで大きく取り上げ、いずれも被告人が判決の際に叫んだ「神様、やってない」とか「神様、助けて」といった言葉を横大見出しに使うなど、かなり派手な扱いでした。これと対照的に『朝日新聞』は、1面ハラに比較的小さな見出し、社会面マンガ横4段の解説付き記事を載せ、地味な扱いでした。しかも『朝日』は、一審無罪判決のあと、被告人が出入国管理法に基づき国外退去になるおそれがあるということで、高裁が職権で勾留した点にこだわり、縦4段見出しも「無罪勾留問題置き去り」と他紙と対照的でした。無罪判決がなされた以上、釈放が原則。それを職権で勾留した東京高裁の姿勢が、今回、判決の中身にも反映しているとの読みだと思います。翌23日付の各紙コラムでは、『朝日』の「天声人語」だけがこの事件を取り上げ、フランス人だったら同様に勾留したか疑問だ、司法の国際化を進めるなら、人権保障の面から国際化しなければならないとの作家の声を紹介。判決の後味の悪さを指摘しています。

この事件ではまた、被害女性が有名企業の「エリート社員」ということで、被害者のプライバシーをあばく、かなり煽情的な報道がなされました。事件報道のワイドショー化の典型です。この点に触れたのは、『東京』22日付夕刊の「加熱報道」という項だけでした。今回の判決を報ずる見出しにも温度差が出ました。『朝日』の「女性会社員殺人事件」が一番ニュートラルで、『毎日』『東京』の「東電女性社員殺人事件」がこれに続き、『読売』の「東電OL殺人事件」という表記は、ワイドショーのトーンと重なります。報道被害者は事件発生時だけでなく、事件のそれぞれの節目で傷つくわけで、この点では、『朝日』の抑制された事件表記が評価されます。

 

2.教育基本法「見直し」提言

22日、首相の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が最終報告を提出しました。教育基本法の「見直し」や学校教育での「奉仕活動」の実施など「17の提案」をしています。各紙とも23日付1面トップで大きく報道しました。『朝日』『読売』の見出しは「教育基本法の見直し」で同じですが、『朝日』は社説で「解決に役立つのだろうか」と疑問を投げかけ、『読売』は社説と2面解説で「教育改革の潮流転換」と報告を高く持ち上げています。教育関係者に読者が多い『毎日』は、「平等主義見直し提言」と少し踏み込んだ見出し。『東京』や『信濃毎日新聞』が「復古調改正には歯止め」との1面横見出し。『東京』総合面は、「『神の国』首相に“教育的指導”」の横大見出しと、「国家至上主義を警戒」の4段見出しで批判的トーンを出したのが目を引きました。

臨教審路線で示された弾力化や競争原理の導入などの流れをさらに押し進め、不適格な教員の免職や、問題を起こす子どもへの出席停止などの措置、「学校は道徳を教えることをためらわない」こと、小・中・高すべてで「奉仕活動」を行うことなどを明記しました。『産経』23日付社説は、「奉仕を有意義に生かそう」と今回の報告を最も積極的に後押し。18歳以上の「奉仕活動」について、「義務化」の文言が削除されたことを「少し後退」とする一方、「小・中学校で二週間、高校で一カ月間の奉仕活動を全員が行う」という部分を、『東京新聞』が各学校の判断に委ねたとするのに対して、『産経』は、「事実上の義務化」と読み込みました。

これと関連して『産経』23日付のみは、奉仕義務が「憲法に抵触する恐れがある」との 内閣法制局見解の存在を詳しく紹介しました。9月の「中間報告」が、「満18歳の国民すべてに1年間程度義務づける」としたのに対して、内閣法制局は「奴隷的拘束及び苦役からの自由」を定める憲法18条に違反する恐れがあるとの見解を国民会議側に示したそうです。そこで今回、ややトーンダウンした表現になったというわけです。憲法18条は、これまで政府が徴兵制を憲法違反する根拠として引き合いに出してきました。こういう指摘が出てくること自体、報告の根本的な発想には疑問があります。学校や地域社会などでのボランティア活動は、国家に上から「ああせい、こうせい」と言われてやるものではなく、子どもたちも、若者も自主的に行うところにその価値があると思います。

報告はまた、「新しい時代」にふさわしく、教育基本法を見直せと書いていますが、いまなぜ教育基本法の見直しが必要なのか。この報告からは説得力ある解答は得られません。むしろ、ことさらに「日本人」の育成や過度な伝統・文化・国家を強調するなど、教育の現場をあえてぎくしゃくさせるおそれはないか。教育基本法10条が、教育は「不当な支配」に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものと定めた意味は、教育が実にデリケートなものであり、対症療法的にカンフル剤をあれこれ打っていじるべきではないということです。およそ教育の現場の声が反映したとは思えない、せいも曖昧な私的諮問機関が特定の方向を押し出すことは、「不当な支配」に限りなく近づく機能をはたすおそれがあるのではないか。報告は末尾で、「国家至上主義的考え方や全体主義的なものになってはならない」と明記したのは、議論の進む方向がそうした傾向とまったく無縁ではないことを暗に認めたようなものだと思います。

 

3.死刑廃止の世紀へ…20世紀の総括記事はじまる  

ところで、『読売』20日付国際面は、国際人権団体アムネスティ・インターナショナル が、死刑廃止署名320 万人分を国連のアナン事務総長に提出した際、アナン氏が「国が殺人者と同じことをして社会を守る義務を遂行できるだろうか」と述べ、死刑廃止への支持を表明したと伝えました。アムネスティによると、1970年に死刑廃止国は30カ国にすぎなかったのが、現在、110カ国以上にのぼるそうです。その一方、次期大統領の就任するブッシュ氏はテキサス州知事として、150件の死刑執行に関与。今年だけでその数が40人にのぼることを指摘しています。死刑制度は20世紀に置いていくべきもの、21世紀にはなくなるべきものの筆頭に挙げられます。

新聞各紙はすでに2000年の総括と同時に、20世紀総括モードに入っています。『読売』22日付は各紙にさきがけ、読者が選んだ2000年国内10大ニュースを発表しました。トップ は「シドニーオリンピックで女性大活躍」です。20世紀を総括する連載記事では、『毎日』22日付から始まった「政界20世紀辞典…最終年の言葉から」という連載が目を引きました。今年の政界を特徴づける言葉を通じて 今世紀を考える企画です。連載第1 回は「神の国」、第2 回は「保守本流」です。第1回 では、「日本の国」と「天皇」と「神」の関係が政治の表舞台で正面から問われたのは、 19世紀の明治憲法制定期と20世紀半ばの日本国憲法制定期の2回あったが、森首相は日本 の近現代史上3 度目の「国家の基軸」論争に火をつけそこね、代わりに「首相の資質」批 判の点火スイッチをひねり、全身火だるまになったが、驚異的な体力で重症に陥るのを免れた、と総括しています。記者の問題意識がよく見える、興味深い指摘を含みます。

各紙とも明日以降、20世紀を総括するような特集記事や連載が続くことになります。新聞という、その時々の出来事を即座に伝える手段が、歴史にこだわった視点を打ち出して 、色々な出来事を位置づけたり、展望したりするまたとない機会です。これらの記事を素材に、家庭でも、私たちが生きていた時代を、少し距離をおいて、歴史的に考えてみるよ い機会になると思います。新聞各紙にも、読みごたえのある特集や連載を期待したいと思います。それでは皆さん、21世紀にまたお会いしましょう。