「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
      (2002年11月24日午後4時収録、25日午前5時35分放送)

 

1.拉致被害者帰国から1 月--- 拉致問題への視点

先月のちょうど今ごろ、韓国のソウル大学で、北東アジアの安全保障問題をめぐるシンポジウムに参加していました。日朝問題を、北東アジアの平和と安定というより大きな視点から複眼的に考えるよい機会になりました。日朝国交回復交渉もまた、アジアの平和にとって重要な意味をもっています。しかし、日本のマスコミ報道の大半は、拉致問題にさかれています。特にこの1 週間は、5 人が帰国して1 カ月経過したこともあって、地方紙を含め、各紙17日付を中心に「帰国1 カ月」に関する社説を掲げ、検証記事の連載、報道のやり方の反省などの記事が目立ちました。
そのなかで、『毎日新聞』連載「空白の四半世紀」(東京社会部)。特に、22日付の連載第7 回(最終回)は「もっと報じてくれていたら」という見出しで、「マスコミが被害者の苦悩を見過ごしていた」と、記者自身の反省を込めた記事になっています。当時の取材記者の実名と現在の部署・肩書を明記している点が目をひきます。25年という月日はとてつもない長さです。当時駆け出しの社会部記者も、いまは部長やデスクなど責任ある部署について、「日朝関係がゆがんだまま放置された責任はわれわれ記者にもある」と一様に語っています。新聞記者自身の顔の見える検証の仕方が注目されます。
 引き裂かれていた家族が再会してからのこの1 カ月、新聞もテレビも5 人の家庭に入り込み、家族の語らいも団欒もすべて公開状態になっています。そこまで聞くか、という類の無配慮な質問や、そこまで撮るか、という類のプライベートな写真や映像を見せられながら、一般読者・視聴者が、5 人の問題に過度に密着した視野になっていることは否めません。本人たちにとって、いま何が一番必要かという点からすれば、北朝鮮に残してきた家族のことと、将来への不安だと思います。そして、「死亡」とされた残りの人々の安否でしょう。
 『沖縄タイムス』社説(16日付)は「帰国一カ月、求められる冷静の対応」、『朝日新聞』19日付社説は「日本人拉致、世界の共感を得るために」というタイトルで、感情的対応とは距離をとった視点を提示しています。『朝日』社説は、北朝鮮に対して全容の開示と現状回復を一層強く迫ると同時に、「もう一つ、迂遠であるが大事なことがある」として、北朝鮮の犯罪と非人道性を世界に訴え、その転換を求める国際世論作りの必要性を指摘しています。日本政府は、拉致被害者家族会からの依頼を受けて、ジュネーヴにある国連人権委員会の「強制的失踪に関する作業部会」に「死亡」とされる8 人の再審査を申し立てました。社説は、委員会が強制力を伴う捜査権限もなく、また北朝鮮の異様な国家体質からすれば楽観するわけにはいかないが、それでも、日本人拉致問題を国際舞台に持ち出した意義は大きいと書いています。「北朝鮮に責任ある行動をとらせるよう、国際的な風圧を高めるための足がかりにはなる」と。しかし、他方で、この問題で悲しみ、怒る日本の世論に対して、海外から必ずしも十分な共感が寄せられていない、とも書いています。その背景には、日頃、国際的な人権問題に敏感とはいえない日本へのさめた視線がある。「拉致問題への共感を広げるには、いま世界で起きている人権侵害の痛みにも、日本自身の植民地政策や過去の人権侵害にも思いを致す心の広さと冷静さが欠かせない。そうすることが、北朝鮮に対する日本の足場を強めることにもなるはずだ」と社説は結んでいます。重要な視点だと思います。
 拉致は、ささやかな市民の生活を巨大な国家権力が、ある日突然暴力的に奪う行為です。テロや暗殺と違い、その人間の「生命」ではなく、「時間」と「希望」を奪うわけで、あてもなく待ちつづける家族にとっては、癒しのない過酷な時間を強制する、罪深い行為といえるでしょう。今週になって、各紙とも、日本の拉致被害者は70人〜80人という数字を報道しはじめました。他方、北朝鮮が韓国から拉致した人々は、まだ486 人北朝鮮にいるとされています。かつてアルゼンチン軍事政権やチリのピノチェット政権下でも「ある日、突然行方不明」という失踪事件が日常化していました。世界の少なくない国では今も、国内の反対派などの拉致・抹殺という手法がとられています。外国から拉致してくる手法は、冷戦時代はいずれの側も行っていました。現在の金大中大統領自身、約30年前、白昼堂々と東京のホテルから拉致されました。実行者は当時の韓国の秘密機関でした。国際刑事裁判所設立条約(いわゆるローマ条約)が、強制的失踪を禁止するのも、こうした無数の拉致の事実と経験が背景にあります。そこには、戦前の日本が国家的規模で行った朝鮮人の強制連行も含まれています。そうした歴史認識を踏まえつつ、国際的な世論をバックに、北朝鮮による拉致・強制的失踪問題を解決していく必要があるでしょう。その点、拉致問題解決のために、日本が早期に国際刑事裁判所設立条約を批准することを求めた、『朝日』22日付「私の視点」の中野徹三札幌学院大名誉教授の指摘に共感を覚えます。
 なお、19日付各紙によれば、政府は、拉致被害者の生活支援のため、一時金支給や年金受給の特例措置などを含む新しい法律を制定する方向を検討中といいます。『毎日新聞』21日特集記事は、この拉致被害者支援新法の問題をとりあげ、政府部内の方針の揺れを分析しています。政府首脳は「はじめに新法ありき」の姿勢には慎重で、厚生労働省でも現行法の運用で対処可能という態度だったようですが、安倍官房副長官を中心とする人々は世論をバックに新法を強力にリード。『毎日』は、「法案全体を貫いているのは『5 人を北朝鮮に戻すことはない』という国家意思だ。……現在の外交方針を政治的にしばる狙いが、法案にはある」と指摘します。この法案を各政党の拉致問題への「踏み絵」にして、議員立法で一気に成立をはかろうとするシナリオが安倍氏らにあるといいます。
 ところで、この「『5 人戻さず』は国家意思だ」という言い方には注意が必要でしょう。『東京新聞』21日付文化欄でジャーナリストの日垣隆氏が、新潟県柏崎市で9 年2 カ月におよぶ少女拉致監禁事件の例をあげ、被害者が両親のもとに戻るのを「本人の意思を確認してから」と警察が言ったらどう思うか、まして被害者を犯人宅に戻せという主張は、言語道断だ、と書いています(共同通信文化部配信記事。『北海道新聞』18日付夕刊にも掲載)。こういう例えはものすごく分かりやすいのですが、ことは他国の国家機関によって個人が犠牲になった事件で、しかも長期にわたって当事者がその国で家族を形成して生活を営んでいた事実も無視できません。北朝鮮の国家機関による犯罪行為を明らかにしながら、当事者にとって最もよい解決法をさぐるための工夫と努力が求められています。通常の犯罪事件との対比だけで、強行な主張を展開するのは安易だと思います。
 新法のもう一つの問題は、給付内容のアンバランス。「中国残留邦人(孤児)支援法」では永住に際して一回限りの16万円が支給されるだけなのに対して、今回は月額24万円5
年間支給という方針です。残留孤児は国家による拉致ではなく、国家的放置(置き去り)の犠牲と言えます。拉致被害者の金額が多いから不平等だという議論をするのではなく、中国残留孤児に対して、政府の施策があまりに貧困であるという点を問題にすべきでしょう。今回の拉致被害者生活支援新法を考える際に、そうした視点も必要だと思います。
 なお、『朝日新聞』21日付は、中国残留孤児が、「中国に置き去りにされ、日本帰国後も十分な支援がなく、苦しい生活を強いられている」として、国を相手にした国家賠償請求訴訟を準備しているのに対して、横浜市の区役所の担当職員に、裁判を考え直したらと言われたため、孤児のなかには「裁判をすれば、生活保護を打ち切られるのではないか」と思う人が出てきたと書いています。戦争の犠牲者、戦後補償で取り残された人々など、「歴史の宿題」として、個人が苦しい状況にあるとき、自由と平等のほかに、博愛、いまふうに言えば、連帯という視点からの施策が求められています。拉致問題の真の解決のためにも、『朝日』社説のいう「心の広さと冷静さ」が求められいると思います。

 

2.韓国女子中学生死亡事件、米兵に無罪判決

 先月、韓国訪問のおり、在韓米軍基地周辺住民への聞き取り調査にも参加しました。今年6 月13日に米軍装甲車に2 人の女子中学生がひかれて死亡した事件の追悼の集いも見ました。数十トンの車体で押しつぶされた中学生の悲惨な遺体のカラー写真も展示されていました。今週11月20日、在韓米軍軍事法廷が、この事件で過失致死罪で起訴された米兵に対して無罪判決を言い渡しました。『東京新聞』21日付は写真入りで伝えました。全国紙では、『朝日新聞』21日付外報面に小さく掲載しただけ。『読売』『毎日』にはベタ記事も載りませんでした。『朝日』が22日、23日にも小さいながら続報を載せ続けたのは、記事を書いたソウル特派員が沖縄支局勤務の経験があったことも大きいでしょう。
 この問題に沖縄は敏感に反応しました。『沖縄タイムス』22日付は「不平等な(地位)協定は改正を」と「社説」まで出しました。「軍事法廷で米兵に無罪判決」というのは、沖縄が米軍統治下にあった時代の判決のように聞こえると書いています。韓国で、先月、地位協定問題を担当する弁護士や市民運動の人々に話を聞きました。在韓米軍地位協定は、NATO軍地位協定や日米地位協定と比べて不平等な点が甚だしく、地位協定改定を求める声はかつてなく高まっているといいます。2000年の改定で、事件・事故の裁判管轄権は米側にあるが、韓国側が裁判権委譲を要請したときは、米側は好意的配慮を払うことにされました。しかし、この事件では、韓国側の要請にもかかわらず、米側は第一次裁判権の委譲を拒否しました。
 日本でも、米兵が起訴後でないと日本側が身柄引き渡しをできない点など、不平等な点をたくさん残しています。沖縄県は11項目の改定ポイントを挙げて、政府に要求しています。政府は改定交渉をせず、協定の運用で処理するとの方針で、アメリカとの交渉に積極的ではありません。先月21日に豊見城市議会が「日米地位協定改正要請決議」をあげ、これで沖縄県内52市町村すべてで、地位協定改定決議が行われました。地位協定問題については、東京でも本土でも市民の意識は希薄です。米軍基地の75%をかかえる沖縄の問題意識は、本土よりもむしろ韓国と響き合うものがあります。