「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
      (2003年3月1日午後4時収録、2日午前5時35分放送)

 

1.「フセインを取るのか、我々か」 イラク問題の「瀬戸際」

 いま、世界は大きな岐路に立っています。中東と北東アジアの2つの国をめぐって、米国が武力行使を「いつ」を行うか。新聞各紙は連日のように報道しています。イラクと北朝鮮の問題です。今回は、米国の対イラク戦争をめぐる新聞報道にしぼってお話します。 3月1日付『朝日新聞』は、2月27日に行われた国連安保理で、米国が、「フセインを取るのか、我々か」という二者択一を各国に迫ったと伝えています。そういえば、あの「9.11テロ」のときも、ブッシュ大統領は「テロリストにつくか、我々か」という二者択一を世界に迫り、アフガニスタン攻撃を始めました。あれからまだ1年半もたっていません。複雑な国際関係において、シンプルな白黒・善悪二分論で迫られると、人は理性を失いがちです。誰もテロリストに賛成ではない。誰もフセイン大統領を支持しない。でも、対イラク戦争に賛成しなければ、フセインの味方と見られる。こういう構図は、いまの世界の状況の不自然さを象徴的に示すものです。「誰々につくのか、それとも我々か」という二者択一手法の応用例が増えていけば、国際関係は硬直化していくでしょう。
武力行使を「するか、しないか」ではなく、「いつ」「どこに」「どのように」行うかをめぐる観測記事も目立ってきました。例えば『朝日新聞』25日付は、軍事に詳しい田岡俊次記者を登場させ、「短期で終結、可能か」、特殊部隊を主体として、基地を設けて「カエル跳び」でバグダッドを目指す、向上したハイテク兵器も「市街戦には無力か」等々、戦争開始後の軍事シナリオを得々と書かせています。
 そういえば、1991年1月17日(日本時間)に始まった湾岸戦争のときも、「必要なあらゆる措置」という文言を含む国連安保理決議678号(90年11月29日)が出されてから開戦までの7週間、この種の作戦予測や観測記事を各紙とも書き連ねました。戦争が始まれば、多くの人々が、新たに、たくさん死ぬわけです。父親ブッシュが始めた湾岸戦争についても、その後さまざまな事実が明らかになりました。例えば、米国下院での「クウェート難民」と称する少女の証言です。「イラク兵が病院の未熟児保育器から赤ちゃんをとりだし、床にたたきつけて殺した」と涙ながらに証言して、米国の、世論は大きく戦争支持に傾きました。でも、この少女は米国大手広告代理店が、ワシントン駐在の駐米クウェート大使の娘に事前リハーサルをさせて議会に参加させていたことが、戦争終結の2年1カ月後に、NHKが明らかにしました(93年4月9日NHK スペシャル「だれが、世界を守るのか」)。 「戦争で真先に死ぬのは真実である」という言葉があるように、戦争が始まる前のメディアについて、読者・視聴者には特別の注意力が求められる所以です。この点で注目されるのは、『朝日』28日付の「メディア」欄です。米国防省が500人の従軍記者受け入れを表明し、日本を含む米国以外のメディアは100人。ただし、作戦中のテレビ生中継は指揮官の許可を要するそうです。同じ「メディア」欄で、湾岸戦争の時、バグダッドから衛星電話で空爆第一報を世界に配信したCNNピーター・アーネット記者のインタビュー記事は興味深いです。戦争は当事者双方から取材することが重要であるのに、彼がフセイン大統領やイラク高官のインタビューを伝えると、父親ブッシュ大統領(当時)が,フセインの宣伝になると批判したことなどを紹介しています。この教訓はいまにも通ずると思います。それに、まだ戦争は始まっていません。メディアは「歴史の検証に耐える報道を」というアーネット記者の言葉は、私なりに読み替えれば、現地からの生の戦争報道だけでなく、「戦争が別の形による政治の継続」の側面をもつとすれば、戦争前のいまの段階で、その戦争に至る政治の問題性、とくにブッシュ政権がなぜ戦争を必要としているのかをもっと明らかにすべきでしょう。戦争が始まると、人々は冷静さを失い、メディアも戦争の刻々の経過に目を奪われてしまうからです。

2.世界に広がる戦争反対の輪−−インターネット上でも

 ここで確認しておきたいのは、国際法上、戦争は違法だということです。戦争は、1928年の「不戦条約」以来、違法とされました。でも、そうした戦争違法化も、第2次大戦を防げませんでした。「不戦条約」が自衛権に基づく自衛戦争は認めていたからです。各国とも相手に対する自衛戦争を主張しました。第2次大戦の悲惨な経験から、国連憲章は加盟国に武力行使を禁止しました(2条4項)。そして2つの例外的な場合のみ、武力行使を制限的に認めました。1つが国連安保理によって国連軍がつくられ、その指揮のもとで行われる武力行使であり、もう1つが武力攻撃が現実に行われた場合に、安保理が適切な措置をとるまでの期間に限って、各国に認められる自衛権の行使です(51条)。でも、この自衛権の行使でさえ、国際法上、非常に厳格に制限されています(この点について、『毎日』28日付「発信箱」でヨーロッパ特派員が書いています)。
今回の対イラク戦争には、国際法上認められるこの2つのケースにあたるでしょうか。イラクはどこの国も攻撃していません。国連憲章は、実際に攻撃が行われた場合に限り自衛権行使を認めていますが、攻撃のおそれや、その可能性だけでは不十分です。いわゆる「先制攻撃」「先制自衛」は国際法上認められないとするのが、学説や実務の圧倒的多数の見解です。この線に沿って、米国と英国などを除いては、安保理決議なしでも単独で攻撃するというブッシュ政権の論理に対しては、各国とも批判的です。この一週間の世界の動きを見ても、武力行使を急ぐ米国などと、査察を強化すべきだという仏独を軸にした世界の多くの国々との違いが浮き彫りになってきました。
 91年の湾岸戦争との大きな違いは、今回は、米国を含むすべての国の内部で、普通の市民が声を挙げ、対イラク戦争への批判が目に見える形で示されていることです。2月15日、世界60カ国、600都市で1000万人以上が参加して、イラク攻撃反対のデモや集会が開かれました。『朝日新聞』23日付は、全米第2 位の都市であるロスアンジェルスの市議会が、「一方的な対イラク戦争反対」の決議をあげたことを伝えています。『毎日新聞』24日付コラム「余録」は、ニューヨーク10万人、ロンドン100万人、ベルリン50万人という数字に対して、アジアでは同じ日、日本で5000人、ソウル1500人、香港1000人、シンガポール6人という数字を挙げ、欧米とアジアの「温度差」を伝えています。
 『中国新聞』28日付によると、日本全国の約3200の地方議会のうち、111の議会が27日までに米国の武力行使を非難し、国連中心の平和的解決を求める意見書や決議を可決しているそうです。国際問題について、地方議会が超党派で戦争反対の決議がここまで広がったのも珍しいことです。『山梨日日新聞』27日付は、山梨北中学校の3年生175人が、川口外務大臣あての手紙を書き、「犠牲になるのは市民です。平和的な解決を」と訴えたそうです。 目に見えるデモ、集会、決議などの方法以外にも、インターネット上での動きが注目されます。『東京新聞』26日付は、「ネットで連帯NO WAR」という見だし、「田舎でも、一人でもできる」ということで、いまネット上で、若い人々を中心に戦争反対の多様な動きが起こっていることを詳しく伝えています。
 『朝日新聞』24付2面のヨーロッパ総局長署名記事「国際政治動かした英の反戦デモ」は、2月15日のロンドン100万人のデモが、NGOや市民運動が1日1000通以上の電子メールで連絡をとりあって達成されたことを綿密な取材のもとで明らかにしています。加えてこの記事は、ヒトラーの台頭やスエズ動乱などの歴史との比較のなかで位置づけている点でもすぐれています。「民意の連鎖」が、市民の自発的な動きがインターネットを活用して、地球規模で起きている。このことが今回の動きの重要な特徴点だと思います。

3.日本政府の対応への疑問

 日本はどうすべきか。地方にもいろいろな反応があります。例えば、群馬の『上毛新聞』25日付は、群馬県太田市で春休みに計画した中学生の米国派遣を中止したと報じています。校長は、「米国が十分安全だという確証が持てない」と理由を語っています。いま、過剰な対応を含めて、戦争前の雰囲気がただよってきました。
 今週、一番詳しい世論調査は『朝日新聞』25日付一面トップです。「イラク攻撃「反対」78%」の5段見出しです。もし米国が武力行使に踏み切った場合、日本は「支持すべき」が37%、「支持すべきでない」52%という数字です。ちなみに、東京新聞24日付によると、英国の世論調査では、「世界の平和に最も脅威となる人物をあげよ」という質問に、ブッシュ大統領45%、フセイン大統領が45%と同数になったと書いています。この調査では、安保理決議がある場合にのみ英国の参戦を支持するのが59%と、1月調査の72%から大きく後退。逆に、30%は、決議があっても英国は参戦すべきでないと答えています。米国の単独行動への参加支持はわずか21%です。この数字は、政府レベルでは米国を支持しているスペインやイタリアの国内世論も同様の傾向です。世論と政府のねじれです。
 そうしたなか、日本政府の態度は曖昧と批判されています。でも、いつになく今回、政府の外向きの顔は鮮明です。各国が迷いに迷っているなかで、国連大使が2月18日に国連安保理で行った演説は、対米支持を鮮明にしました。ところが、『毎日新聞』25日付によると、「国連演説「二枚舌」翻訳」という見出しで、日本国内向けには表現を弱めた翻訳をしていることが国会でも問題になりました。外には、どこまでも米国を支持するというメッセージを発信し、国内向けには、「仮定の問題にはお答えできません。これから様子をみて決めます」という態度です。この点を、『沖縄タイムス』24日付社説は、政府のダブルスタンダード(二重の基準)を批判しています。
 3月1日、日本政府は、外務副大臣を首相特使としてイラクに送り、大量破壊兵器開発を放棄することを促すことにしたそうですが、『読売新聞』1日付は、「最後の説得、内実は国内向け?」と見出しをつけ、日本政府がイラク攻撃に慎重な国内世論対策の色彩が濃厚だと書きました。『毎日新聞』23日付社説は、「大衆がノーといっても、為政者は必ずしもその声に応えない。多数派世論が敗北することもある」と書きました。「国益」という言葉はラフに使うことには慎重であるべきですが、「米追随が国益なのか」という視点で、『毎日』社説は、米国に対して「ノーと言うべきはノー」といい、政府がこの世論を米国に率直に伝えるのが「国益」であると書いています。
 1日付夕刊各紙は、国連安保理に提出される査察報告書の内容を詳しく伝えています。イラクの武装解除は非常に限定的だという内容です。7日の安保理決議を前にして、これからの一週間はイラク問題の重大局面に入ります。今日はこのへんで失礼します。