「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
      (2003年5月31日午後4時収録、6月1日午前5時35分放送)

1.イラク戦争は何だったのか−−ベタ記事から考える

 5月15日に衆議院を通過した「有事」関連三法案が、いま参議院で審議されています。各新聞の政治部からは、法案が6月9日の週には成立すると見込んで、予定稿(コメント)の依頼も来ています。この法案が成立に向かう動きの背後には、北東アジアの緊張する状況に対して、「武力で対応することもやむなし」という「気分」が普通の市民のなかにも広まっていることがあるように思います。そうした勢いに乗るものが、5月26日付『読売新聞』社説でしょう。「専守防衛」を見直せと主張するこの社説は、北朝鮮の軍事的「脅威」に対して、「敵基地攻撃能力の保有も検討すべきだ」という現防衛庁長官の言葉を肯定的に紹介しています。これは、1954年以来長年にわたり政府(内閣法制局)がとってきた自衛隊合憲解釈、つまり自衛隊は「自衛のための必要最小限度の実力」であるという論理を捨て、ブッシュ政権が昨年9月に出した先制攻撃戦略の方向に軸足を進めることを意味しています。
 いま、北東アジアにおける軍事的緊張に対して、力には力で対応するという動きばかりが目につきますが、米国方面から入ってくる北朝鮮「脅威」の情報についても冷静に対応することが求められます。それは、イラク戦争が始まる前の状況からの教訓でもあります。「武力行使しか手段がない」という主張が米英サイドから強くなされ、その最大の根拠は「大量破壊兵器の脅威」でした。ところが、戦争が終わってみると、あれは口実だったのだという発言が米政府高官からポロッと飛び出しました。『東京新聞』5月29日夕刊は、ウォルフォウィツ米国防副長官が、イラク戦争に際し米国に対する支持を集めるため、「大量破壊兵器の脅威」を意図的に強調したと語っていることを報じています。
 また、『朝日新聞』5月31日付によると、英国政府が、イラクの大量破壊兵器開発の報告書を書き換えていたことが5月29日に明らかになりました。情報機関の報告書は淡々とした文章だったのですが、政府高官が、「化学・生物兵器を45分以内に実戦配備できる」という表現を書き加えたそうです。理由がふるっていて、「もっとセクシーにする必要がある」ということで、「45分以内」という数字は何とも「セクシー」ということなのでしょう。こうしたなか、共同通信の5月29日の配信記事を載せた『四国新聞』同日付は、米上院民主党の議員たちが、「大量破壊兵器の脅威を意図してきに誇張したのか、読み誤ったのか」を調査するよう求めていると伝えています。「大量破壊兵器」は「武力行使やむなし」の最大の理由だったのではないのか、と米国内でも批判が出てきたことが注目されます。
 さらに、『毎日新聞』5月30日付夕刊の、「女性兵士救出劇は茶番?」という記事も注目されます。イラク戦争の際、米軍特殊部隊が、負傷してイラク側の病院に収容された19歳のリンチ上等兵を救出して大きなニュースになったわけですが、この間の米英メディアの検証報道の結果、リンチ上等兵は手厚い看護を受けていた、医師が鍵を渡そうとすると、わざわざ米兵はドアを破って入った、イラク軍は前日に病院を撤退していた、米軍はそれを知りながらヘリで急襲し「ハリウッド映画のような救出劇を演じた」(英国BCC)ということが分かってきたそうです。
 それから、『朝日新聞』5月29日付第1外報面は、イラク戦争で米英軍が投下した兵器は3 万発にのぼり、そのうち精密誘導爆弾は当初の想定を下回る68%にとどまったことを、軍の内部資料で明らかにしたロンドン特派員の記事を掲載しています。「ピンポイント爆撃」という言葉を世に知らしめた91年湾岸戦争。あの時、ミサイルが目標に爆発するまでをテレビ画像で観て、「きれいな戦争」を印象づけられた人々は、精密誘導兵器ならば市民に犠牲者が少ないと思ったわけですが、湾岸戦争では精密誘導兵器は10%未満でした。アフガン戦争では60%。そして68%という低い数字。記事は、イラク戦争でもB52爆撃機などが通常爆弾を大量に投下した実情を裏付けているとしています。当然、市民に犠牲者が出ます。米国の市民団体が出している「イラク・ボディ・カウント」という、イラク民間人の死者の数を日々刻々とインターネットに流しているホームページがありますが、このスタジオ来る前、今から1時間に確認した最新の数字では、イラク人の犠牲者は最低で5430人、最大で7046人でした。これだけの犠牲者が出ていることが、戦争が終わってしばらくするとこうやって明らかになってくるわけです。
 『朝日新聞』5月27日付は、「イラク戦争、勝っても正当できない」というフランス・シラク大統領の言葉を載せています。イラク戦争の「戦前」「戦中」「戦後」の責任の解明はこれからです。戦争が終わってから反省するのではなく、戦争が始まる前に、きちんと情報を伝え、戦争に向かわない世論をどう創るかが課題のはずです。
 「新聞を読んで」で、新聞のベタ記事まで細かく読んでいると、こうした小さな記事を積み重ねていくことで見えてくるものがあります。いま、連日トップ記事で北朝鮮の危機がセンセーショナルに報じられていますが、来年の今頃になってみると、その記事や報道で大きく扱われた米国からの情報のなかには、同じように誇張や捏造がないという保証はありません。北朝鮮からの情報も同様です。いま、この瞬間に、それらの情報に対して冷静に向き合う必要があると思います。
 さて、イラク復興支援新法によって自衛隊を派遣させる動きが今週から活発になります。そうしたとき、自衛隊派遣を求める米側の意向が、複数の米政府高官によるある言葉で象徴されました。『東京新聞』27日付が最初に伝えたのと、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド」(地上に靴をおろせ)です。アフガンの時に、みんながひっかかった「ショー・ザ・フラッグ」(旗を見せろ)を想起させます。『東京新聞』30日付の解説記事によれば、陸上自衛隊の派遣を求めるとき、米政府高官は「1000足のブーツ」と呼んだといいます。1000名規模の部隊派遣。家族をもつ生きた人間である自衛隊員をブーツに例えるあたりに、ネオコンと呼ばれる米政府高官の発想が窺えます。

2.旧日本軍の毒ガス被害−−茨城県神栖町からみえるもの

 さて、茨城県の神栖(かみす)町で起きた事件についてです。同町木崎地区の井戸水から旧日本軍の毒ガスが原因とみられる、通常の450倍もの有機砒素化合物が検出され、住民に深刻な被害が出ていることが分かりました。地元『茨城新聞』5 月30日付は、環境省が汚染源を特定する環境調査を始めたと伝えています。全国紙では、『朝日新聞』4月15日付第1社会面の20数行のベタ記事が最初でした。これを受けた同日付の茨城県版は「旧日本軍毒ガス関連?」と、毒ガスとの関連を初めて示唆しました。
 広島県竹原市沖の大久野島にあった旧陸軍毒ガス工場で製造された毒ガスは、戦争中、中国で大量に使用され、いまも中国に遺棄された毒ガス弾が腐食して被害を与えています。5月15日、旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で負傷した中国人5 人が起こした訴訟で、東京地裁は、訴えは退けましたが、旧日本軍が危険な毒ガス兵器を遺棄したことが違法行為だったことは認定しました。1997年に発効した化学兵器禁止条約によって、日本政府は、2007年4月までに中国に遺棄された毒ガス兵器をすべて処理することが義務づけられます。その対策も進められていますが、被害者への補償という点ではきわめてお寒い現実があります。
 日本国内でも神奈川県寒川(さむかわ)町(旧海軍工廠跡)や平塚市などで工事関係者などに被害が出ました。とりわけ今回の茨城県神栖町の被害は深刻です。この件はあまり全国的に知られていません。例えば、私が聞いたところでは、『朝日新聞』大阪本社版が扱わなかったため、大阪本社統合版がいく広島では、大久野島の毒ガス関係者が多く住むのに、神栖町のことが伝わっていませんでした。
 そうしたなか、『読売新聞』30日付、科学部と地方部の記者が連名で書かれた特集記事は秀逸でした。この広島でも読むことができる9段半頁を使った特集記事によると、井戸水を使用していた幼児を含む13人が言葉の遅れや運動障害、手足のしびれなどがみられるといいます。戦後、毒ガスの完全処理をしないで、各地に秘密裏に投棄され、それがいま半世紀以上たって被害を出しています。神栖町の住民救済の問題でも、原因が旧日本軍の毒ガスということで、国の動きが鈍りました。各省庁がそれぞれの立場を主張して本腰を入れず、内閣官房が間に入って調整をするも、後手後手。この5月に省庁連絡会議ができたばかりです。『読売』特集記事は、「毒ガス処理進まず」「旧軍の遺物で健康被害」「官庁責任押し付け合い」「不完全だった廃棄調査」という見出しのもとで、問題の状況を浮き彫りにしつつ、「旧軍による『負の遺産』をどの官庁も相続したがらないツケが、国民に回されている」と結んでいます。
 橋本茨城県知事は、「旧日本軍の毒ガスが原因であることはほぼ間違いない。国には製造者責任があるのだから支援であれ補償であれ、過去の医療費、通院費を含め、将来についても支援すべきだ」と語りましたが(『朝日』5月27日付)、政府の微妙な立場を配慮しつつも、住民救済の遅れへの苛立ちを滲ませた発言でした。
 『朝日新聞』5月27日付によると、神栖町の住民について、過去の治療費などの補償は困難で、今後かかる治療費しか出せないというのが国の方針だそうです。旧日本軍が埋めた毒ガスの責任を国が認めれば、東京大空襲などの戦後補償にも影響を与えるというのがその理由です。戦後補償関係の裁判で国が一貫してとっている「国家無答責」の立場からのもので、国家賠償法が施行される前の、戦前の国の権力行為に対する賠償請求権はないという考え方ですが、この間、この考え方を否定する地裁判決がいくつも出ています。政府は、依然としてこの古い考え方に固執して、過去の国家が行った行為に対して蓋をする態度を今後ともとり続けるのでしょうか。
 鹿島灘に面した、人口4万9000人の小さな町(神栖町)で起きた出来事は、戦前日本が行った毒ガス戦の歴史を総括し、過去の責任をきちんと整理してとりくむ契機として、誠実に対応すべきだと思います。