「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
      (2004年6月5日午後4時収録、6月6日午前5時32分放送)

   1.見境のない暴力の連鎖

 今週は気分が滅入るような事件が続きました。この国の未来を担うはずの子どもたちの世界で、一体何が起きているのか。長崎県佐世保市小6同級生殺害事件は、6月2日付朝刊以降の紙面に重くのしかかっています。加えて、ブッシュ政権の「力の政策」の突出により、世界はいま、「見境のない、果てしない暴力の連鎖」になかに入ってしまったようです。5月30日付各紙は、サウジアラビア東部の都市で、外国の石油関連企業が入ったビルや住宅が襲われ、20名以上が殺害された事件をトップで報じました。そして今週、各紙とも、イラクで殺害された日本人ジャーナリスト橋田さんと小川さんの悲しい死を追いました。6月2日にはアフガニスタンで、救援活動にたずさわっていたNGO「国境なき医師団」の3人が殺害されました(『読売新聞』3日付)。これら際限のない暴力の連鎖は、ブッシュ政権による昨年3月の無謀な「イラク戦争」が開けた「パンドラの箱」の罪深いあらわれの一つにすぎません。6月1日、内閣法制局長官は参議院で、「多国籍軍への参加は憲法上可能」という解釈を示しましたが(2日付各紙)、これは憲法上問題があるだけでなく、日本が「暴力の連鎖」の一角により深く踏み込むことを意味します。「イラク戦争」の開戦を正当化する最大の理由だった「大量破壊兵器」について、これが存在したと今も信じているのは小泉首相だけだと思いますが、4日付各紙が報じた「テネットCIA長官辞任」のニュースは、この問題の行方を象徴しているように思われます。

 

   2.佐世保小6女児同級生殺害事件

 さて、6月1日に起きた佐世保小6同級生殺害事件は、加害者と被害者がともに小学生で、かつ学校内で起きたという二点において、この国の犯罪史上かつてない悲惨な事件となりました。「うそだろ」。被害児童の父親が直後の記者会見で発した言葉です。各紙2日付朝刊は一面トップ、第一、第二社会面ぶち抜きで報じました。朝刊段階では事件そのものを伝えるのが精一杯という感じで、動機や背景は見えません。「普通の家庭の普通の子がなぜ」(佐世保児童相談所長の言葉)というトーンです。
 2日付夕刊(東京本社4版)の段階から、「HP書き込みトラブル」(『朝日』)、「ネット書き込み引き金?」(『読売』)、「ネット掲示板でトラブルか」(『毎日』)と、一斉にインターネットと関連させた記事づくりになっていきます。例えば、『毎日新聞』3日付は「子供社会をネット浸食」という見出しで、この事件の背景を分析します。総務省によると、6歳から12歳の子どものネット利用率は62%にのぼり、子どものネット化に大人がついていけない状況がある。「ストレス解消が暴走か」とか「脳や心に影響も」というトーンで、「直接的な人との関係を結ぶのが苦手なため、短絡的でキレやすくなる」「2歳までに身についた習慣は、コミュニケーション能力の不足という形で、人生に大きな影響を与える」という「識者」のコメントを拾っていきます。
 文部科学省の方針で、パソコンは近年、小学校にも急速に普及してきました。いわゆる総合的な学習の時間にパソコン指導などの「情報教育」を行っている公立小学校は全国で6割にのぼるといいます。『読売新聞』4日付によると、掲示板で相手に意味不明な情報を一方的に送りつける「掲示板荒らし」を体験学習させたりする学校も出てきたといいます。ただ、ネット上のマナーを教えるという目的でそうした学習を行っても、逆にそれを使って掲示板荒らしを楽しむ児童が出てこないという保証はありません。
 加害児童が深作欣二監督作品で知られる「バトル・ロワイアル」に熱中していたことや(『毎日』5日付)、5月31日放送の民放ミステリー劇場で、カッターナイフの殺害シーンがあり、児童は「こんなふうにしようと思った」と語ったことが報道されています(『毎日』4日付)。「バトル・ロワイアル」は15歳未満の入場禁止の「R15指定」の映画ですが、同名の原作は書店で自由に購入できます。児童はこの小説に強い影響を受けて、自らのHP上で物語を書いていたと伝えられています(『毎日』5日付)。「うぜークラス つーか私のいるクラスうざってー」と自身のHPに書き込む加害児童。ネット上、特に「2ちゃんねる」掲示板などに横行する荒廃した言葉遣いを、11歳の少女が駆使していることに驚きを覚えます。
 さて、ここまで問題が出揃うと、さまざまな短絡的対応が予想されます。刑法41条で14歳未満には刑事責任がありませんが、ネット上では「小学生にも刑罰を」とか、少年法の再改正で14歳からさらに年齢を引き下げよといった安易な発想が出ています。それにカッターナイフ。米国のように「学校に金属探知機を」とまではまだいかないでしょうが、教育現場に過剰な対応が生まれることも予想されます。そして「バトル・ロワイアル」とくれば、メディア規制三法案のうち、2002年春に法案提出が見送られた「青少年有害社会環境基本法案」の提出の動きも十分に予想されます。この法案のきっかけはこの映画でしたから。さらに、インターネット規制の動きです。でも、地元『長崎新聞』3日付コラム「水や空」は、「凶器となったカッターナイフ狩りやネット規制では、少女の心の闇は見えてこない。仮想世界〔ヴァーチャルな世界〕とともに生きていく人間の知恵こそ求められている」と書いています。『長崎新聞』は3日からの連載記事「ネット世代の闇」を始め、連日この問題を掘り下げています。
 私は、この問題は小手先の対応ではすまない奥深い根があると思えてなりません。『毎日新聞』3日付コラム「余録」は、「学校の怪談」の収集者の言葉を引用。怪談の舞台が普通教室より「理科室、音楽室、体育館、トイレといった特別教室や付属教室に偏っている」こと。「教室のクラスという集団はいつも圧力釜のような精神的緊張を抱えている。それをやわらげるために子供らが無意識に作り出す心の逃げ場所が怪談だというのである。学校にひそむ『魔』とは、子供たちの集団生活がおりなす影の部分であったのだ」と書いています。この事件もまた、モダンな校舎の学習ルームで起きました。『毎日新聞』3日付社会面トップは、事件が起きた学校が小さな学校で、クラスの組み替えがなく、「密室」化したという問題を取り上げています。少子化のなかで、一学級しかない学校が増えています。少人数クラスをデメリットだけで論ずることはできませんが、この事件には学校社会が抱える「複合矛盾」があらわれていることは確かだと思います。『朝日新聞』5日付社説は「ネットの海にただよう子」と題して、「大人の見えない電子空間に多くの子どもたちが浮遊していることを、しっかり認識する必要がある。…子どもたちに必要なのは、ネットの世界に負けない豊かな実体験ではないだろうか」と書いています。
 いま、子どもたちが日々のニュースや大人の会話を通じて、殺伐とした今の世の中の影響を確実に受けています。例えば、イラクやパレスチナでの悲惨な映像は、子どもたちに確実に影響を与えています。命を大切にしようとどんなに教えても、毎日起きる現実は、大人の世界がいかに命を軽々しく扱っているかという事実しか教えてくれません。こちらの方が圧倒的説得力があります。イラクのアブグレイブ収容所における米軍による「捕虜」虐待の映像。圧倒的な権力を持つ者が目を覆うような手法で人間を虐待する映像が、テレビや新聞を通じて子どもたちの心に入っていくわけです。大人の世界の殺伐とした風景が、いま、子どもを鏡に問いなおされているのだと思います。
 なお、この事件に関連して、4日付夕刊各紙は、井上喜一防災・有事法制担当大臣が、同日午前の閣議後の記者会見で、「最近では男女の差がなくなってきた。元気な女性が多くなってきた」と発言したことを一斉に問題視しています。井上防災・有事法制担当大臣は、一般論を語ったと釈明しています。昼のニュースで発言を聞きましたが、事件に関するコメントとは区別された一般論には聞こえませんでした。子どもの心は今の世の中の「すさみ」や「ゆがみ」を映し出しているように思えてなりません。

 

   3.違憲状態の参院選

  今週金曜から土曜の未明にかけて、年金法案をめぐって参議院が大荒れになりました。厚生労働委員会での与党による強行採決と、野党による本会議での抵抗戦術。とうの政治家本人が年金未納・未加入問題を抱えて、国民の年金への不安と不信は高まっています。そうしたなかで「年金改革」関連法案が成立しましたが、あまりに多くの問題を積み残したままの法案成立に、後味の悪さは否めません。
 さて、もうすぐ参院選が始まりますが、今回の選挙が、ある特別の事情を抱えていることはあまり知られていません。一票の格差が問われた「議員定数不均衡訴訟」で、今年1月14日、最高裁大法廷は、一票の格差が5倍を超えた3年前の参院選について、9対6で合憲と判断しました。この判決には多くの補足意見や追加補足意見がつけられました。違憲と判断した裁判官のなかには選挙無効を言い渡すべきだという強い意見もあり、他方、合憲と判断した9人中4人の裁判官〔亀山・横尾・藤田・甲斐中の各裁判官〕が、「次回選挙でもなお無為のうちに漫然と現在の状況が維持されたままだったとしたならば…違憲判断がなされるべき余地は十分に存在する」と指摘していたのです。参議院側では定数是正の努力がほとんどなされず、結局先送りにされました。98年と2001年の選挙区選挙で当選した議員は計149人ですが、最少得票当選者の鳥取と高知の議員よりも多くの票をとって落選した人が、都市部を中心に110人もいます。これでは民意の反映という面で著しく問題があるとされたわけです。今週の各紙社説のなかには、このまま定数是正を行わないで選挙に入ることを批判するものがいくつか出てきました。『朝日新聞』3日付社説は「参院の怠慢と無法」と題して、以上紹介したような事情を説明した上で、「いまの参院は、民主主義を支える立法府の名に値するのだろうか」と厳しい言葉を投げかけています。『毎日新聞』1日付社説も「憲法違反の選挙を行うのか」と書きました。『北海道新聞』4日付社説は、最高裁の多数違憲の4人を含め、15人中10人の裁判官が「次回選挙では違憲判断の余地あり」とした点に注目し、これでは「違憲の府」になりかねないと批判しています。他方、『読売新聞』5月31日付社説はこれらと違ったトーンで、違憲だからむしろ憲法改正をと主張します。読売新聞社が5月3日に出した憲法「改正」案(読売改憲試案)を取り上げ、憲法を改正して参院改革をすることを説く、やや「我田引水」な社説になっています。いずれにせよ、参議院選挙を前に、こうした問題もしっかりと考えておく必要があると思います。今日はこのへんで失礼します。