「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
       (2005年6月3日午後7時収録、 6月4日午前5時38分放送

   1.韓国での「新聞を読んで」

 先週から今週にかけて韓国・ソウルの漢陽(Hanyang)大学で開催された韓国公法学会で講演しました。韓国の憲法・行政法研究者のほとんどが加入する学会です。今回のテーマは「北東アジアにおける平和・繁栄と公法学の転換」。私に与えられた課題は、「日本における憲法改正の動向」でした。中国社会科学院教授の「中国憲法転換の傾向」という報告のあとに、日本の憲法改正をめぐる状況について話しました。日本国内のさまざまな動きを紹介しながら、日本国憲法の改正問題が単に日本一国の問題にとどまらず、アジアの今後に重要な影響を与えることについても言及しました。日韓関係や日中関係に微妙な影がさしているこの時期だけに、言葉には神経を使いました。ただ、私が話した韓国の憲法学者は、反日的な傾向は一部の動きで、それをマスコミが煽り過ぎていると一様に指摘していました。そこで、今回は、韓国滞在中に読んだ新聞も含めて、韓国での「新聞を読んで」を語ることにします。


2.歴史教科書の問題

 学会の翌日、29日にソウル駅のコンコースを歩いていると、日本の歴史教科書問題と、竹島(韓国名は独島)問題のパネル展示が行われていました。しばらく観察していると、たくさんの市民が通りかかりましたが、立ち止まってパネルに見入る人は多くはありませんでした。学会翌日に、天安市にある独立記念館の見学に行きましたが、ここは歴史教科書問題に対抗して韓国が建設した施設だけに、日本統治時代の展示物からアニメーションに至るまで、当然のことながら、徹底した日本批判のトーンに貫かれていました。ちょうど、小学校低学年の児童が30人ほど見学に来ていたのですが、お揃いのTシャツを着て、胸には「独島(竹島)を愛す、国家を愛す」という言葉が刷り込んでありました。どこの国でも、子どもたちにどのように歴史を教えるかは重要な課題です。
 
そこで注目されるのは、歴史教科書の問題に関連して、2002年に発足した「日韓歴史共同研究委員会」が3年間の活動を終え、この5月31日に最終報告書を出したことです。その一部は6月1日からインターネット上で公開されています。『朝日新聞』6月2日付はそのことを伝え、古代史、中近世史、近代現史の3分野で、計19のテーマを設定し、日韓双方の見方が対立した部分は両論併記の形をとったと伝えています。特に見解の違いが際立った近・現代史では、それぞれの論文に相手国の学者が「批評文」を添える形をとったことを紹介しています。
 
韓国の『中央日報』(インターネット版)6月2日付は、「報告書は両国の歴史認識の差をはっきりと『確認』することに終わったという批判もあがっている」としながら、「歴史紛争の地雷原」とされる近・現代史について、個々の歴史的トピックに即して、日韓の違いを紹介しています。例えば、1905年の第二次日韓協約(乙巳〔ウルサ〕条約)や1910年韓国併合の有効性という問題では、日本側がこの条約は国際法的に合法であり、列強諸国も認めていたこと、日本の植民地政策で韓国に近代的な側面がもたらされた点などを強調したとしています。両論併記という手法は、「言いっぱなし」の形になる危険もあります。日本側の研究者も「いろいろ」であり、ここに登場する研究者が日本代表という立場で意見を述べているわけではないでしょうが、形としてはどうしてもその国の主張という形で相手に受け取られてしまうのは残念なことです。
 
他方、韓国の『ハンギョレ新聞』インターネット版(英文)5月27日付社説は、日中韓3国共通歴史教材委員会の共同編集・共同執筆の『未来をひらく歴史』(高文研)というテキストについて解説しています。3カ国の研究者、教師、市民運動のなかから生まれた企画で、この4年間の共同作業の成果として、社説はこれを高く評価しています。『ハンギョレ新聞』社説はまた、歴史教科書について、ドイツがポーランドやフランスと共同の編纂してきたことに触れ、このことがヨーロッパの統合に貢献してきたと書いています。そして、「彼ら〔ドイツなど3カ国〕が、第二次大戦の膨大な殺戮のあとに共通のコミュニティ(共同体)を築くことができた理由は、彼らが歴史についての自己中心的理解から免れていたからである」と指摘しつつ、この3国共同出版のテキストが、「東アジア共同体の構築における新しい里程表(マイルストーン)になるだろうことは疑いない」と『ハンギョレ』27日付社説は述べています。
 
『東京新聞』5月28日付は、「歴史教科書ドイツの取り組み」というタイトルで、30年を超える隣国との信頼醸成の一環として行われた歴史教科書の共同作成に関連して、ドイツ・ポーランド教科書委員会のロベルト・マイアー委員へのインタビュー記事を載せています。マイヤー氏は、ドイツが戦後すぐに英米仏などとの歴史教科書作りの協力を開始したこと、ブラント政権の東方外交の一環として、隣国ポーランドとの二国間対話を開始したことに触れつつ、こう述べています。「大戦後、ドイツは世界で最も憎まれた民族だった。今日では、尊敬され、かつて占領していた地域の国々にも友人がいる。教科書に真実として記された自らの過去のおかげだと思う。過ちと歴史の暗い部分に誠実な態度をとる国は、信頼と共感を得るということだ」と。心に響く言葉です。
 
歴史教科書問題は、当事国の専門家が対等な立場で共同研究、共同編纂を行うことは非常に意義深いと思います。共通の目標のために、お互いに知恵を出し合うことで、「入口論」での反発が消えて、前向きで積極的な方向が出てくることが期待されます。


   3.日韓関係の今後

 さて、2月から4月にかけて、韓国や中国で「反日」的動きが目立ちましたが、そうした動きは5月になると急速に鎮静化しました。中国の急速な変化の背後には政府の方向づけを感じますが、韓国では、反日デモなどはほとんどなく、そのかわり、国内政治や経済問題に関連したデモが頻繁に行われていました。デモのため道路が渋滞して、タクシーを降りて地下鉄に乗り換えたこともありました。他方、韓国の普通の若者の日本文化への関心は高く、日本における「ヨン様」ブームなどについても注目しています。例えば、『朝鮮日報』2日付は、日本のネット・オークションに「ヨン様の高校卒業アルバム」が出品されたことまで詳しく伝えています。入札価格は50万円。彼の個人写真と、ソウルオリンピック公園で写した団体写真が載っているそうです。オークション終了は本日午後11時だそうで、一体いくらで落札されるのでしょうか。落札後も、同紙は記事にするでしょう。
 
一方、『東亜日報』6月2日付社説が指摘するように、この6月は韓国にとって重要な月になります。そこで同紙は「韓国外交の分かれ道」と指摘し、現政権の外交政策について批判的に書いています。社説は、6月11日の韓国とアメリカの首脳会談、20日頃に日韓の首脳会談があり、ピョンヤンでは6.15南北共同宣言の5周年記念祝典が、月末にはソウルで南北閣僚級階端が開かれるといいます。特に韓国と日本の関係について社説は、「〔関係の〕復元の糸口を見出さなければならない。大衆迎合的な強硬対応が良策でないことは、すでに明らかだ。日本の首相が歴史歪曲や外務次官の問題発言などに対して実質的な遺憾表明ができるように、事前に努力し、これを土台に関係を改善しなければならない。北朝鮮核問題の解決には、日本の協力も必要だ」と書いています。このように、日本との関係改善は、韓国政府にとっても重要な位置づけを与えられています。ナショナリズムの突出と、シンプルなリアクションの抑制がはかられているように感じました。


4.「対話の不在」を克服するために

 『朝日』5月26日付で、ヨーロッパ総局長の外岡秀俊氏は、ベルリンのど真ん中に完成した「ホロコースト記念碑」について書きながら、興味深い話を紹介しています。「ドイツは植民地の多くを第一次大戦で失った。日本には、戦前から植民地化した台湾や朝鮮半島、旧満州の問題がある。そこが大きな違いだ。…英仏など欧州の宗主国は、戦後10年から20年をかけて植民地が独立するまで、つらい葛藤の時期を体験した。どうしたらお互いの信頼を勝ち取るかで悩み抜いた」。これに対して、敗戦直後に植民地を切り離された日本は、冷戦構造に組み込まれ、旧植民地の多くと対話が途切れた。そこに一種の「記憶の空白」が生まれた。「記憶の空白」は「対話の不在」につながる。外岡氏は、歴史認識の問題の根っこには、この「対話の不在」があったと指摘し、歴史認識を深めるためにも、対話を重ねお互いの信頼を築くことの大切さを強調しています。重要な指摘と思います。 ところが、現実には日本の政治家や高級官僚の言葉の軽さ・甘さが目立ちます。韓国滞在中、外務省の事務方のトップである事務次官が、「米国が韓国を信じていないようで、日本は韓国との情報共有にためらいがある」と述べたことを知りました。自分がどういう地理的位置にいるのかが一番わかっているはずなのですが、頭や心がワシントンの方を向きすぎていると、こういう言葉を思わず口にしてしまうのでしょうか。韓国政府はすぐに抗議の意思を明確にしました。『朝鮮日報』5月31日付社説は、「『信頼できない韓国』を直視せよ」というトーンで、ノムヒョン政権の対外政策を批判しています。この問題では、『中央日報』が5月27日付社説で、「韓日関係、これを以上悪化してはならない」と題して、竹島(独島・ドクト)問題や靖国神社参拝問題などについて触れています。
 
この点で、『毎日新聞』6月2日付は、河野衆議院議長が歴代総理5人と会談し、小泉首相の靖国参拝は「慎重の上にも慎重に」ということで意見が一致したと伝えています。これに対する首相のコメントは、「いつ行くか適切に判断します」という言葉の繰り返し。『朝日新聞』6月3日付は、河野議長との会談にあえて欠席した中曾根元首相が、「個人の信条よりも国家利益を考えてやめるべきだ」と小泉首相に参拝中止を求めたことを伝えています。『朝日』はこの記事の横に、「首相は国益を語れ」という政治部長名の論説を置いています。「国益を語れ」というトーンにやや違和感を覚えましたが、2日の衆院予算委の答弁にも出た、「個人の信条から発する参拝に他国が干渉すべきでないでしょう」という言葉は、一国の首相のものとしては通用しないことはますます明らかであるように思われます。今日はこのへんで失礼します。

お断り:番組進行の関係で、今回の「新聞を読んで」の開始時間が5時38分と少し遅れました。ホームページでは5時32分(35分)スタートと表示していますが、生放送のため、今回のように若干遅れが出ることをご了承ください。