「新聞を読んで」 〜NHKラジオ第一放送
       (2006年3月24日午後5時収録、 3月25日午前5時35分放送

   1.WBCで日本優勝

 今日の「新聞を読んで」は号外の話からです。アメリカのサンディエゴで行われたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝で、21日、王貞治監督率いる日本代表チームがキューバを10対6で破り、優勝しました。テレビ視聴率は決勝戦で43.4%。優勝の瞬間14時58分に56%(関東地区)という驚異的な数字を出しました。近年、野球がここまで話題になったのも珍しいと思います。私は、たまたま講演先の浦和の駅前で、『朝日新聞』の号外を入手しました。「日本、世界一」の特大見出し。駅頭でもホームでも、多くの乗客が号外を読んでいたのが印象的でした。『朝日』号外は、提携している『ヘラルドトレビューン』紙のJapan No.1 in the worldという大見出しの記事を号外の3面に使ったので、ホームで大勢の乗客が英字新聞を読んでいるような光景が一時的に生まれ、何とも不思議な気分でした。

 22日付各紙は一面トップで取り上げましたが、各紙社説は一様に日本チームを讃えつつ、他方、さまざまな課題を指摘しています。『毎日新聞』社説は、「公正であるべき審判団の構成と一部の審判員の質に疑問の声が出た」と書き、予選リーグの地区割りや組み合わせに不可解な点があることなどを批判しています。『産経新聞』社説は、米国主導の強引な運営、特に米国の審判による「米国寄りの疑惑判定」は「大会に大きな汚点」と指摘。政治の世界では最も親米的な『産経』が、WBCでは、米国のやり方を最も激しく批判していたのが印象的でした。

 他方、『朝日』社説は、球場の観客席が、試合ごとに応援する言葉や旗が入れ替わり、「それぞれの国の香りを運んでくれた」こと、「ナショナリズムを超えて野球に敬意を払うべきだという意識が、グランド内外に共有されているのを感じた」と書き、サッカーのワールドカップなどとの微妙な空気の違いを指摘していました。韓国の『朝鮮日報』22日付も、韓国代表チームのキム・インシク監督が、「日本はもともと実力がある上に、今回は運まで伴い結局優勝した。〔・・・〕やはり立派な戦力を持ったチームだ」と述べたと伝えています。イチロー選手が、「戦った相手が向こう30年は日本に手は出せないなという感じで勝ちたいと思う」という発言をしてからは、韓国側に激しいブーイングが起きたと伝えられましたが、「30年」を「36年」(日本による植民地支配)と意識的に重ねて批判するような論評は少なく、『朝鮮日報』15日付の「口は災いの元」というマンガコラムも、イチロー発言と、メキシコチームの「韓国野球なんて知らない」、アメリカチームの「日本とメキシコだけ警戒」という言葉と並べて紹介。イチロー発言だけを突出して批判しませんでした。WBCについては、国を超えて、落ちついた評価が見られたことが注目されます。

 これと並んで、日本対韓国戦の前後は、韓国の選手が試合でよい成績を出せば、兵役免除になるという特例措置が日本でも注目されました。『東京新聞』17日付は、韓国市民の7割が選手の兵役免除に賛成というアンケート結果も紹介しています。徴兵制を導入した方が若者がシャンとして、スポーツが強くなるといった議論は悪のりとしても、むしろ、韓国の徴兵制が俳優、歌手、そしてスポーツ選手などに、時間的、キャリア的な空白を生むという問題が指摘されています。徴兵制をもつ国で共通する問題です。


2.米新世界戦略と在日米軍基地

 さて、20日はイラク戦争3周年の日でした。各紙ともに国際面を中心にやや大きめの企画ものを出しています。『毎日新聞』20日付は、英国BBCが35カ国4万人を対象とした世論調査を行い、この戦争で国際テロの可能性がかえって「高まった」という人が平均60%いること、米国でさえも55%に達したことを紹介しています。『毎日新聞』22日付は、マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー教授の一問一答を掲載し、「ニュルンベルク裁判で裁かれた侵略行為と同様、米英両国によるイラク攻撃は国際的な戦争犯罪」と断定し、「ブッシュ政権の政策はテロを誘発している」と、鋭い批判を紹介しています。

 「イラク復興支援」という言い方がされますが、チョムスキー教授がいう3年前の原点は忘れられてはならないでしょう。『朝日新聞』コラム「天声人語」18日付も、「この戦争は、国際社会の総意ではなく、ブッシュ政権に他国が追随する形で始まった。先制攻撃の理由に掲げた大量破壊兵器は、結局無かった。この『大義なき戦争』を小泉政権は支持し続けた。ブッシュ氏は、フセイン政権の圧制からイラク国民を解放したという。だからといって、世界を巻き込み、おびただしい犠牲者が出たこの戦争を正当化できるはずもない」と書いています。ブッシュ大統領は21日、「大統領の任期中は撤退しない」と明言しました。18日付の各紙社説、特に『朝日』は「イラク3年から学んだか」を出し、ブッシュ大統領がこの16日に公表した新たな「国家安全保障戦略」について書いています。この戦略は2002年9月のものに比べ単独行動色は薄めているものの、イランや北朝鮮、ベラルーシ(今週、ルカシェンコ大統領が3選。不正選挙が問題)などを圧制的支配にある国家として名指し。それらに対する「先制攻撃」の選択肢を堅持しています。

 米国のこうした戦略の展開のなかで、在日米軍基地の再編問題が今週も注目されました。普天間飛行場を名護・キャップ・シュワブ周辺に移設する形をめぐって、米政府、日本政府、地元(県、名護市)それぞれの間で微妙な意見の違いが出ています。ただ、この問題では、政府と地元との国内の調整問題にとどめてはならず、米側に対して日本政府がもっと主張すべきだという「社説」が目立ちました。『琉球新報』『沖縄タイムス』が何度も社説を出すだけでなく、『北海道新聞』23日付社説も、沖縄の嘉手納基地のF15戦闘機の訓練を本土に分散移転する件で、千歳基地周辺の自治体に不安が広がっていること、日米地位協定が、米側にばかり都合がいい運用がされていると批判し、地位協定の見直しを求めるべきだとしています。

 特に今週は、沖縄海兵隊基地のグァム移転について、米政府が費用100億ドルのうちの75億を日本に負担させようとしている点について、『朝日』『毎日』の19日社説がともに、「あまり法外な話だ」、「75億ドルとは法外ではないか」と、「法外」〔度外れな〕という言葉を使いました。『東京新聞』21日付検証記事は、「足元見られる〔日本〕政府」という見出しで、8700億円の負担は、地元「説得」に苦慮する政府の足元をみたものと書いています。

 なお、『産経』21日付社説は、グァム移転について、「日本も米側の苛立ちを真摯に受け止めるべきだ。自国の若者に命のリスクまで負わせて抑止力を提供しているのに理解されず、基地負担の軽減だけに目を向けている日本側に不信を募らせているのだ。互いに互いを守るという当たり前の同盟関係をグァム移転を契機に検討すべきだろう」と書いています。私は、日米の「軍事同盟」関係は日本国憲法の精神に適合しないと考えますが、最近では安保や米軍基地を支持する人々のなかからも疑問が生まれているのが特徴的です。『毎日新聞』22日付「記者の目」は、西部報道部の女性記者(上野央絵)が執筆。3月12日の岩国市の住民投票で、過半数が厚木基地の空母艦載機部隊の移転に反対した意味を、96年の沖縄県民投票、97年の名護市民投票などを振り返りながら、「日米安保の質的変化」となる米軍再編がもたらす住民への影響を指摘。「基地の存在に疑問を抱いたことのない住民が目覚めてしまった」という岩国の受け入れ派の声を紹介しつつ、「日米安保に対する不信の火種」が全国に広がると書いています。米側に弱腰で、地方に強気で「説得」する政府の立場が問われます。


   3.ニセ学位と75歳博士号

 近年、能率性や効率性、採算性が過度に強調され、国や社会のあらゆる分野で、目先の成果をせわしく競い、無駄を省けという掛け声のもと、大切なことが見過ごされ、忘れられつつあるようです。耐震強度偽装問題に見られるように、当たり前のように信頼していたものが音をたてて崩れるような出来事ばかりが続きます。

 その点、『朝日新聞』24日付一面の紙面構成は象徴的でした。右半分で、国土交通省が23日、06年度の公示地価を公表したことを伝え、東京都心などで土地バブル再燃の兆しが見えていおり、社説で「バブルの警戒は怠るな」と警告しています。左半分では、日本航空が主脚の検査で手抜きがあったこと、その下に東京電力の福島第二原発で、配管の溶接部分にほぼ全周にわたってひびがあったことが見逃されていたことを伝えています。航空機と原発という最も厳密なチェックが必要とされるところで不信が生まれている。この一面の紙面は象徴的でした。

 それぞれ事件の背景は複雑です。でも共通することは、プロフェッショナルというものの誇りと自信が失われていることです。端的にいえば、政治家から設計士に至るまで、自らの全存在と使命を自覚して仕事をするプロが少なくなっているのではないでしょうか。 このことは、教育の分野にもあてはまります。今週、象徴的な事件がありました。『読売新聞』20日付夕刊に、19日、ソウル地検が、音楽大学教授らが、ロシアの有名音楽大学からニセの博士号を取得していた事件を摘発し、教授ら21人を起訴しました。約10時間の講義と1週間のロシア見物をしただけで、博士号を出していたそうで、このほかにもニセ修士号で100人近くが摘発されました。ニセ学位を出すかわりに、大学の総長には多額のお金が流れたそうです。学位取得にはロシア語の論文提出が必要ですが、ニセ博士たちのほとんどは、ロシア語で書かれた自分の学位記に何が書いてあるか読めなかったと『読売』は伝えています。就職などの際、博士号をもっていると有利に働く。こういうニセ学位やそれに近い話はどこでもあります。秀でた学問研究の成果に対して与えられる学位までも金で買うということだけが問題なのではなく、学問の中身より、学位の有無という「かたち」にこだわる世間の風潮が生み出した事件といえます。

 これとは対照的な、ホッとするニュースが『東京新聞』24日付社会面の共同通信配信記事です。「75歳の女性『博士』誕生」という見出し。関西大学で東京都武蔵野市在住の75歳の女性が、中国文学で博士号を授与されたそうです。この大学では、最高齢です。60歳でICU(国際基督教大学)に入学し修士課程を修了してから、2年前に関西大学大学院博士課程に入学して、毎週金曜、土曜に東京からほとんど休まずに通い、19世紀中国の文献を分析して博士論文にまとめたそうです。女性は、「この先どれだけ時間が残されているか分からないが、さらに研究を深めたい」とコメントしています。地道な学問・研究こそ、大学の原点です。世間からの短期で過剰な要求のなか、自由な学問・研究の雰囲気が失われつつある昨今の大学の現状を思うとき、75歳の女性の言葉は重く響きます。