サミット照射・識者の視点(上) 祭りのあとに基地建設・・・オスプレイ配備の変化球
『沖縄タイムス』2000年7月28日付

 パソコンも入る黒いバックの中身は、ICレコーダー(二百六十六分録音可)、扇子、レンズ付きフィルム、アラーム付き時計、テーマ曲のCD、筆記用具、歯ブラシなど。手ぶらで来ても取材できるように(?)、至れり尽くせりの「プレス・キット」が内外の記者全員に配られた。これにお土産の引換券が二枚。一枚目で沖縄みやげセット(かりゆしウエアと泡盛など)、もう一枚で「琉球リカちゃん」が交換できる。紅型の琉装をまとう「沖縄サミット・メモリアルドール」。将来「レアもの」として高値がつくかという代物である。

サミットを取材した記者から「歴史資料」として譲り受け、いま研究室の机の上に並べてある。それを見ながら、「祭り」にかかった莫大な費用のことを思う。  警備費を含め八百十五億円。英国メディアは、この金でアフリカ・ガンビアの債務を帳消しにできると、「ぜいたくサミット」を皮肉った。昨年六月のケルン・サミットの費用は、その百分の一という。

ところで、ケルン・サミットの際、本紙記者がボンに滞在していた私を訪れ、インタビューした(本紙一九九九年七月四日付)。そこで私が指摘した論点は二つある。

一つは、沖縄サミットが、名護市辺野古のMV22オスプレイ基地建設に向けた「究極の変化球」だったこと。「『お祭り』が始まり、歓迎ムード一色で思考停止に陥る前に、言うべきこと、貫くべきことを整理しておくことが大切だ」と一年前に強調した。

二つ目は、ケルン・サミットで見られたように、富める国々のごう慢さに対して、国際的なNGOが対案型の運動を展開したこと。今回、途上国首脳やNGOとの非公式会談なども実現し、この傾向はさらに進んだ。  サミットは、主要国間の調整さえも十分に果たせず、その存在意義を疑問視されるようになった。もっとも、形式化・セレモニー化したとはいえ、「主要国」の首脳が一堂に会する場が大きなイベントであることに間違いない。そうした祭りの期間中は、基地反対運動などは鈍らざるを得ない。そうした「サミットしばり」が一年以上にわたり沖縄を覆ったのである。

だが、祭りのあと、基地問題はあとの祭りというわけにはいかない。そのことを端的にアピールしたのが、嘉手納基地を包囲した「人間の鎖」だった。ドイツの保守系『ディ・ヴェルト』紙七月十七日付も、「沖縄の米軍に対する抗議−南日本の島でのG8を前に怒りの声」と報道。「人間の鎖」は、世界のメディアが集まる絶妙のタイミングで行なわれ、基地沖縄を世界にアピールする「瞬間最大風速」の効果があった。

「サミットしばり」が解け、いよいよ新基地建設への動きが本格化する。日米首脳会談の場で、いらぬことだけ能弁・多弁なこの国の首相は、稲嶺知事の求める新基地の「十五年使用期限」についてさえ一言も触れることはなかった。このまま基地建設に進んでいいのか。これからが正念場である。

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