『新聞研究』(日本新聞協会)568号(1998年11月号) 所収

「信頼は専制の親である」 ――リーダーシップ

                          水島 朝穂

●リーダーシップとは
 リーダーシップ(leadership)。インターネットの検索機能(サーチエンジン)を使って探すと、あるわあるわ。経営管理論のシラバスから、企業トップの挨拶、地方政治団体の総括文書に至るまで、種々雑多である。書店のビジネス書コーナーには、関連する書籍がズラリと並ぶ。それだけ、リーダーシップに関心を持つ人々が多いということだろう。
 一般にリーダーシップとは、指導者としての地位や任務そのものを指す場合と、指導者としての資質や能力、力量を指す場合とがある。前者は指導権ないし指導性、後者は統率力・指導力を意味する。世間一般で使われるときは、後者の場合が多いように思われる。
 リーダーシップは、組織が順調に動いているときにはあまり意識されない。だが、困難に直面したり、むずかしい判断を迫られたりすると、責任者に周囲の目が集中する。そのとき、責任者は自分の位置と役割をいやがおうでも自覚させられる。ことに臨んでうろたえたり、的確な判断を下せなかったり、失敗の責任を他のメンバーに押しつけたりすれば、その瞬間から、彼・彼女は構成員(メンバー)あるいは部下から信頼を失い、その地位にとどまることは困難となる。最悪の場合、その地位を失うこともある。
 戦場で孤立して、「前進か、後退か」の判断を迫られたとき、部下全員が自分をじっと見つめたときの眼差しを決して忘れないだろう。ある旧軍将校を取材したとき、彼が私に語った言葉である(拙著『戦争とたたかう――一憲法学者のルソン島戦場体験』日本評論社)。戦場のような極限状態では、隊長の判断一つが生死を分ける。
 責任者がギリギリの判断を迫られるという点では、新聞の世界も事情は同じだ。特ダネをつかんだ社会部の朝刊締切り間際。裏取りに走った記者から続々と連絡が入る。社面トップの見出しも決まった。だが、ある方面からの確認だけがまだ来ない。記事出稿の決断をするか。部内の多数の眼は当番デスクとキッャプに集中する。当番デスクの胃が痛くなる瞬間だ。突発的な大事件が起こって、部内が総立ちになったとき、喧騒のなかでも、部内の眼は確実に当番デスクに向かっている。リーダーシップを問われというのは、まさにこういう瞬間をいう。
 もっとも、リーダーシップが問われるのは、こうしたギリギリの判断を迫られる場合だけではない。組織・団体・チームの日常的な運営にあたって、責任者がメンバー相互の意思疎通をはかりつつ、メンバーの自発性を引き出す。こうした組織運営のありようもまた、リーダーシップの問題である。リーダーシップとは、「人を動かす」ことである。
 ところで、最近、この国では、内閣総理大臣(以下、首相という)のリーダーシップがことさらに強調されるようになってきた。そこで以下、リーダーシップ一般ではなく、「首相のリーダーシップ」について考えてみることにしよう。

●首相のリーダーシップ?
 「リーダーシップとは、小渕首相の指摘されていることだな。一番の問題はリーダーシップだと、世論調査でもどこか新聞が書いてたな。答弁はともかくさ、第一の問題はリーダーシップだ。地雷のやつだけはリーダーシップがあるんだ」(『朝日新聞』1998年10月3日付)。
 最多使用言語が「まだ聞いていません」と言われる「ボキャ貧」(ボキャブラリーの貧困)首相が、その限られた言語容量を駆使して語ったリーダーシップ論である。「リーダーシップとは」と問われて、「小渕首相の指摘されていることだな」と自分で言ってしまうところがすごい。
だが、少し考えてみれば不思議なことではある。首相というのはもともと、その国の執行権力のトップに座っている人である。リーダーシップの本来の意味からすれば、「首相のリーダーシップ」について論ずること自体がトートロジー(同義反復)のはずだった。なぜ、この国では、かくも「首相のリーダーシップ」について語られるのか。
 1998年9月27日のドイツ連邦議会選挙で、キリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)は歴史的な敗北を喫し、責任をとってコール首相が退陣を決めた。冷戦時代から「ベルリンの壁」崩壊、ドイツ統一という歴史的場面でリーダーシップを発揮した人物の幕引きである。彼の在任期間は4期16年。その間、日本の首相は、鈴木善幸から小渕恵三まで11名が入れ代わった。このなかで、リーダーシップを発揮しようと(少なくとも主観的には)張り切ったのは、中曾根康弘と橋本龍太郎、それにパフォーマンスで突出した細川護熙くらいだろう。残りは、リーダーシップとはかなり距離のある面々だった。とくにコール首相の就任時と退陣時の首相がそれぞれ、「暗愚の首相」鈴木と、「ボキャ貧」小渕という、およそリーダーシップとは無縁の人物だったことは興味深い。鈴木は、大平正芳首相急死により棚ぼたで首相になったが、もともと自民党内の党務・閥務畑を中心に歩き、およそ表舞台で活躍するタイプの人物ではなかった。その点では、小渕も同様である。
 1955年以来の自民党長期政権下では、自民党総裁=首相を軸に、派閥均衡人事と、業界と関係官庁を族議員が媒介する利益政治が定着していた。合意形成においても、日本的手法(稟議と根回し)が重視された。総裁=首相のリーダーシップといっても、あくまでも派閥間のバランスの枠内での限定的なものだった。

●首相国民投票制
 あるときは、Jリーグやプロ野球の世界におけるその影響力のゆえにスポーツ紙をにぎわせ、またあるときは、行政改革会議に首を突っ込み、財政・金融一体論から国防省昇格論までまくし立てたかと思えば、『がんを克服する方法教えます』という闘病記を出版して健康書籍コーナーに顔を出すというにぎやかな人物がいる。読売新聞社長・渡邉恒雄、72歳。いま手元に、渡邉が35歳の政治部記者時代に出版した『党首と政党――そのリーダーシップの研究』(弘文堂、1961年)という書物がある。日本の政治、とくに自民党総裁の地位と選出方法についての分析に基づき、強いリーダーシップとデモクラシーとの両立を追求したもの。そこで渡邉は、日本の議院内閣制の現状を批判的に検討しつつ、中曾根が提唱する「首相国民投票制」をかなり好意的に紹介している。
 大派閥に属さない弱冠42歳の中曾根は、独自の憲法改正案を作って首相国民投票制を説いた。『未定稿・高度民主主義民定憲法草案』(昭和36年1月1日)。筆者の研究室に保存してある現物を、97年の憲法記念日に『朝日新聞』が写真入りで紹介した《注》。
 この中曾根草案は、端的に日本の議院内閣制の批判から出発する。草案の序の部分から、ポイントをまとめてみると次の通りである。
首相は党内派閥の調整や国会の乗り切りにエネルギーを費やして、国策を行う余力がない。党内派閥征服のために解散が行われ、通常4カ月は国の前進が停止する。議院内閣制の国は、大統領制の国に比べ国力が劣っている。ではどうするか。マスコミの驚異的発達が、指導者の直接投票を行ったギリシャやアテネやスパルタのような都市国家と同じ大きさに政治的に日本をしている。テレビやラジオを使えば、その瞬間に主張や思想は伝達される。国民投票による首相の直接選挙によって、閣僚は、首相が各方面から人材を集めることができる。これは、内閣をさらに国民に密着させ、国民的内閣の成立を促進する。議院内閣制のもとで、醜い政治抗争で選ばれた首相が、自衛隊の最高指揮権者として、若者達に死地に赴くことを命ずる道義的根拠を有するといいうるであろうか。直接選んだ首相のもとでなら、自衛隊員も責任を感じ、勇気を持つ。若者は喜んで死地に赴く。首相の国民投票制は、民主主義を前進させる現代的高度民主主義の制度である、と。
 テレビ受像機が現在の6分の1程度だった37年前に、テレビを通じて国民の政治的「皮膚感覚」に直接訴えるべきことを主張し、「行政と立法のなあ合い」を防ぎ「声なき国民の声を反映させる」「大衆本位の強力政権」を構想していた点は、政治手法への着眼という点ではさすがである。だが、ここには検討すべきさまざまな論点が含まれている。
 まず、「同輩中の首席」にすぎなかった明治憲法下の首相と比べ、現在の首相はかなり強力な権限をもっている。首相となる人のインパクトの薄さからだけ判断してはいけない。
 また、首相をプレビシット(国民投票)的手法で選ぶとした場合、国会の代表機能の低下が生じないかという問題もある。直接に「民意」を体した首相は、議会への責任性を免れる。中曾根草案を見ても、公選首相には強力な権限が付与されている。それに対する議会統制のありようを工夫しない限り、バランスを欠くことになろう。
 プレビシットのもつ「危ない一面」も、ここで指摘される必要がある。
 国民投票で選ばれた首相は、国会を経由することなく、ダイレクトに国民と結びつきうる。そうした場合、長年の歴史的経緯のなかで、大統領制をとっている国々の場合は、マスコミの批判などにかなり重要な統制機能が期待される。プレビシットは、政治的争点を過度に単純化するという側面があり、国民のなかに、短絡的な対応が出てくる可能性もある。
 首相を選ぶという場面にこの種の方法が果して妥当なのかが冷静に検証されるべきである(拙稿「議院内閣制」『法学セミナー』1998年1月号)。何よりも、このシステムの導入には憲法改正が必要となる。象徴天皇制との関係も微妙である。政府・与党の側でも、首相国民投票制に対する評価は分かれる。当面、現実の政治問題とはなりえないだろう。
 渡邉の強い影響力のもとで作られた読売改憲試案(1994年)も、首相権限の強化はうたいつつも、中曾根型の首相公選論は退けている。

●内閣機能強化論とリーダーシップ
 95年の阪神・淡路大震災を契機に「危機管理」が強調され、「肥大化し硬直化した政府組織」の改革が説かれるに至った。行政改革会議が97年12月に公表した最終報告には、内閣の危機管理機能の強化、内閣機能の強化が打ち出されている。いわく。現行の制度は、「行政各部」中心であり、行政事務を各省庁が分担管理する仕組みである。だが、これは国家目標が複雑化し、刻々と変化する内外環境に即応して賢明な価値選択・政策展開を行う上で、限界ないし機能障害を露呈しつつある。国政全体を見渡した総合的、戦略的な政策判断と機動的な意思決定をなし得る行政システムが求められている、と。かかるシステムの中心に、「内閣総理大臣の指導性」の強化が置かれるわけだ。具体的には、内閣法4条および6条を改正して、首相が閣議に拘泥されないで、柔軟かつ機動的に行動できるようにするとか、閣議の議決方法に多数決制(現在は全員一致)を導入するといったことが提案されている。
 もっとも、閣議を多数決制にするといったことは瑣末な問題である。むしろ、閣議では、事務次官会議で決まったことしか発言できないという現状こそ問題だろう。国会だけでなく、閣議もまた「存在の耐えがたい軽さ」を嘆かれているのである。内閣や首相の権限の問題というよりも、首相や閣僚の資質・能力の問題も大きい。
 また、憲法に基づく政治のありよう(立憲主義)の観点からすれば、リーダーシップが裸の権力行使に連動することは許されない。緊急事態にかこつけて、権力に対する拘束を緩和することがあってはならない。 指導者が「私を信用しなさい」という時が一番危険である。かつて、大型間接税(一般消費税)は導入しないと約束した中曾根首相(当時)は、「この顔が嘘をつく顔に見えますか」とテレビの前で胸を張った。アメリカ独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンはいう。「信頼は、どこでも専制の親である。自由な政府は信頼ではなく猜疑にもとづいて建設される。われわれが権力を託さなければならない人々を制約的な憲法によって拘束するのは、信頼ではなく、猜疑に由来する……。権力の問題においては、それゆえ、人に対する信頼に耳をかさず、憲法の鎖によって、非行をおこなわないように拘束する必要がある」(「ケンタッキー州議会決議」1798年)と。
 真のリーダーシップが成立するには、その前提として、指導者と構成員との間に十分な意思疎通がはかられていることはもちろん、指導者が誤りをおかした場合のチェック機能が十全に存在していること、そして何よりも、構成員に対して十分な情報が公開されていることが必要である。こうした前提を欠いたリーダーシップの強調に対しては、やはり疑ってかかるのが正当だろう。政府が必要以上に強い権限を求め、それを「リーダーシップの強化」というオブラートにくるんで来たとき、マスコミ関係の仕事に従事する人々は、その狙いをしっかりとつかみ、批判的に検証していく上でのリーダーシップを発揮すべきだろう。

《注》後日談が、『朝日新聞』1997年8月23日付「記者席」(三浦俊章)に出ている。