1998年度早稲田大学大学院入学式での祝辞
4月2日,大隈講堂/水島朝穂

 

 法学部の水島です。大学院の各研究科に入学・進学されたみなさん。おめでとうございます。私は早稲田の教員としては3年目の新参者ですが、皆さんのちょっと先輩という立場から、学問研究の道に踏み出された皆さんへの励ましの言葉を送りたいと思います。

【学問の旅心】

  まず最初に、「学問研究は長い旅である」ということです。私の専攻は憲法学です。大学院時代は主としてドイツの選挙法制、政党法制の研究していました。たまたま30歳のときに助教授として初めて就職した北海道の小さな私立大学では、新しく発足した法学部の開設メンバーということで、自分の発想やアイデアを自由に活かすことが許されました。そのことが、研究面でも私に多くの刺激と変化を与えました。北海道の憲法裁判の現場に直接取材や調査を行き、生きた素材を研究面に活かす。古稀を迎えた同僚の久田栄正という憲法学者との2年間の共同作業はとりわけ忘れえぬ思い出です。久田教授(故人)は、人肉食いまで起きたフィリピン・ルソン島の戦場から生還しました。その久田氏が戦場体験をどのように憲法の平和主義研究に結びつけていったのかを、関係者への取材や、戦前の資料の分析などを通じて裏づけ、11年前に1冊の本〔『戦争とたたかう ―― 一憲法学者のルソン島戦場体験』日本評論社〕にまとめました〔久田氏は出版後に死去〕。これが、私のその後の研究に大きな影響を与えました。

  北海道に6年住み、36歳のときに広島大学総合科学部に移りました。そこでは「学際性」が非常に重視されました。専門の憲法のほか、現代法政策論という専門科目を担当することになっため、法制度の問題に研究テーマを広げていきました。これが学位論文につながります。また、核の問題について豊富の実例のあるヒロシマでの6年間は、ヒロシマと憲法のかかわりを追求する私の何冊かの著作につながります。その間、ドイツ統一直後のベルリンに留学しましたが、一つの国のなかで「二つの社会」が軋みをあげている現場で、法と社会に関わる問題を色々と調べて、本にしました。北海道から広島を経由して、12年たって再び早稲田へ。何だか豊平川〔札幌〕に帰ってくる鮭の話みたいですが、この12年の旅で私は多くの貴重な体験をさせてもらいました。4年前、『ベルリンヒロシマ通り――平和憲法を考える旅』(中国新聞社)という本を出したとき、映画監督の山田洋次さんがその帯に、「旅する学者の平和憲法論」という言葉を寄せてくれました。「旅する学者」といっても、別に寅さんみたいにあちこち旅してまわるというのではありません。「学問の旅心」が大切なのです。大学院に入って毎日研究の日々が続くと思いますが、一つのテーマしか知らないという院生になってはいけない。自分のテーマとは一見関係ないようなところにちょっとワープしてみる。とくにマスターコースの人は、専門の勉強が大変ですけども、他の分野、学際的なテーマに目を向けることも大切です。それは、必ず専門の勉強にも役立つはずです。それから、「旅心」という場合、他の専門分野の人々との交流という意味もあります。私は、法学研究科に在学中、さまざまな専攻の院生とともに「若手研究者の会」をつくり、色々なことを勉強し、けんけんがくがくの討論をしました。これが実に大きな刺激になりました。体を動かすことは健康にいいが、思考や思索にも非常にいい。体を動かすことが動脈硬化を防ぐように、「学問研究の旅心」は、思考の硬直化・一面化を防いでくれます。A rolling stone gathers no moss.「転石苔を生ぜず」です。私は12年間いろいろな旅をするなかで、一か所にとどまっていたら発見できなかったようなテーマや問題と出会ったのであります。専門の枠も確かに大切です。しかし、その枠に閉じこもっていてはいけない。他の分野の人々との交流、あるいは学問研究とまったく関係ない、意外な人々との交流。これが存外大切なのです。ワクが増えるとワクワクするじゃないですか。

 

【誰がために研究するか】

  次に言いたいことは、「誰がために鐘は鳴る」というか、「誰がために研究するか」ということです。自分が行う研究の社会的広がり、自分の研究の社会的な意味をマスターコース(前期課程)のうちから問いつづけてほしい。どんな専攻の人にもこれは同じです。私はその際、「弱きもの、小さきもの、隅に置かれしものへの眼差し」が大切だと考えています。

  先週、那覇で講演したあと、しばらく沖縄に滞在しました。私は、毎年必ず何回かは沖縄に行きます。沖縄と憲法に関する書物を去年も出し、今年も5月に出すことになっています。昨年12月の名護市の住民投票。沖縄から日本が見えるといわれます。その沖縄のなかでも、北部地域はさらに不遇な状況に置かれています。私は、名護の東海岸の二見以北地区に行きました。貧しく、高齢化の進む地域に海上基地が作られようとした。その二見以北の山のなかに、名護学院という知識障害者施設があります。先週そこを訪ねましたが、ここにいる障害者の方は250人。平均年齢は42歳。職員の方々は、目の前の海上に基地ができれば、ヘリコプターの騒音によって障害者のケアに支障がでるとすぐに反対声明を出しました。しかし、ハッと気がづいた。ここで24時間生活している障害者に問うていなかった。彼らにも情報を提供し、基地に対する判断をしてもらうことが必要だ。彼らにも「知る権利」がある、と。知的障害者ですから、普通の文章では理解困難です。そこで、紙芝居を作って障害者に海上ヘリ基地についての情報を伝えたわけです。この紙芝居は、沖縄在住のアメリカ人女性の手で英訳され、アメリカ各地で紹介されているそうです。先週お会いした名護学院の総務部長の方は、あの住民投票は、障害者と向かい合う自分たちの姿勢を変えたと、実にさわやかな表情で語ってくれました。「100人の障害者がいれば、100通りのケアが必要だ」。これを実現するには、財政的な問題もあり、大変むずかしい。でも、そうした視点をもって障害者に向かい合うこと。そのことを名護の住民投票のなかで学んだという職員の方の言葉は、私に学問研究のある原点を教えてくれました。つまり、小さくさせられているからこそ見えるものがある。小さなものの大きな可能性を引き出すこと。これが学問研究にたずさわる人の義務ではないか。これは一例ですが、どんな研究分野でも、こうした視点を大切にしてほしいと思います。

 

【さまざまな出会い】

  学問研究というのは、テーマとの出会いが大切です。すばらしい出会いはその後の生き方を変えてしまうこともある。大学院時代の「時間」は、学部学生の時代以上の密度の濃さで、そういった出会いの機会を与えてくれます。さまざまな「しがらみ」もあると思います。指導教授とぶつかることもあるでしょう。でも、最後に決断するのは、あなた方一人ひとりです。すばらしい出会いを活かすか否かも、あなた方一人ひとりにかかっています。軍事法制という私の研究テーマは、当時、専門分野ではあまり重視されず、むしろ回避される傾向にありました。就職するにはあたりさわりのないテーマの方がいいと人にいわれたこともあります。しかし、私はあえてこのテーマを探究しつづけました。そして、それを評価してくれる大学があらわれて、就職できたわけです。湾岸戦争の頃から、このテーマはさらに重要性を認識されるようになりました。いまのしがらみ、いまの読者だけを念頭に置くのではなく、「未来の読者」を意識して研究を進めていただきたい。これは言い換えれば、これは「チャレンジ精神を失わない」ということです。やや俗っぽい物言いになりますが、しかし実践するとなると、これは存外むずかしいのであります。そこで思い出すのは、大学院時代に出会った沼田稲次郎先生という労働法学者のことです。沼田先生は当時、東京都立大学総長の激務のなか、法学研究科で「法哲学特殊研究」を担当されていました。「私の授業は時間通り始まらないけど、必ず来るから待っとれや」と言われ、午後1時からの講義が4時から始まったこともありました。先生の学問のスケールの大きさと強烈な個性に圧倒されましたが、沼田先生はある時こう言われました。「水島君、自分にレッテルを貼ってはいけないよ」。自分はこんなことしかできないとか、自分の研究テーマは意味がないのではないかとか、人はそういう形で自分で自分にレッテルを貼ってしまうことがあります。沼田先生は昨年亡くなりましたが、先生が22年前におっしゃったこの一言は、いまも私の心にしっかり残っています。

  その意味でも、よき出会いというのは「心の持ち方」に影響を及ぼすと思います。話はちょっとワープしますが、日比谷通りに面した第一生命ビル。戦後ここに、GHQが置かれましたが、その6階にいまも「マッカーサー元帥の部屋」が保存され、無料で公開されています。一度行ってみるといいでしょう。その部屋の入口近くに、「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」で始まるサミュエル・ウルマンの詩碑があります。元帥は日々これを愛誦していたそうです。「年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ」。大学院生時代も同じです。自分にレッテルを貼って、学問研究への情熱を失えば人は老います。20代でも簡単に老いてしまいます。すばらしい出会いは、いつまでも情熱を失わず研究生活を続ける上でのスパイスの役割を果たします。

 

【院生とインターネット】

  ちょっとアングルは変わりますが、ここで情報や研究ネットワークの問題について述べておきます。 この数年間に新設・改組された大学・学部・研究科のネーミングを調べてみると、「かんこくにんじょう、ふくきたる」。環境、国際、人間、情報、福祉の組み合わせが多いことに気づきます。なかでも「情報」。私のような典型的な文系人間でも、いまインターネットは欠かせないものになっています。「平和憲法のメッセージ」という個人ホームページも出しています。Yahoo!などのサーチ・エンジンを使って、「平和憲法」と「水島朝穂」と打ち込めばたどり着けるでしょう。著書・論文の紹介、平和憲法に関するリンク、授業の内容や講演予定などのほか、その時々の社会的出来事を私なりに分析した「直言」コーナーを、毎週更新しています。いまの問題についてその瞬間に論じて、毎週更新することは大変な緊張です。でも、とても勉強になります。本当にたくさんのアクセスがあります。内外のさまざまな人々からメールが飛び込んできます。意外な方からの情報の提供もあります。点と点から、線さらには面へと、多彩な関係が取り結ぶことが可能になりました。すでに多くの方々がインターネットを利用されていると思いますが、まだの方は今日からでもすぐに始められることをおすすめします。幸い、本学はメディアネットワークセンターをはじめ、皆さん方へのサポートの仕組みもかなり充実してきました。よく週刊誌などで、どこどこの大学にはコンピュターが何台あるという形の記事が出ます。でも、大学がコンピューターを何台持っているかを競う時代はもうすぐ終わるでしょう。これからは質です。それを使って院生がどれだけ情報を収集し、また発信しているか。そういう使われ方が問われるようになるでしょう。本学のサポートの仕組みはまだ決して十分とは言えませんが、しかし皆さん方がこれを使ってこんなことをしてやれという「進取の精神」さえ失わなければ、そこに巨大な可能性が開かれていることだけは確かです。これからは皆さん方一人ひとりの活動が大学の質を決定するということを強調しておきたいと思います。

 

【学問の前の平等】

  研究に終わりはありません。一つの仕事を達成しても、またすぐ次の巨大な山が見えてくる。私は昔は一本論文を書くと、よく風邪をひいてダウンしました。いまはそういうことがなくなりました。「元気」という言葉を考えてみると、「元」の「気」です。苦しくなったとき、研究に行き詰まったとき、自分の原点は何だったのかを思い出すことです。そうすれば「元気」になります。

  学位論文となった著書のあとがきで、「本書は私の研究生活のささやかな『中間総括』である。今後、精進を続けたいと思う」と書きました。これからも私はずっと「中間総括」という気持ちを忘れないつもりです。どこかで私の生命が終わったとき、おそらく誰かが「総括」をしてくれるのだ、と思うことにしています。学問研究というのはある種の「賭け」を伴います。昔は論文を書くとき、こんなふうに書いたらこんなこと言われるかななどと、いろいろな人々の顔を思い浮かべて書いたものです。最近は逆に、いつかこう読んでくれるに違いないということで、その人々の将来に「賭けます」。「書け」と言われても書けなかった論文が、そういった心の置き方をして、そうした「賭け」を楽しく感じられるようになったとき、皆さんは論文を「書け」るのであります。自分の人生のなかにあった挫折やコンプレックスは、そうしたときのスパイスの役割を果たします。

  私は学生・院生だけでなく、実は教員も、一緒に学問の旅をしているのだと考えるようにしています。もちろん教員の方が「先」に「生」まれ、たくさん研究を積んでおられますけれども、院生の方がすごい発見をすることも、とりわけ理系の場合、ままあることです。そのとき、教員の側が院生から学ぶわけです。講義をするとき、教員は教壇から学生に向かって話をしますが、そのとき、学問の旅をするという意味では、実は教員も学生と同じ方向を歩んでいるのです。学生の反応や、質問をきっかけに、思わぬ新しい論点を発見したりすることもあります。これを私は、「学問研究の前の平等」あるいは「真理の前の平等」と言っています。各研究科の先生方は、あなた方と「学問の旅」を一緒にしながら、あなた方の研究を導いてくれるわけです。そして職員の方たちは、そうしたあなた方の研究のサポートしてくれます。しかし、旅をするのはあなた方自身です。クールな理性と熱いハートを忘れずに、問題意識をもって、それぞれの専門分野の課題やテーマに取り組んでください。そして、「小さなものの大きな可能性」を見つけ出す知的営みに、皆さん自身が自分なりの方法で歩みだしていただきたいと思います。

  父母の皆さん、ご家族の皆さん。あまり口を出さずに、さりげなく支えてあげてください。短期的に成果を要求することなく、長い目で見守ってやってください。未来がその研究を評価してくれるまで、そこにご家族の皆さんも「賭け」てやってください。そのことを最後に申し上げて、私の話を終わります。どうもありがとうございました。

(早稲田大学広報旬刊・Campus Now 2602 号〔1998年7月15日〕所収)