犬猿の仲のインドとパキスタンが相次いで核実験を行った。核保有国であるアメリカをはじめ、世界各国は両国を激しく非難。日本政府も、両国に対して経済制裁を行った。だが、核保有国アメリカとそれを積極的に支える日本の非難は、いま一つ説得力に欠ける。この点で、IAEA(国際原子力機関)広報部長を務めた吉田康彦氏(埼玉大教授)の論稿「特権持つ核保有国に説得力なし」(東京新聞 5月27日付)は注目される。アメリカ主導の核不拡散(NPT)体制では、核保有国の「よい核」と、それ以外の「悪い核」がある、と吉田氏はいう。IAEAは、保有国に対しては査察を行わず、非核保有国には、核物質を扱う全施設を申告させ、査察を行う。「非核保有国は最初から被疑者の立場に置かれている」。NPTには核保有国が核軍縮に向けて誠実に交渉するという規定もあるが、これは訓示規定にすぎず、拘束力はない。この差別的構造に、インドなどが不満を抱くというわけだ。思うに、NPT体制が実質的に崩壊した今、印・パ両国に対して経済政策などで締め上げるよりも、アメリカをはじめとする核保有国に対しても何らかの義務づけを伴う、核廃絶に向けた新しい国際的枠組みの構築が必要ではないか。この点で、たとえば、平岡市長が「まず核不使用条約の締結を」と主張しているのは重要だ(中国新聞) 。核廃絶に向かう過程で、まず核不使用という一線で、アメリカも印・パも同じ線に並ぶから、印・パも交渉を拒否しにくくなる。その意味では、核保有大国の側にも「痛み分け」を迫る必要があるわけだ。では、日本はどうすべきか。ここで吉田氏はいう。「核を絶対悪とみなし、思い切って米国の核の傘から抜け出して日米安保体制を『核抜き』にすることを世界に宣言し、米国に対し、廃絶に向けての核軍縮を迫る以外にない。そうでない限り、日本の訴えは説得力に乏しい」、と。昨年8 月の平和宣言のなかで、平岡広島市長も、「核抑止力に依存しない安全保障体制の構築」を政府に求めた。最近では、後藤田元副総理が『朝日新聞』5 月30日付コラム「後藤田正晴の目」で、「核の傘に依存する安全保障政策の見直し」に言及している。立場の異なる3 人が期せずして、アメリカの「核の傘」のもとにある日本のありようを一致して問題にしたわけだ。「唯一の被爆国」という物言いが胡散臭い枕詞と受け取られないためにも、アメリカの核戦略に対して適切な距離をとることは不可欠である。もっとも、吉田氏がいうような「安保核抜き」はかなりむずかしい。いわば「アルコール分を抜いた酒」を作るに等しいからだ。吉田氏の主張を前向きに受け止めれば、少なくとも、「核抜き」でなければならないという「姿勢」だけでも世界に向けて明確にすることは大切だろう。その上で、核戦力と関連の深い部隊や装備の撤退を求める。横須賀を母港とする空母機動部隊は文字通り核戦力である。また、岩国の第一海兵航空団や沖縄の弾薬庫群も同様。結局、「核抜き安保」あるいは、「核の傘に依存しない安全保障」という主張を徹底していけば、いまの日米安保の枠組みの根本的見直しなしにはすまないだろう。 |