「好奇心が原動力」──真鍋淑郎さんにノーベル賞
10月5日、米国プリンストン大学上級研究員の真鍋淑郎さん(90歳)が、ドイツのクラウス・ハッセルマン教授とイタリアのジョルジョ・パリーシ教授とともにノーベル物理学賞を受賞した。日独伊の研究者の同時受賞は初めてではないか。ともに気象や気候変動(温暖化)に関わる研究が評価されたもので、きわめて今日的意味のある分野である。真鍋さんは地球の大気の状況をコンピューターで再現する方法を開発し、大気中の二酸化炭素が増えると地表の温度が上がることを数値的に明らかにして、地球温暖化予測の基礎を開拓したと評価されている。ただ、真鍋さんは米国籍を取得している。日本では「日本人が受賞」と盛り上がっているが、研究資金や研究条件・環境の面で、米国の研究機関でなければこのような成果をあげることはできなかったことについて、本人が受賞の記者会見で生々しく語っている。その記者会見を伝える各紙の見出しには、「気候の研究楽しい」「好奇心が原動力」(『朝日新聞』10月6日付夕刊)、「研究を心から楽しんだ」「支えた好奇心」(『毎日新聞』同)など、「好奇心」という文字が目立った。
日本人のノーベル賞受賞者は米国籍を含め28人目になる。近年では、受賞者が、基礎研究の重要性についてあえて触れて、日本において基礎研究が軽視されていることを直接・間接に指摘するのをよく耳にする。例えば、2016年にノーベル生理学・医学賞の大隅良典さん、2018年に同賞を受賞した本庶佑さんも、受賞の記者会見などにおいて「基礎研究が大事だ」ということを訴えている。基礎研究への研究費削減、若手研究者の不安定な地位(任期付きポストの増大)など、日本の大学の研究環境は悪化の一途をたどっている。岩本宣明『科学者が消える――ノーベル賞が取れなくなる日本』(東洋経済新報社、2019年)は、そうした状況をリアルに描いている。2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは大学の研究者ではなかった。田中さんの原点、基礎研究の基礎の基礎、小学校理科室の体験に関連して、15年前、『理科室から生まれたノーベル賞――田中耕一ものがたり』を紹介したことがある。
2008年にノーベル物理学賞を受賞し、今年7月に亡くなった益川敏英さんは、受賞後に文部科学大臣と会った際、大学の基礎研究が軽視されていることをストレートに批判していた 。益川さんの著書『学問、楽しくなくちゃ』(新日本出版社、2009年)では、「大学での基礎科学を枯らしてしまったら、100年後、社会は大きなダメージを受けることになります。このところ大学は、国立大学の法人化とか、研究費の削減とか、いろいろな形で基礎科学を切り縮められているのですが、このことは大きな問題だとぼくは思っています」「いま、『競争的資金』ということで、研究者自身が研究費を獲得するためにあまりに力が消耗されている傾向を感じます」「『評価』にあたっては、その学問なり研究が『面白い』と思える判断を下せる能力が重要だと思います」「『今すぐ役立つかどうか』という物差しで『評価』するのはまずい」「『第三者評価』ということもよく言われますが、…その研究テーマを研究している研究者以外は本当の面白さは分からないという側面があります」「学問の発展とは無関係な『評価』になってしまう」等々。心から共感できる記述が続く。
真鍋さんが日本に帰りたくない理由
真鍋さんの記者会見で出てきた言葉にはインパクトがあった。真鍋さんの「好奇心」を満たす研究を可能にしたのは、米国における最良の研究環境だった。そのことをはっきりと語った。「自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです。自分の研究のために好きなことができます。私は人生で一度も研究計画書を書いたことがありません。自分の使いたいコンピューターをすべて手に入れ、やりたいことを何度もできました。それが帰りたくない理由のひとつです。なぜなら私は他の人と調和的に生きることができないからです」。近年、大学の研究予算は削減の一途をたどり、基礎研究は軽視されている。研究者は、論文よりも研究計画書の方に力を入れると皮肉られるほど、書類書きに膨大な時間をとられている。日本の研究者には不安定ポストが増えていて、ゆったりとした研究時間も少なくなっている。だから、真鍋さんの言葉に、日本の多くの研究者は深く共感しただろう。そして、じっと手を見る(「一握の砂」)。
真鍋さんがなぜ日本に帰りたくないのかという点にこだわって取材したのが、朝日新聞の藤原学思記者である。その記事「真鍋さんが言葉を濁した日本への思い」は興味深い。デジタル版と、10月9日付夕刊一面トップ(冒頭の写真)に掲載されたが、夕刊のものは短縮され、表現も微妙に変えられている。以下、デジタル版から紹介する。
真鍋さんは言葉を濁しながら、「日本の政府の政策に、いろんな分野の専門家の意見が、どのように伝わって政治家にまであがっているのか。政治に対するアドバイスのシステムが、日本は難しい問題がいっぱいあると思うんですよ」「政府がたとえば、日本の学術会合の言うことを聞いているかどうか。一体どうやって、学者が政府の行動をリコメンド(推奨)するか。そういうことを考えないかん。いろんな学者がいろんな意見を持ってても、それが政府の行動に影響を及ぼしていますかねえ。というのが僕の質問です」「アメリカだとねえ、文句を言えばいくらでもあるけれど、アメリカの科学アカデミーは、僕の意見では日本よりもはるかにいろんな意見が下から、学者から上に上がっていると。日本よりはそういう意味でも、はるかにいいと思いますよ。だから、まあ、そういうところ、考える必要があるんじゃないですか」。
夕刊の限られた紙面のため簡略化はやむを得ないとは思うが、下線部がざっくり削られていたのは残念だった。「日本の学術会合」というのは「日本学術会議」のことだろう。昨年10月の日本学術会議の6教授任命拒否事件については何度か書いてきた(直言「日本学術会議6教授拒否事件」および「学問研究の自由の真正の危機」参照)。他紙も注目しなかったが、ここで真鍋さんは、日本政府の学術会議に対する対応に疑問を呈していたのである。コロナ対応でも、日本の政府は真の感染症専門家の意見を聞かず、耳障りのいい「専門家」の助言を使ったことはよく知られている(直言「科学的根拠なき政治――議事録も記録も、そして記憶もない」)。
真鍋さんが「日本に帰りたくない」という理由の一つは、「私は調和の中で生きることができません」という抽象的なものである。会場は笑いに包まれたというが、藤原記者は笑えなかったという。同感である。ここで笑う感覚がおかしい。「調和の中で生きることができない」という抑制した表現の向こうには、日本の貧しく、息苦しい研究環境と政府の科学技術や大学に対する施策に対する鋭い眼差しを感ずる。記者は、「真鍋さんはきっと、今後も日本には帰ってこない。それでも、遠く離れた米国から日本を気にかけ、日本の学術界、日本社会が良くなってほしいと、切に願っているのではないか。」と結ぶ。
「右翼ポピュリスト・維新」の政治が始まる――改憲の破壊力
では、日本の学問研究の自由や大学をめぐる状況は、これからどうなるか。10月31日の総選挙の結果に暗澹たる思いでいる。『南ドイツ新聞』11月2日付(デジタル版は1日)の見出しは「右への明確な急転回」である。自公が多数を占めたことに触れつつ、右翼ポピュリストの「日本維新の会」が第3党となったことに注目する。「政治への強い無関心」の小見出しのもと、55%という、ドイツ人には理解できない低投票率を指摘して、この無関心が日本の右転換をもたらしたとしている。
関西圏の地域政党だった維新が、今回、東京の小選挙区24のうちの17で候補者を立ててかなりの票を獲得し、比例では公明党を抜いて第3党に躍進した。北海道を除くすべての比例区で当選者を出し、維新は全国政党となった。
そもそも「維新」というのは、普通の歴史感覚をもっていれば使えない言葉である。2012年の創設当時の英語表記はJapan Restoration Partyだったが、フランス(restauration)やドイツ(Restauration)でこれを名乗ったら「王政復古」党である。いまの英語表記はJapan Innovation Partyだが、日本語は「維新」である。来年は「昭和維新」を唱えて起こされた「5.15事件」から90年である。はたまた、1972年10月27日、朴正煕大統領が「大統領特別宣言」を出して国会を解散し、政党や集会を禁止して全土に非常戒厳令を出すなどしたが、これは「十月維新」と呼ばれた。この時に強引に改正された憲法を「維新憲法」という。来年はその50周年だが、同時に「ローマ進軍」100周年でもある。この総選挙によって維新の「東京進軍」が本格的に始まった。
ところで、日本維新の会の特徴として、新自由主義、国家主義、歴史修正主義を挙げることができよう。その維新は、「是々非々」を言い出した国民民主党に接近しているが、両者合わせて52議席となれば、予算を伴う法律案を提出することができる。国会における一大勢力となり、これが「与党」に対抗する「野党」ではなく、「是々々々々々々々非々」の「ゆ党」となって、与党を助けるだけでなく、急角度で「右」へと牽引する役回りを演ずる可能性が出てきた。
11月2日の記者会見で維新の松井一郎代表(大阪市長)は、「来年の参院選挙までに改正案を固め、参院選と同時に国民投票を実施すべきだ」と早々と述べた。岸田政権はスピード感を強調するが、逆に、いろいろな要素がからんで鈍行になる。岸田首相はかつて、「憲法改正は考えない。これが私たちの立場ではないか」(2015年10月5日岸田派研修会)という立場だったが、総裁選では「自民党改憲4項目の総裁任期中の改正実現を目指す」に変わった。さらに、総選挙後は「精力的に取り組んでいく」と宣言した。ブレる岸田に笞を打って、改憲をやらせることに維新のエネルギーが注がれるだろう。公明党と維新の矛盾が生まれてくることは避けられない。
大学や科学研究への一層の介入
『朝日新聞』11月3日付社説は、「憲法公布75年 学術・研究取り巻く危うさ」である。自公+維新の勝利後の日本国憲法公布記念日に、学問・研究の自由の状況に論点をしぼったのは、他紙にない炯眼だと思った。維新の増殖によって、自公政権が「急転回」していく先に大学がある。国会における野党の力が一気に低下して、「学術会議問題」も、モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラなどとともに、最長4年間は封印される可能性が高い。いま、学問の自由や大学の自治は、非常に困難の時代を迎えている。
すでに90年代以降、新自由主義的な規制緩和路線によって、大学は大きく変質してきた(直言「大学の文化と「世間の目」」参照)。いわゆる「三大改革」の失敗は大学に深く傷を残している。すなわち1991年の大学設置基準の大綱化(→教養教育の空洞化)、2008年に終わる大学院重点化(→大学院の質低下と大量の高学歴ワーキングプアの創出)、2004年の国立大学法人化(→大学間格差の拡大)がそれである。詳しくは、吉見俊哉『大学は何処へ』(岩波新書、2021年)を参照されたい。2004年に導入された法科大学院の迷走と混迷は、日本の法曹養成のみならず、全国の法学部教育に複雑な問題を残している。
グローバリズム、新自由主義が大学に深く浸透し、学生の位置づけも大きく変わった。学生=消費者として「顧客満足度」が問われるようになり、それまでの大学がもっていた弱点や克服すべき課題を解決するというよりは、むしろ別の価値観が大学を変質させていった。安倍政権になると、入試制度にも手を突っ込み、教育内容についても介入が激しくなった(直言「「安倍カラー」で空洞化する大学——入口から出口まで」)。2014年のOECD閣僚理事会での安倍晋三首相(当時)の演説はご記憶だろうか。日本の大学は、「学術研究を深めるのではなく、もっと社会のニーズを見据えた、もっと実践的な、職業教育を行う」と言い切ったのである。大学こそ、社会のニーズに単純にこたえてはいけない。大学こそ、「不要不急」を尊重する存在でなければならない。大学が実学になるのは背理である。いまの日本の大学から、この先、ノーベル賞が出てくるだろうか。真鍋さんのような「頭脳流失」はこれからも続くのだろうか。
まだまだたくさんあるが、安倍・菅政権下の9年近くで一段と進んだ「大学の荒野」は、この総選挙後の第二次岸田政権のもとで、さらに深刻なものになっていくだろう。今週の「直言」で強調したいのは、維新という、より戦闘的な別動隊が増殖したことによって、それが「スピード感」をもって行われていくことである。維新の特徴の一つは、憲法や法律に対する「軽さ」にある。「規範的なるものへの軽視」といってもいいだろう。たとえていえば、規則やルールをいうものに対して、「しのごのいわずと、やらんか」と大声を出す人間の「強さ」である。その一方で、自民党以上に、「世間」にはびこる「ねたみ」「そねみ」「ひがみ」「やっかみ」を巧みに吸収して、それを法的な論理を突破して、激しい言葉と主張で実現していくことに長けていることである。そのトップを務めた橋下徹市長時代の大阪がその兆候といえる。「民意」「税金の無駄遣い」「国際社会に通用しない」といったメディア受けする単語を巧みに繰り出し、あらゆる領域に容赦なく切り込んでいった。一例をあげれば、芸術・文化に対する助成金のアグレッシヴな削減である。文楽協会や大阪フィルへの補助金凍結・削減した生々しい経緯については、直言「権力者が芸術・文化に介入するとき――大阪市長と大阪フィル」参照のこと。国会において予算を伴う法律提案権をもてば、新自由主義的な発想で大胆かつ強引な施策を遂行していく可能性が高い。
維新の特徴として、さらに歴史修正主義がある。自民党以上に、従軍慰安婦問題や韓国・中国に関係する問題について、国会の質問などの場などで大胆に踏み込んでいくだろう。7年前に起きた大学の教育内容への介入の問題でも、維新の議員が衆議院内閣委員会で踏み込んだ質問をしていた(直言「学問の自由が危ない――広島大学で起きたことへの憲法的視点」)。安倍晋三の強い押しで比例中国ブロックの上位にランクされて当選した杉田水脈は、歴史問題に関連するさまざまな問題に激しく関与しているだけでなく、科学研究費の使用の中身まで国会質問でとりあげるなど、これまでにないようなアグレッシヴな介入を行ってきた。彼女は2012年選挙では維新から立候補して落選している。
10月31日の結果、日本維新の会は自民党の別動隊ではなく、今後は、本隊のような活動を展開していくだろう。これから続く4年間に絶望して、「圧倒的な権力」への、あるいは積極的な、あるいは消極的な、忖度と迎合がすでに始まっているのではないか。直言「「学者商売」と「学者公害」」を書いた9年前はまだ平和だった。これからはますます息苦しい社会や大学になるだろう。そんな日本に「帰らない、帰れない、帰りたくない」(「氷雨」調)といわれ続けないようにするためにどうしたらよいか。私自身、じっくり考えねばならないと思っている。
《文中・政治家敬称略》