日独の「第2次大戦後初めて」 1997/10/13


ガイドラインにより日本は、武力行使を伴う軍事活動に参加する道を踏み出した(→9月29日付直言)。海外のマスコミがこの点に言及するとき、「第2次大戦後初めて」という文言がしばしば用いられる。だが、「初めて」は日本だけでなかった。10月4日、ドイツ連邦軍の将兵24名が、中部アフリカのガボン共和国に派遣された。「独仏混成旅団」の訓練プログラムの一環として、フランス軍との軍事訓練のためである(10月21日まで) 。ガボンは、人口124 万人。旧フランス植民地諸国の中央アフリカ、カメルーン、コンゴ、チャドと共に、CFAフランを使う「中部アフリカ関税経済同盟」を形成する。ガボンには600人のフランス軍が駐留する。ドイツ国防省は、この派遣により、「第2次世界大戦後初めて、ドイツ戦闘部隊が演習目的でアフリカに送られた」という言い方をされることを激しく拒否した。あくまでも訓練であり、アフリカの気候に慣れ、いかなる不測の事態にも備えることが目的、と国防省はいう。だが、オマール・ボンゴ大統領は「アフリカで最も金持ちで、腐った人物」と評され、「フランスほど、アフリカで評判の悪い国はない。独裁統治のガボンは、フランスの最後の砦の一つである」と酷評されている(die taz vom 2.10.1997,S.1,12)。そんなガボンで、なぜ訓練しなければならないのか。なぜドイツ軍がアフリカの気候に慣れる必要があるのか。93年ソマリア派遣のときは、人道援助を実施する衛生・輸送部隊の警護目的で少人数の歩兵部隊が派遣された。今回は人道的派遣ではなく、戦闘部隊の、戦闘訓練のための派遣である。この間、ドイツは、軍事紛争に介入したり(旧ユーゴ)、「邦人救出」で軍隊を投入したり(アルバニア)、英米仏の軍隊と同じような軍事的パフォーマンスが目立つ。クラウス・ナウマン元・ドイツ連邦軍総監が提唱した「普通の国」化への道の具体化である。その先には、国連常任理事国のポストがある。ポスト冷戦時代になり、国連常任理事国のポストを狙うドイツと日本。90年の湾岸危機の際、東地中海に掃海艇を派遣したドイツに、日本の外務省高官は「やられた」と叫んだという。その半年後、日本もまた、無理な法的操作を行って、掃海艇を湾岸に派遣した。この流れでいくと、新ガイドライン具体化のなかで、自衛隊の派遣対象国に、「意外な国」が挙がってくるかもしれない。