8月6日を前にして 1998/8/3

写真1


週5 日間広島に滞在した。年1度のエリザベト音楽大学での集中講義のためだ。知人・友人・教え子たちとの「夜の部」は、私の活力源になっている。今年は税務大学校広島で法学を教えた学生2名が「もぐり」で講義に参加。「夜の部」で「大蔵事務官・○○税務署」の名刺を出して、「水島先生の追っ掛けをやっています」と自己紹介したのにはまいった。最終日、帰りの便まで多少時間があったので、段原の骨董品店街に立ち寄る。比治山の影で原爆の直接被害を免れ、昔の面影を残している地域だったが、近年の再開発で様相は一変した。古道具屋がすべて小奇麗なビルの中に入っている。かつての風情はない。昔から何度か足を運んでいる店で、陸軍の94式発煙弾発射筒などを買い求めたあと、ふと2 階を見ると、何とアメリカ製ゴジラの巨大な人形が顔を出しているではないか。最近出来たというその店は米空軍マニア専門店。F16パイロット用ヘルメットから各種飛行ジャケット、F15のフライトマニュアル等々。NASA要員のジャケットまである。かなりオタッキーだ。店主は米退役軍人の家を直接訪ねて、各種ワッペンの着いた「実物」を買い求めてくるという。ショーウインドの中を見ると、B29の爆撃照準装置がある。かなりの値が付いている。エノラゲイ(原爆投下機)も同種類のものを装備していた。「おやじに見せたら、露骨に不快な顔をしましたよ」と店主。広島の年輩の人なら当然の気持ちと思うが、30代の店主はくったくがない。現地で米空軍の各種装備品を収集する際の苦労話を一方的に続ける店主をよそに、私の関心は爆撃照準装置の横にある布製のものに向いていた。それは1944年の布製地図。タイトルはOSAKA。四国から広島まで入っている。米軍パイロット用で、軍事施設には印が付いており、地名も詳細だ。退役軍人の一人が、「お前の住んでいる広島も入っているからこれも持っていけ」と売ってくれたそうだ。私の関心をひいたのはもう一つ。1951年4 月製の大きなハンカチ様のもの。米国旗の下に、パイロットの保護を求める文章がさまざまな言語で書いてある。不時着時あるいは墜落・脱出時に使う。独・仏語、日本語のほか、ロシア語、中国語、ハングル、アラビア関係も2種ある。朝鮮戦争中のものだが、さすがに全世界をまたにかける米軍。その周到さには恐れ入る。米軍は自国将兵の生命・安全のためには何でもする。その「人間尊重(ただし自国民だけ)の戦争」の手法を如実に示すグッズだ。この2 点を買い求める。もうすぐ8 月6 日がやってくる。53年が経過し、ヒロシマをどう語り継いでいくかの方法論も大切になってきた。私は8 月22日の第6 回「ヒロシマを語る」にパネラーとして参加する。最新作「広島に原爆を落とす日」の公演を広島で成功させたつかこうへい氏らと、その点をじっくり議論したいと思っている。