「壁」がなくなって10年(その1) 1999/11/8 ※本稿はドイツからの直言です。


ルリンには中央駅(Hauptbahnhof: Hbf)が2 つある。西の動物園駅と、東の中央駅。その間、特急(ICE) でも14分かかる。この夏日本から来た友人は、旅行社が用意したチケットに東駅の到着時間しかなかったため、慌てて動物園駅で下車したそうだ。

  11月9日で「ベルリンの壁」崩壊から10年。このところ、テレビや新聞・雑誌では、このテーマの特集が目立つ。ネタ切れの感もあるが、意外な事実の発掘もある。「東欧はアレクサンダー広場から始まる」という地味なレポートが印象に残った(taz vom 13.9,S.19) 。91年に私はアレクサンダー広場前の高層住宅に住み、統一直後の激動する社会と法状況を「定点観測」したことがあるので興味深く読んだ。レポートは、2つの駅の描写から始まる。東駅6番線にポーランドからの特急列車が停車し、ポーランド人が降りる。ほとんど無人の列車が動物園駅に向かう。一方、ケルンやボン方面からの特急列車が東駅1番線に着くが、降りたのは10人足らず。乗客の平均75%が動物園駅で降りてしまうためだ。ポーランド人にとって、西駅までの15マルクがおしいというより、昔からの知り合いの家に泊まる人が多いからだ。東駅は「ポーランド的ベルリン」とされる。一方、西駅で降りるドイツ人はライン・ルール地方から来た人々だ。東に用事のある人は少ない。観光客の大半もここで降りる。「壁崩壊後10年、ベルリンはなお分割された都市のままだ」。
   Forsa世論調査研究所によれば、西ドイツの人々(16歳から49歳まで) の43%が、今まで一度も新しい5州(旧東ドイツ)に行ったことがない(Die Welt vom 30.9) 。「我々ドイツ人は世界一の旅行好きだ。モルジブ、フィジー諸島、灼熱のサハラ砂漠、極寒のアラスカであろうと、ドイツ人はすべてを見てきたし、我々に秘境は皆無だ。だが、周り尽くした地球上にただ一つ、西ドイツ人がまだ立ち入らない秘境がある。それが東ドイツだ。彼らにとって、マクデブルク〔先月私が行ったザクセン・アンハルト州の州都〕はスペインのマヨルカ島より遠い」。東の人で1 度以上西を訪れたことのある人は90%を超え、しばしば訪れる人は61%に達するのに、その逆は19%にすぎない。西の人の半数近く、東の人の1割が、壁崩壊後の10年に一度も旧東西ドイツ国境を超えていないことになる。「見えない壁は依然として存在する」という月並みな表現も可能だが、東に行かない西ドイツ人にインタビューした記事を読むと、「ただ関心がないだけ」という人が多い(Welt am Sonntag vom 26.9)。休暇には、きれいで楽しいところへ旅行する。10年間、東ドイツが自分たちの旅行計画に入らなかっただけというわけだ。
  一般庶民にとっては、「壁」があろうとなかろうと、日常生活に変わりはないという。「壁崩壊10年」と騒ぐのは、マスコミとインテリだけという醒めた見方もある。東からは「昔の方がよかった」というオスタルジー〔東(Ost) のノスタルジー〕が語られ、西からは、東の復興に金がかかりすぎるから止めるべきという批判が聞かれる。両方から「壁をもう一度」という冗談ともつかぬことが言われることがある。

  私自身、東部に何度も出かけたが、91年滞在時と比べるとはるかに落ち着いてきた(もちろん州や都市により程度は異なるが)。偶然泊まったハルツ山系の小さな町のホテルは、驚くほどきれいで、対応も親切で、快適だった。コルビッツ原野で出会った人々も、心やさしい、ポジティヴに生きる人々だった(前回「直言」参照)。いま書斎の窓から、学校帰りの小学生が見える。彼らは「壁」崩壊後に生まれた世代だ。「壁」がなくなって10年。日本の旅行者はもっと東ドイツを訪問したらいいと思う。整備され尽くされていない分、「古きよきドイツ」が残っている。「壁」崩壊については、次回も述べよう。

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