総選挙の結果と「政治の言葉」  2000年7月3日

相がまだ「欠けたとき」(憲法70条)にならない段階で、首相の地位をかすめ取った男が、何と「第二次内閣」を組閣する。今回の総選挙の結果である。私はこの男をまったく評価しない。早大出身者と言われるたびに、不快感がつのる。この男は、小渕前首相の葬儀の際、近くにいた奥島孝康早大総長に対して、「奥島!悲しいな」と言ったそうである。奥島総長はこの男より少し年下だが、大学時代に面識があったわけでもなく、突然呼び捨てにされ、さぞ驚いたことだろう。一方、先日の早大関係者の会合に参加した田中真紀子氏は、「腰が低く、寡黙な人」という印象を与えたという。選挙民やマスコミの前では果敢に吠えても、母校の関係者の前では、一校友として謙虚に振る舞う。普通の感覚の持ち主なら、このくらいの使い分けはするだろうし、田中氏の場合、そのコントラストがもたらす効果を誰よりも知っている。それに比べて、この男の無神経さは際立っており、それを自覚していない分、よけい救われない。政治家はまさに「言葉」が命である。だが、この男にかかっては、すべての「言葉」が「音」となる。言葉が軽い、重みがないという程度ならまだいい。「言語明瞭、意味不明瞭」という竹下元首相が死んだが、いま首相をやっている男が発するのは言語でさえなく、思考を経由しない、単なる「音」にすぎない。口から出て、空気中に煙のように消えていく。だから、それを活字化して、論理矛盾を突くことがそもそも無理なのだ。まさに「幽弁」である。
  ところで、言葉が軽くなったという点では、今回の総選挙で後退した共産党も同様である。この党は政権党に対する徹底した批判的姿勢が評価され、国民のなかに一定の支持を広げてきた。ところが、昨年、「日の丸・君が代」をめぐる鋭い緊張関係のなかで、党幹部が法制化について軽率な発言を行い、国旗・国歌法制定を促進する役回りを客観的に演じてしまった。最近では、「有事」の際は「自衛隊を使っても構わない」という不破委員長の発言がある(『朝日』6月8日付)。27年前に打ち出した「民主連合政権」下の安全保障政策と同じで一貫したものと説明しているが、政権のありようも、安保条約との関係も異なる場面でのことであり、「自衛隊の自衛機能〔!〕を活用するというのは一貫した立場です」(『しんぶん赤旗』6月13日付)としてしまう、概念の使い方の甘さも問われるべきだ。この党の憲法9条論への疑問は依然として残る。また、「皇太后」の死に際して参議院で「弔詞文」を決議したが、この党は初めてこの種の決議に賛成した。価値評価は別にして、この党が長年貫いてきた姿勢は、象徴天皇制のありようを問い続けるという意味で、一つの役割を果たしてきた。11年前の昭和天皇の死のときは、「院議で弔詞を『奉呈』することは旧大日本帝国憲法を踏襲する慣例で、憲法の主権在民の原則に背く」として弔詞文の起草委員会設置に反対。本会議での議決にも欠席した。今回賛成にまわった理由を、志位書記局長はこう説明する。「今の憲法を守る限り天皇制と共存していく立場であり、象徴天皇制も国の機構だ。それに担う方が亡くなられたので、当然弔意を表す意味で賛成した」(『朝日』6月20日)と。長年にわたるこの党の言動からすれば、いかにも恣意的な見解である。なお、地方にはためらいもあるようで、例えば高知県議会の共産党議員団は、「特別、異常な扱いをすることは時代錯誤として厳しく批判される世相」だとして、議員起立に反対。南国土佐の意地を見せた(『朝日』高知県版6月23日)。今回の総選挙における国民の判断のなかには、党幹部の最近の言動への批判も含まれていると見るべきである。えげつない共産党批判ビラが出たのは事実だが(そのこと自体、選挙運動のありようとして問題だが)、議席減をその「謀略ビラ」のせいにするのは、あまりに国民の判断を甘く見ていると思う。

  さて、自民党から共産党まで、政治的「軽チャー」ブームのなか、7月1日、尊敬する宇都宮徳馬元参院議員が亡くなった。93歳。自民党代議士10期。金大中事件とロッキード事件の曖昧な処理に抗議して自民党離党、議員辞職。宇都宮軍縮研究室を主宰。私財を投入して『軍縮問題資料』誌を発行し続けた。私の論文も 93年以降4本掲載されている。「核に殺されるより、核に反対して殺される道を私は選ぶ」(坂本龍彦『風成の人・宇都宮徳馬の歳月』岩波書店)。重い言葉を発する貴重な人をまた一人、私たちは失った。

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