極右政党の違憲訴訟と民主主義 2000年9月4日

チカルという言葉を知った。日本ナチ・カルチャー研究会の『ヒトラーの呪縛』(飛鳥新社)なる本。この国の随所に、実におおらかにヒトラーやハーケン・クロイツが存在する。町の本屋にもナチ本がある。ネット上にも「ナチショップ」があって、さまざまなナチグッズが買える。ドイツでは8月7日、http://www.heil-hitler.deというサイトがドメイン名登録を削除された。当局の直接規制というより、プロバイダーの「自主規制」によるものだ。ナチスの旗やマークの使用、掛け声・挨拶などは刑法上の犯罪となるが、ネット上の「憎悪サイト」の法規制はそう簡単ではない。

  ところでドイツでは、極右による外国人襲撃・テロ事件が続出している。7月27日には、デュッセルドルフ市内で爆弾事件が起こり、10人が負傷した(一人は妊婦で胎児が死亡)。旧ソ連圏から来た人ばかりが故意に狙われ、6人はユダヤ人だった。この事件が引き金となって、極右政党の国民民主党(NPD)を違憲政党として禁止する動きが進んでいる。基本法21条2項は、「目的や党員の行動からみて、自由な民主主義的基本秩序を侵害もしくは除去し、またはドイツ連邦共和国の存立を危うくすることを目指す政党は違憲である」とし、違憲か否かの判断を連邦憲法裁判所に委ねている。違憲判決が出れば、その政党は解散させられ、党財産は没収。党員が別の組織を結成して活動を続けると処罰される。これまで、1952年に社会主義ライヒ党(SRP)が、1956年にドイツ共産党(KPD)が違憲判決を受け、解散させられている。ただ、目的や党員の行動の立証の困難さから、政党禁止は長らく使われないできた。93年9月、自由ドイツ労働者党(FAP)の違憲提訴が実に42年ぶりに行われた。私は94年段階で、「戦闘的民主主義」の打撃方向は「左」から「右」にシフトしたと評価した(拙稿「ドイツの『戦闘的民主主義』と政党制」森英樹編『政党国庫補助の比較憲法的総合的研究』柏書房所収)。

  そして今回、60年代からの懸案であったNPDについて、いよいよ違憲提訴が行われようとしている(政府専門委員会で検討中)。世論もマスコミも政党禁止やむなしの印象が強い。そのなかで、ハンブルクの法律家H. Meierは、「禁止の代わりに論争を」(Streiten statt verbieten)という論文を発表。NPDと対決するために政党禁止制度を使うべきではない、と提訴に反対する。この制度は「潜在的に、あらゆる反対派の自由を危うくする」というのが主な理由だ(die taz vom 24.8)。Meierには467頁の大著『政党禁止と民主的共和制』(Parteiverbote und demokratische Republik, Nomos Verlag 1993)があり、この制度を批判的に検証している。今回の論文でMeierは、NPDの危険性の過大評価を戒める。外国人敵視傾向は確認できるものの、それだけで「ネオナチ政党」と断定することはできない。政党禁止は「支配的国家・社会秩序に対する反対派をあまねく抑圧するおそれ」があり、「憲法忠誠を欠いた政党を排除する特別の権限を国家に与えるものだ」と批判。「予防的憲法擁護の極端にイデオロギー的な道具」としての政党禁止を使わずに、具体的な暴力行為には警察や司法で対処すべきで、政党の党員が他人の生命・身体を系統的に脅かすような行動に出た場合に限り、当該政党は禁止されるべきだとの限定解釈を展開する。どこかオウムに対する破防法適用の議論を想起させるが、Meierの結論は、22年前に同じテーマを扱った私の修士論文「西ドイツ政党禁止法制の憲法的問題性」の結論に近いもので、共感を覚える。

  極右団体は114団体、53600人。このうちネオナチは41団体、2400人と言われる(98年VSデータ)。NPD禁止だけで極右暴力はなくならないし、むしろ「民主主義にとっての劇薬」として働くことが危惧される。ザールラント州首相(CDU)や元法相(FDP) はNPD禁止提訴に反対しており(Frankfurter Rundschau vom 31.8) 、10月半ばに出る政府専門委員会の結論が注目される。なお、先週、ザクセン州のゼブニッツという人口1万人の町が全国にその名を知られた。昨年9月の地方選挙以来、自民党(FDP)議員が、NPDと他の小政党の議員と3人で議会の小会派を作っていたのだ。NPDの議員は財務委員会に所属。よい提案も行って同僚の評判もよく、民主社会主義党(PDS=共産党)の議員でさえ「何が問題なのか」と述べたという。ところが、NPD禁止の動きのなかで、中央から圧力がかかり、この田舎の小会派は結成1年足らずで消滅した(die taz vom 25.8)。極右の暴力といかに向き合うか。ドイツの民主主義はいま、21世紀を前に難問に直面している。

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