靖国「公式参拝」はなぜ問題か  2001年8月6日

年生の法学演習では年に2回フィールドワークをする。前期は靖国神社遊就館(現在改装中)と憲政記念館などをまわる。今年は日程の都合で、7月最後の授業をそれにあてた。35度を超える炎天下、学生たちを連れて巨大な鳥居をくぐる。黄色い提灯(献灯)がびっしりと並ぶ提灯、提灯、提灯…。最初は個人名の献灯が中心だが、本殿に近づくにつれて、旧軍の部隊名の献灯が多くなる。そしてメインの場所には、政治家たちの献灯がびっしり。中曽根氏だけ2個。どこでも目立ちたがる人だ。毎年7月13日から16日まで行われる「みたま祭」みたま祭。靖国神社には246万6000柱の「みたま」が祀られている。かつて愛媛県はこの祭に、計4回3万1000円を公費支出した。最高裁は、愛媛玉串料訴訟判決のなかで、この「みたま祭」への支出も憲法違反と判断した。「みたま祭」は「靖国神社の祭祀中最も盛大な規模で行われ」、いずれも「神道の祭式にのっとって行われる儀式を中心とする」もので、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持った」ことは明らかである、と。そして最高裁はいう。「地方公共団体が特定の宗教団体に対してのみ本件のような形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別なものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ない」。したがって、玉串料や「みたま祭」に公費を支出することは、その目的が宗教的意義をもち、その効果が「特定の宗教団体に対する援助、助長、促進」になると認められ、「我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超える」ものであり、憲法20条3項の禁止する宗教的活動にあたり、また89条が禁止する公金支出にあたると判断した(最高裁1997年4月2日大法廷判決)。判決は評価に値するが、欲を言えば、目的・効果基準を使わず、特定宗教団体の行事に対する直接の公費支出として、ストレートに憲法89条違反を導いた方が、判断の仕方としては妥当だったと思う(園部判事の補足意見。高橋・尾崎両判事の意見も重要)。

  ところで、愛媛玉串料訴訟で違憲と判断されたのは、県知事の行為である。国の機関である首相が靖国神社を訪れ、そこで「自分の気持ちをあらわす」ことは憲法上どう評価されるか。個人として、目立たないように参拝する分には問題はない。個人の自由である。だが、首相である間は、私的場面は限定されざるを得ない。私的と主観的には思っても、社会に与える印象や意味合いは常に「公的」である。では、正面から首相としての公的資格で参拝すればどうか。これは、特定の宗教法人の祭神に対する拝礼という宗教的活動にあたることは明らかであり、下級審の判例もその違憲性を鋭く指摘している(特に仙台高裁判決1991年1月10日)。ただ、靖国神社への公式参拝が問題なのは、それが宗教施設であるからだけではない。靖国神社が単なる宗教施設ではないことも重要なのである。
  戦前、陸海軍省が神官の人事権も含む完全な管理権を持ち、合祀基準も「名誉の戦死」のみで、民間人のみならず、戦病死や自殺なども合祀されなかった。敵前逃亡で銃殺にされた兵士の魂も、広島・長崎の原爆犠牲者も東京空襲などで死んだ人々も入れない。魂の選別(セレクト)が厳格に行われているからだ。人の魂が「招魂の儀」を経て「神霊」と化し、その「忠魂」を慰霊するところに、靖国神社の際立った特徴がある。「みたま」とは普通の人の魂ではなく、国家に忠誠を尽くして亡くなった「忠魂」だけを意味する。注目すべきことは、246万6000柱の「みたま」は無限に増殖する。こんな神社は他にない。「国事に殉ぜられた人々を奉斎」(靖国神社規則[1952年] 第3条)するわけだから、自衛隊員が周辺事態出動で死亡すれば、ここに入る。合祀は拒否できない。靖国神社の地方出先が護国神社だが、夫の殉職自衛官がここに合祀されるのを拒否してクリスチャンの妻が起こした訴訟は、あまりに有名だろう(自衛官合祀訴訟)。名前のついた木靖国神社の境内のすべての木々には部隊名がついている。靖国神社は軍事的施設(正確に言えば、国家イデオロギー装置)であったし、いまも意識と儀式の点では連続性を保っている。新しい戦争を精神的に準備する施設でもある。だから、首相の公式参拝というのは、政教分離原則違反と同時に、平和的生存権の観点から見れば、国民の精神生活の軍事化という問題をも含んでくるのである。
  「靖国の宮に、み霊は鎮まるも、をりをりかへれ母の夢路に」(1936年NHK国民歌謡)。この歌を作詩した大江一二三は、茨城大学名誉教授大江志乃夫氏の父親である。大江教授はその著『靖国神社』(岩波書店)のなかで、あれほど母思いだった青年の魂だけでも「をりをり」ではなく、永遠に母のもとに帰ることをなぜ国家は認めないのか、と問うている。母思いの青年とは、中国戦線で戦死した一人の見習い士官のことである。彼の血まみれの軍服から出てきた母の写真の裏には、「お母さん、お母さん、お母さん」と24回も書かれていたという。靖国神社はそうした青年の魂をも、軍服を着せたまま閉じ込めている。国家が起こした戦争の犠牲者の魂を、彼らが最も帰りたかった各自の家庭に返すべきである。もちろん、「靖国で会おう」という言葉を信じて、靖国で慰霊することに心の安らぎ・納得を求める遺族もいる。その慰霊の気持ちを大切にするならば、靖国神社に首相が「公式参拝」して、政治的対立を生むこと自体が、それらの人々が静かに慰霊にすることを妨げるものだろう。亡くなった人々に対して哀悼の気持ちを示すこと。この最もナイーブでデリケートな営みを、各自の心の内側の自由に委ねることが大切なのだ。公権力はその場に介入してはならない。国民の問題ではなく、個人の問題なのである。
  自民党第2代総裁・首相(1956.12.23〜1957.2.23)石橋湛山は、戦前から徹底した個人主義者として知られた。ラフな恰好をしてソバ屋にブラッと入ったり、オペラに行ったり、という今時の首相の「個人趣味」とは質が違う。思想的に深められた個人主義だった(以下、『石橋湛山評論集』岩波書店など参照)。だから石橋はこう言い切る。「人が国家を形づくり国民として団結するのは、人類として、個人として、人間として生きるためである。決して国民として生きるためでも何でもない」。石橋が戦後、靖国神社の廃止をいちはやく主張できたのも、徹底した個人主義の思想が背後にあったからだろう。石橋は自民党総裁と首相に就任したとき、「五つの誓い」を発表した。そのなかに「世界平和の確立」がある。石橋は後に発表した「日本防衛論」のなかでこう述べる。「わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす。したがって、そういう考えをもった政治家に政治を託するわけにはいかない」と。小泉首相の「熟慮」のなかに、石橋の言葉は加えられるのだろうか。