雑談(11)私の健康法  2001年8月20日

治家で50代は「若手」である。研究者の場合、30代後半から40代前半でも若手である。企業や官庁では20代だろう。これは就職する年齢とも関係している。大学教員の場合、講師や助教授に就職するのは30代が多い。私は助手と専任講師の経験はない。大学院で論文を書きながらバイトで食いつなぎ、助教授採用が決まったのは29歳だった。でも、赴任時には30歳になっていた。この年齢は、企業や官庁だったら、就職後8年以上経過しており、もはや若手ではない。研究者の場合、逆に定年は遅い。私の場合は70歳。あと22年ある。どこまで生きられるかわからないが、生涯現役でいきたいと思っている。
  さて、政治家は、俳優や歌手と同様に、年齢よりも若く見える。「若さ」を保つ秘訣は何か。一つには、「本人にとってよい緊張感」を持続させることだろう。その背後には、「あくなき好奇心と探究心」がある。やっていることの中身は別にして、総裁選などで動きまわっている政治家たちの顔は、実に生き生きしていて、色つやもいい。テレビ座談会などで何度か政治家とご一緒したが、大臣経験者で70歳を超える方でも、すぐ近くで見ると実に血色がいい。声にもはりがある。やっていること、言っていることは別にして、年齢に負けないオーラは確かにあった。
  「若さ」を保つもう一つの秘訣は、「見られている」ことだろう。俳優やタレントが野球帽を目深にかぶって、夜なのにサングラスをかける。最初から「見られている」のを意識しているから、逆にその不自然さゆえに、すぐばれる。私も札幌と広島の時代、コンビニで弁当を買っても、飲み屋に行っても、「あっ、先生!」なんて言われる。ススキノでゼミコンパの帰り道、あるコンビニで週刊誌を数冊買った時のこと。店員が「先生、おばんでした」と言うので、並んでいた客は一斉に私の顔と手元を見た。もしこの時、H系が一冊でも混じっていたらと思うと、ヒヤッとした(笑)。だから、札幌でも広島でも誰かに「見られている」という意識を常に持っていた。大教室で講義するから、こちらは一人ひとりの顔を知らなくても、向こうはこっちの顔をばっちり覚えている。狭い地方都市の場合、こちらの「素性」を知る人間に出会う確率は、東京よりもずっと高い。どこの大学でも、大講義の担当教員はみな同様の体験をしている。程度の差こそあれ、タレントが野球帽・サングラスをかぶるのと似た心象風景である。この「見られている」状態は、無数の目が注がれることを意味する。人の目が発する「気」を受けとめている間は、若さが保てるわけだ。政治家も同じだろう。マスコミに追われ、選挙民に手をふっている間、彼らは生き生きとしている。議員を辞め、誰にも注目されなくなった政治家の老い方は、通常の人よりも急速である。だから、大学教員も好奇心・探究心を持続しつつ、常に学生・院生に真正面から向き合い、そのパワフルな「気」を受けとめていれば老いることはない。 ごくたまに「先生の健康法は何ですか」と問われることがある。人に話すほどの健康法などない。強いて挙げれば、まず、犬の散歩を日課にしていること。東京競馬場周辺がコースだが、けっこう緑が多く、快適である。競馬帰りの学生たちに何度か出くわしたが、その時の彼らの驚いた顔はよく覚えている。それと、ダンベル体操。各6.2キロを両手に持って屈伸をしたり、両手を開いたりする。けっこうパワーを使う。さらに、集中睡眠と野菜。「遅寝早起き」の励行で、寝床に入って数秒後には眠りに落ちる。短いが、集中した睡眠がとれる。食べ物の好き嫌いもなし何でも食べる。特に野菜を重視している。10年前のベルリンでの単身生活の時、アレクサンダー広場の八百屋(旧マルクト・ハレ内)で、いつも白菜や大根をたくさん買って、浅漬けなどを作っていた。また、広島大学時代に5年間単身赴任生活をしたが、必ず自分で食事を作り、野菜を欠かさなかった。近所の農家の方が新鮮な野菜をくれたので助かった。いただいた大根には長い葉っぱがついており、それを捨てずに炒めたり、味噌汁の具にしたりしていた。いまは妻がやってくれているが、とにかく野菜をたっぷりとること、これは大事な健康法の一つである。最後に、「何でも楽しんでしまうこと」。そういう心のありようが、身体の健康につながると信じている。東京に戻ってから、ずっと「一輪車操業」状態だが、こういう心のありようを保つことが、病気をしないで過ごせている最大の秘訣かもしれない。