マザリシャリフの大虐殺  2001年12月3日

キスタンにいる友人から、地元英字紙『ニューズ』11月29日付の写真がメールで送られてきたAP通信の記者が撮ったもので、北部同盟の兵士が、死んだタリバーン兵の口を棒でこじ開け、金歯を抜き取るシーンである。マザリシャリフ近郊の捕虜収容所(中世の要塞)における「暴動」直後に撮影されたものといわれる。
  『朝日新聞』25日付夕刊によれば、24日にタリバーン側から1300人が投降。そのうち600 人が外国人義勇兵で、彼らはその捕虜収容所に連行された。それを知ったパキスタンのムシャラフ大統領は、「捕虜が非人道的な復讐の対象になってはならない」として、投降した義勇兵の安全確保を国連、米英軍、赤十字などに要求した(義勇兵の多くはパキスタン国籍)。しかし米英軍は「祖国への帰還を許してはならない」と、捕虜の扱いを北部同盟に委ねた。そうしたなか、25日に捕虜収容所で「暴動」が起き、多数のタリバーン兵と義勇兵が死んだ。『朝日』28日付によると、「暴動」開始直後に米陸軍の特殊部隊がかけつけ〔何と手回しのいいことか〕、米空軍機に爆撃目標を指示したという。米軍機が投下した爆弾が目標をそれ、北部同盟陣地近くで爆発。米兵5人が負傷するというハプニングも。独紙『フランクフルター・ルントシャウ』30日付は、「大量虐殺(Blutbad) の疑惑、アメリカにも 反乱鎮圧か、タリバン虐殺か?:捕虜収容所事件後、批判にさらされる北部同盟とアメリカ」という見出しで、事件を詳しく伝えている。それによれば、奪った武器で抵抗する捕虜たちに対して、米空軍機が30機以上で空爆を行ったという。当初は700人近くが死んだとされたが、現段階では450 人という数字が出ている(taz vom 30.11)。抵抗を抑圧するというより、皆殺しに近い。そこにブッシュ政権のある種の戦略(「未必の故意」以上のもの)を感じる。

  ところで、30日付『朝日』国際面の「戦争の現実」という囲み記事は、散乱するタリバーン兵の死体を足げにしてポーズをとる北部同盟兵士の写真を軸に、4本のベタ記事で構成されている。地味な手法だが、それぞれのエピソードが響き合って、戦争の本質をあぶりだす。金歯を抜く北部同盟兵士のことも、そのうちの一本にある。他に、南部カンダハルで、パシュトゥン人武装勢力が、投降を拒んだタリバーン兵160人を一列に並べ、自動小銃で殺害したという記事もある。ロイター通信によれば、この時、8人の米軍人が現場にいたが、「処刑を阻止しようとして失敗した」という。アフガン後を見通した時、抵抗勢力をできるだけ減らして安定化を狙うのがアメリカの戦略という見方もある。1989年のパナマ侵攻作戦でも、麻薬取引の疑惑でノリエガ将軍を逮捕することが当初の目的とされたが、実はパナマ運河条約期限切れを前にして、パナマ運河の管理を行うパナマ国防軍を解体して、米軍が一元管理を行うことが真の目的だったというのが真相に近い(NHKスペシャル「パナマ侵攻作戦」)。なお、南部カンダハルの虐殺に関する『朝日』記事は、武装勢力の司令官が「タリバーン兵を処刑した」という下りの「処刑」という言葉に括弧を付けている。きちんと裁判にかけ、手続きを踏んで死刑にするわけでないから、これは処刑ではない。ただの虐殺である。この記事の括弧の使い方は適切といえよう。捕虜を一列に並べて射殺することは、捕虜の扱いを定めたジュネーブ条約に違反する行為である。すでに人権NGOのアムネスティー・インターナショナルがマザリシャリフ事件に注目して、その調査を求めている

  さて、テロ事件以降、アメリカは「反テロ戦争」という名目で、アフガンに大量の爆弾を落としている。26日になって、ブッシュは「アフガンは始まりにすぎない」と唐突に述べた(『朝日』28日付)。映画のコピーのような安手の言葉だが、その意味を考えるとおろしい。政府高官たちも、「イラクは米国の安全保障上の脅威である」(ライス補佐官)などと述べ、アメリカの戦略の基本方向が、アフガンを超えてイラクの方向にシフトしていることを示唆する。「テロ対策」は単なる口実だったのか。世界各国を「ブッシュの戦争」に巻き込む「高等戦略」の第一ステージの終了は近い。

  そこで思いだしたのだが、4年前、この直言コーナーで「ペルー日本大使公邸の大量虐殺」を掲載したことがある。長期にわたる粘り強い交渉が成功しかかっていた矢先の強行突入。フジモリ大統領(当時)自ら陣頭指揮をとり、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)のメンバー全員を殺害した。フジモリは一躍「英雄」になった。だが、強行解決の裏に、無抵抗の少年ゲリラまでも殺害した、ペルー軍による残虐行為が隠されていた。その後の「英雄フジモリ」の末路は承知の通りである。保安官きどりのブッシュも、いずれ真実が明らかになればフジモリ同様、評価が逆転することになるだろう。91年湾岸戦争もまた、中東の石油支配をめぐる「仕掛けられた戦争」の疑いが強い(ラムゼイ・クラーク『ジョージ・ブッシュ有罪』柏書房など参照)。10年をかけて親子二代にわたり、中東から邪魔者を駆逐して、自らの一元支配を獲得する。まさに「帝国の論理」である。いま、世界は徐々にブッシュの強引な手法から離反しはじめている。ペルーのフジモリ同様、いずれブッシュ(父親も含め)の責任が追及される時がくるだろう。

  「マザリシャリフ」という地名は忘れられるべきではない。

トップページへ