たかが一人、されど一人 2002年3月4日

年前に「もう一つの第9条」を書いたオリンピック憲章第9条1項「オリンピック競技大会は、個人種目もしくは団体種目での競技者間の競争であり、国家間の競争ではない」。オリンピックの実態は、この第9条の内容とあまりにかけ離れている。オリンピックそのものが金と国家主義にまみれたスポーツショーとしての歴史をもつことは否めない。今回のソルトレーク冬季五輪は、1936年のベルリン五輪(別名・ナチス五輪)と並んで、五輪史上に残る「汚点」(あるいは本質)として記憶されるだろう。1936年8月1日、第11回ベルリン大会は、ヒトラーの開会宣言で始まった。ナチスはベルリン五輪を徹底的に利用した。
   ソルトレーク五輪でもまた、平和の祭典の理想とはほど遠く、「ブッシュの戦争」を正当化する露骨な演出が行われた。貿易センタービルの破れた星条旗を入場の際に使い、観客席も星条旗で埋め尽くされた。大統領ブッシュは米国選手団のなかに入って、米国礼賛の愛国的熱狂のなかで開会宣言を行った。米国の国歌が流れたとき、ブッシュとソルトレーク五輪組織委員長のロムニー会長は右手を胸にあてて敬礼したが、国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長だけは敬礼しなかった。あまりに米国中心主義、愛国主義の突出に、世界は眉をひそめた。特にブッシュの開会宣言は、歴史に残る最悪のものだった。さすがのヒトラーでさえ、オリンピックの普遍主義への敬意を表したのに、ブッシュはオリンピック憲章で定められた宣言文の前に、「誇り高く、優雅なこの国を代表して」という愛国的な言葉を付け加えたのだ。オリンピック憲章69条「開会式および閉会式」の細則1-9 は、国家元首は開会宣言に、「私は○○(開催都市の名前)で開催する第○回オリンピック冬季競技大会の開会を宣言いたします」という短い文章を指定している。ブッシュはこの原則を破った。この最悪の開会式は、その後の競技の中身にも反映した。判定における不正、米国優位の偏向判定は、世界中でテレビ観戦している人々の心を次第に冷えたものにしていった。米国にメダルをもたらして国威発揚をはかる演出のなか、オリンピックを政治的に歪めた罪は重い。オリンピック憲章第9条の理念が現実と乖離していることは分かっていたが、ここまで露骨かつあけすけにやられると、「こんなものいらない」のなかにオリンピックを含めたい気分になる。
   2008年北京五輪が中国の露骨な国威発揚の場として使われることが明らかなだけに、人々のオリッピック離れが加速するかもしれない。オリンピックのありようを根本的に問う議論が必要だろう。

  とにかく「祭」は人を変える。市民や個人が突然「国民」になる。この束ねる機能の危なさは、米国自身が「ソルトレークの愚行」で示したことであるが、米国にも批判的な眼差しがないわけではない。前回の直言で紹介したバークレー市議会の決議のようなリベラルな傾向も、米国には存在する。あの9.11直後、ブッシュにテロ報復のための包括的な権限を与えることに対し、下院でたった一人反対した議員がいた。バーバラ・リー下院議員である。上下両院で全会一致という見出しを予定した新聞は、大慌てで「下院ではおおむね全会一致」に修正した。たった一人でも反対すれば全会一致ではない。米国が国際法違反の「ブッシュの戦争」に丸ごと賛成したのではないという良心の証として、リー議員の「たった一人の反対」の意味は限りなく大きい。このことは、テロ後の最初の直言で触れた通りである。
   ちなみに、たった一人で戦争に反対したケースには先例がある。1916年、モンタナ州で米国史上最初の女性下院議員となった共和党ジャネット・ランキン。彼女は1917年、ウィルソン大統領が第1次世界大戦に参戦する戦争宣言に、下院でただ一人反対投票を行った。だが、翌年の下院選挙で彼女は落選した。その彼女は1940年の選挙で再び下院議員に返り咲いた。そして、翌1941年、フランクリン・ローズヴェルト大統領の対日戦争宣言の呼びかけに反対した唯一の下院議員となり、翌1942年の選挙で再び落選した。ランキンは、米国議会史上、二度の世界大戦に反対した唯一の議員となった(セクストン/ブラント『アメリカの憲法が語る自由』第一法規参照)。

  国中が戦争に向けて「国民」的結束をするとき、これに反対するのは勇気がいる。ランキンも直後の選挙で落選し、再選されるまで22年もかかっている。「リメンバー・パールハーバー」の熱狂のなかでは「非国民」にもなりかねない。彼女は再び落選して、議会から姿を消した。彼女は二度までも参戦に向けた国民的熱狂に水をさした。バーバラ・リーがランキンを意識したかどうかはわからない。しかし、米国史上、それぞれの局面で参戦に反対した下院議員が一人いて、しかもそれが女性であったという事実は興味深い。

  たかが一人、されど一人。「国民」が突出して「個人」が消え入る雰囲気のなかで、いま、無数の個人の「小さな声」の大切さを思う。

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