雑談(17)言葉の力 2002年5月18日

こんな話を聞いたことがある。遠洋漁業に従事している漁船員に妻が電報を送った。その電文のなかで、一番短くて、かつ効果的な文章は何か。「愛している」ではない。「待ってるわ」でもない。それは「あ・な・た」だった。凝縮された表現に、いとおしさ、せつなさがこもる。いまはこんな苦労をしなくて、携帯電話や電子メールが普及によって、どこにいても簡単にコミュニケーションをとれるようになった。だが、便利さの反面、失ったものも少なくないように思う。人間関係における「間」の大切さについて書いたことがある。実はいま超多忙のため、携帯電話を持たされている。携帯不所持宣言をした私にとって、これは重大な方針転換に見えるが、名義は妻のものであり、役職期間限定の「寄託」であると説明しておこう(微苦笑)。いずれにせよ、便利なツールでもそれに振り回されるのでなく、主体的に付き合っていくことが肝心だろう。そのためには、一つひとつの言葉を大切にすることである。

  「言葉」に関連して、ここで私が巻き込まれた「事件」を紹介しておこう。4月下旬、私が加入しているあるメーリングリスト(ML)上にウィルスメールが流れた。そのアドレスはasahoだった。管理人は迅速に対応した。だが、全員への警告メールのタイトルは「水島朝穂先生のメールを開けないよう!!! 」だった。仕事先から戻ってメールを開けて仰天した。すぐにウィルスバスターで調べたが、感染はしていなかった。後で分かったことだが、知人がウィルスに感染して、「ウィルスが、差出人を、本人とはわからないように書き換えて送ってしまったものだった。それにたまたまasahoが選ばれたというのである。」管理人は、ウィルス伝播を防ぐという緊急の必要性からasahoメールを開けないよう警告したもので、それで助かった人もいた。だが、「asahoというメールは開けないように」とすべきなのに、「水島朝穂先生のメール」とフルネームで出したところに問題があった。管理人は誠実に対応してくれて、私の「冤罪」はすぐに晴れた。だが、それからが大変だった。何人ものML参加者が「自分は感染しなかった」ということを伝えるために、返信ボタンを押してメールを送信したのだ。その結果、「Re:水島朝穂先生のメールは開けないように!!! 」というメールが続々届いた。とうの本人は相当傷ついているのに、「冤罪」が晴れた後も同種のメールが複数届いた。激怒した私は、このMLからの脱退を宣言するメールを書いた。しかし、書きおわる直前に、勢いあまって削除してしまった。そこで少し冷静になって、脱退は思いとどまった〔注:本直言は「冤罪」事件直後に書いたもので、多忙時の「埋め草」として今回UPするものである。すでに関係者からは謝罪がなされており、この件は解決済であることを付記しておく〕。
  この「事件」を通して考えたことは、タイトルに付ける言葉一つとっても、ネット時代の便利さ・簡易さは、時に言葉への軽視・安易さにつながりかねないということである。私自身も多くのメールを出しているが、この「事件」以降、Reには注意しているし、出だしや終わりの言葉に失礼はないか、過不足はないか、念には念を入れている。手紙と違って、電子メールはまさに簡易で容易で安易なツールである。本人に何らの悪意はなくても、受け手に与える印象が、怠慢、怠惰、横着、不精というものであれば不幸である。講演や原稿の依頼メール、学生の質問メールに時々この種のものがあるが、やはり初めての出会いである以上、手紙と同様の、あるいはそれ以上の心配りがほしい。

  ところで、言葉を粗末にする傾向は、ネット時代独特の言葉づかいによって加速されている。ここでは2つだけ例を挙げる。顔の見えない、匿名の言葉の暴力。ネットという安全圏で、決して面と向かっては吐けないような粗野で粗雑な言葉を人にぶつける。2チャンネルの世界はまさに「言葉の荒野」と言える。言葉の荒れは人の心の貧しさを映し出す。言葉それ自体が負のオーラに満ちている。例えば、ネット上での物言いの一つに、「…って、どーよ」というものがある。例えば、学生たちが集まるサイトで、「○○○○〔教員の名前〕って、どーよ」と一人が書き込むと、続々と荒れた言葉が続く。そして、「逝ってよし」という言葉が続く。「亡国の徒、逝ってよし」というふうに。私も何度も使われた。こんな汚い言葉を面と向かって吐く勇気なんぞこれっぽっちもない小心な連中が、ネット上では実に凶暴に振る舞う。よく車のハンドルを握ると人格が変わると言われるが、ネット上も同様である。

  「言葉の荒野」を嘆いていたとき、知人からこんな話を聞いた。ある高校の先生は、夏休み前に生徒に向かってこう注意するという。「命は落とすな、増やすな、縮めるな」と。海や山で命を落とすなというのはわかる。私も、夏休み前のゼミの最後には必ず、「無事に再会できるよう、十分気をつけて」と呼びかける。だが、「増やすな」という言葉には驚いた。夏休み明けにお腹が大きくなって、産婦人科の世話になる女子高校生が少なくないからだという。でも、「落とすな、増やすな」という二つの言葉がつながるとインパクトがある。言葉の力である。なお、「縮めるな」というのは私が付加したものだ。娘が妊娠したこと(あるいは息子が妊娠させたこと)を知った両親がびっくりして、命が縮まるから(苦笑)。
「落とすな、増やすな」もそうだが、簡潔な言葉でも、人の心を引きつけるものがある。

それでは、インターネット時代らしい終わり方を。
今回も直言をお読みいただいて、
あ(^0^)り(^◇^)が(^▽^)と(^ο^)う(^ー^)