「法による平和」の危機(その2) 2002年8月26日
《常備軍は、時とともに全廃されなければならない。なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。常備軍が刺激となって、たがいに無制限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷になり、この重荷から逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである》 これは、207年前に哲学者カントが著した『永遠平和のために』(岩波文庫)第3確定条項である。最初は「備えあれば憂いなし」だったものが、そのうち「備え」が自己主張を始め、いつしか「備え」を維持するために「憂い」をわざわざ創り出す必要に迫られてくる。カントは、そのあたりの心象風景を見事についている。9.11テロも、存外、カントの主張の正しさを実証する一事例として語られる時がくるかもしれない。
 さて、『永遠平和のために』の第5確定条項にはこうある。《いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない》 第6確定条項はこうだ。《いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者や毒殺者を雇ったり、…敵国内での裏切りをそそのかしたりすることがこれに当たる》 これらは、権力者に対してやってはならないことを命ずる禁止条項である。カントは、第5と第6は例外なく適用され、直ちに禁止を迫る厳格な規範であると述べている。国連憲章は、カントの思想をベースにしてつくられたとされている。国家は軍隊を使って、自分の意思を勝手に押し通してはならないのである。ところが、いまのブッシュ政権はどうだ。まるで駄々っ子である。8月15日に公表された米国防報告には、「米国の防衛には予防的な措置と、時には先制攻撃が必要」と明記された。そこでは、「米国は可能なあらゆる手段を行使する」として、核兵器使用の選択肢も排除されていない。ブッシュ政権は、ある国が米国の安全を脅かすおそれありと判断すれば、その国がまだ行動を起こしていなくても、自らの判断で核を含むあらゆる手段で攻撃する、と世界に向かって宣言したわけだ。しかも、イラク国内における政権の変更(フセイン政権打倒)をイラク攻撃の目的としている。すでに暗殺という手段も実践済だ(すべて失敗)。これらはすべて、カントの禁止命令に違反する。
 米国は「世界の警察官」といわれるが、警察官ならば、まだ法を遵守することが義務づけられている。いまや米国は「暗黒街の帝王」である。怪しいとにらんだ者は、犯罪の嫌疑がなくても身柄拘束をするだけではない。密かに抹殺してしまう。だが、この「法の支配」なんか糞食らえという行動は、米国の法的伝統に対する自殺行為にほかならない。
ブッシュ政権の単独行動主義は国際的孤立を深めているが、国内からの批判にもさらされている。コソボ紛争のときにヨーロッパ諸国を説き伏せて、ドイツをユーゴ空爆に参加させた女傑、マルデリーン・オルブライト前国務長官。彼女は、「ブッシュ政権は口を開けば『法の支配』と言うが、人道への罪や環境分野では、法の支配にアレルギーがある」と批判した(『朝日新聞』2002年5月20日)。
ヨーロッパもまた、米国からゆっくりと離陸を開始したように思われる。そのあたりの事情を、ドイツの平和学者E-O.Czempiel(前・ヘッセン平和研究所所長)は「ヨーロッパよ注意せよ」という論文のなかでこう述べている(die taz vom 9.8.02)。
 Czempielによれば、ブッシュ政権は9.11テロを、その地政学的・エネルギー政策的利益と、イスラエルの右派リクード連合の安全保障理解に役立つよう率先して利用してきた。米国の強大なパワーを、ブッシュの父親(元大統領)とクリントン前大統領は賢明かつ控えめに利用してきた。だが、ブッシュ・ジュニア〔現大統領〕は、右翼保守主義とキリスト教原理主義とミサイル・エネルギー関係ロビイストたちとの連合で踊り、世界政治上の単独行動のために米国のパワーを利用している。軍備管理から離脱し、軍拡を目指している。もともと米国の思考の産物であった国際刑事裁判所からも離脱した。ブッシュ政権は米国を代表していない。ただ、権力についているだけだ。ブッシュにとって、同盟は大西洋の結合ではなく、米国の可動橋にすぎない。コソボ紛争時のセルビア空爆は、NATOの最後のウラー(万歳)だった。アフガンでは、NATOは軍事的には登場しなかった。イラク〔攻撃〕との関連でも、NATOは一度も言及されていない。NATOは、米国が必要に応じて引き出す貯水槽にすぎない。東欧諸国がNATOに次々加盟し、ロシアが米国と直接関係を結ぶことで、もともとの加盟国は新しいNATOの政治的意義についてメリットを感じられなくなっている。ブッシュの選択的世界支配政策はきわめて危険である。それはテロに勝利することはなく、むしろ煽りたてるだけだろう。イラク戦争が起これば、武器と紛争に満ちた地域が、フセイン大統領の脅威と何ら関係なくても騒乱の渦のなかに巻き込まれる。ブッシュの対イラク政策に対しては、「限りない連帯」ではなく、批判的連帯が求められる。ヨーロッパが金を出さなければ、ブッシュは対イラク戦争を遂行することはできない。ヨーロッパの財政力により、世界に新たなる戦争をもたらし、納税者にさらなる負担を強いるところのブッシュの支配欲求を抑制させることができる。安全保障政策上、EUは、見かけほどには無力ではない。EUに欠けているのは、共に行動しようという各国政府の意思なのである、と。
 Czempielの論文の要約を長々と引用したのはほかでもない。ヨーロッパが米国との距離をとりだしたとき、日本はいかなる態度をとるべきかが必然的に問われてくる。小泉首相のように「ひたすら連帯」路線で、米国をどこまでも支援するという態度はもうとるべきではないだろう。秋以降、ブッシュがイラク攻撃に踏み切らないという道を選択する可能性はあまり高くはない。イラク以外に攻撃に最適な国はいまのところない。最近、アルカイダのビデオが突然公表され、毒ガスによる犬の断末魔の映像がテレビに流れた。なぜ今頃こんなビデオ映像が出てくるのか。ドイツの首相がイラク攻撃不参加を宣言するや、ベルリンのイラク大使館にイラクの反体制派が人質をとってたてこもった。誰がみても、イラク攻撃近しの雰囲気作りのための「前夜祭」としか思えない。逆に言えば、これから秋にかけてはいろいろな「事件」が起こるだろう。「不審船」騒ぎももう少し派手に起こるかもしれない。秋にかけて、日本の外交的スタンスが厳しく問われる事態も起こるだろう。日米関係を長期的な視野から考えれば、ここでブッシュ政権に「ノー」を言うことこそ重要だろう。ブッシュ政権の寿命はそう長くはないことを思えばなおさらである。
 スミソニアン博物館には、大統領選挙の際にフロリダ州パームビーチ郡で使われた投票機が保管されている。これで投票用紙にパンチしたため、大量の無効票、疑問票が発生したのだ。米国の不幸、ひいては世界の不幸はここから始まった。この銀色の投票用機械は、「歴史上の機械」として2004年から博物館で一般公開される(『東京新聞』2001年12月16日)。2年後のその時、人々はどういう思いでそれを見るのだろうか。