逝く都市、来る都市 2002年12月30日
の手線の車内広告にこんなのがあった(2001年春頃) 。手帳にメモして忘れていたものだが、最近見つけた。
 「横浜市342万人、大阪市259万人、名古屋市217万人、札幌市182万人、神戸市149万人、京都市146万人、福岡市134万人、川崎市124万人、交通事故の死傷者115万人、広島市112万人、さいたま市102万人(2000 年末現在) 」
 数字が並ぶだけの無機質なポスターで、交通事故の死傷者が川崎市の人口と広島市のそれとの間にあるというもの。私がこの数字を見て改めて気づいたのは、横浜市の人口の多さだった。2002年10月28日現在3500184人となり、ついに350万を突破したそうだ。面積は北海道北見市(人口10万人)とほぼ同じなのに、人口は岡山、島根、鳥取の中国3県を合わせたよりも多い。世界に目を向ければ、横浜市はニュージーランドや中東・レバノンの人口とほぼ同じなのである。
この1年半に、横浜弁護士会での講演など、横浜市で計4回講演した。一つの市でこれだけ講演するのは珍しい。最近ある事情で私の関心が向いている横浜市ではあるが、ここで述べたいことは、350万人のシティ(市)とは何だろうということである。今年亡くなった作曲家の山本直純氏が出演したテレビCM(1967年)に、「大きいことはいいことだ。森永エールチョコレート」というのがあったが、地方自治体の規模は必ずしも「大きいことはいいことだ」とはならない。
 普通地方公共団体は、都道府県と市町村の2段階になっている。47都道府県の一つである鳥取県は政令指定都市・横浜市の5分の1の人口で、県内には4市32町3村がある。県庁所在地・鳥取市の人口は14万人。横浜市には18の区があるが、港北区が30万人、青葉区が28万人というように、鳥取市よりはるかに多い。ちなみに、東京23区のうちの半数にあたる12区が港北区よりも人口が多い。東京都世田谷区が全国一。人口82万人。福井県の人口と同じである。シティという単位ではかなり大きいだろう。ただ、住みやすさという点で言えば、「適正規模」というものがあるように思う。それと自治体のサービスとが組み合わさって、「住みやすさ」が生まれる。自治体の大きさは決して小さい問題ではない。
 木佐茂男氏(九州大学)の著書に『豊かさを生む地方自治−−ドイツを歩いて考える』(日本評論社)がある。写真を豊富に含む、知的好奇心をそそられる好著である。木佐氏は北大在職当時、在外研究で滞在したドイツ・ミュンヘン大学の教員(助手以上)の自宅住所と、北大のそれとを比較してみた。資料は教職員名簿。その結果、北大の教員の87%が札幌市に住んでいるのに対して、ミュンヘン大学の教員の約80%がミュンヘン郊外の市町村(Gemeinde)から通ってくるという。子弟の教育面、医療面、そして文化面で、周辺市町村が充実しているので、あえて都会の喧騒のなかには住まない。いわば職住分離を選ぶ教員が多いようである。日本の場合は、教育も医療も文化もすべて札幌市に集中しすぎており、周辺市町村では特に教育・文化面で札幌市に劣る。だが、ドイツの場合、どんな小さな自治体でもコンパクトによくまとまっていて、医療・教育・文化の面でも充実していることは、私自身ボン周辺の自治体をまわってみて感じたことだ。小さくても質のよさ、クォリティの高さが「住みやすさ」につながる。むしろ、小さく、こじんまりとした「顔の見える距離」は重要な価値だと思った。人口31万人の「連邦村」と言われた旧首都ボン市。ベルリンに首都移転する最後の場面に立ち会って、そのことを実感した。
 日本では目下、「国策」として市町村合併が促進されている。「昭和の大合併」で1万の自治体を3300までに減らしたから、「平成の大合併」ではさらに1000にまで縮小する。地方自治の中身ではなく、数合わせの論理が、しかも2005年という期限をきって語られる。1000という数字が、小泉首相の口からもポンポン飛び出す。2002年に合併特例法が改正され、議会が合併協議会設置を否決したときは、市町村長による請求または有権者の六分の一以上の署名による請求により、協議会設置について住民投票に付することができるようになった。議会は合併により議席数が減るので、どこでも合併に消極的になりやすいから、住民自身の下からの圧力を利用して合併を促進しようという巧妙な「民主的」手法である。だが、合併の必要性や意味などについて冷静な検討や顧慮の上での決断なのかどうか怪しいものも少なくない。国がやれというから、補助金が出るから、経費節減につながるから……、と。比較的大きい自治体が1000できたところで、行政がよくなるか。住民にとって住みやすい自治体になるのか。最も必要なのは中身の議論だと思う。
昨年の暮れ、埼玉県の市町村職員の研修をやった。その際、「さいたま市」のことが話題になった。これを積極的に評価する人はあまりいなかった。ゴミの分別などでは、与野市は周辺市よりも先進的だったと聞く。「さいたま市」になって、低きに揃えて、結局その独自のよさは消えてしまったのだろうか。
 鹿児島県隼人町の「町づくりネット・隼人」というHPでは、「合併問題を考える視点」を語るときに、木佐氏の『豊かさを生む地方自治』を参考にしていたのが印象的だった。ドイツには1万6千を超える市町村があり、平均8千人程度の広域的な事務組合がある。真に地方分権を実現し、かつ地方自治の創造的発展をはかるためにも、自治体の組織のありようから、自治体公務員の資質や人事のありよう、さらには自治体首長の公用車のあり方(黒塗りの高級車はやめましょう!)まで、ドイツから学ぶことは多い。ちなみに、木佐氏は近著『〈まちづくり権〉への挑戦』(信山社)を出版して、憲法92条「地方自治の本旨」の創造的発展を目指している。
 どんどん大規模化して、住民からどんどん離れて行ってしまう都市(「行く都市」)になるのか、それとも、住民が「まちづくり」にも参加してコミュニティとしての質を高め、住民がいっそう親しみを感じるようになる都市、いわば住民の方に近づいて来る都市(「来る都市」)になるのか。いま、この国の地方自治は大きな転換点に立っている。住民投票の「下からの声」まで使って「上からの合併」を促進して、1000の自治体が生まれたとき、それらが地方自治の実質からみて「逝く都市」になるおそれはないか、と思う。
「地方自治は民主主義の小学校である」。フランスの政治学者トクヴィル(1805〜1859年) の言葉はあまりに有名だが、彼は、民主主義の可能性として、専制と隷従精神の防波堤として、自由の観点から地方自治を根拠づけたのである。「地方制度を持たない民主主義は、過度の専制という害悪に対して、何らの保証を持たない」(『アメリカの民主政治』という言葉は、日本の国のありようについて、鋭い警句となっていると言えよう。
 最後に、2002年を終わるにあって一言。この1年間に54回の直言をUPした。1997年1月3日から6年連続更新のレコードを中断しないでここまで来た。10月の札幌講演の際、病院で点滴をうって講演会場に向かうという経験をした以外は、体調はいたって健康である。組合書記長の任期も無事終えた。2003年は本業の研究に励むことにしたい。そう新年への信念を披瀝して、NHK開局(1953年)以来毎年続いている番組「ゆく年、くる年」の50周年記念でもみることにしよう。テーマは「信頼の“回復”そして“共感”へ」である。それでは皆さん、よいお年を。(^O^)/