自由と民主主義のための軍事介入? 2003年3月31日

Operation Iraqi Freedom国に留学しているゼミ学生から小包が届いた。開けてみると、「イラクの自由作戦」のTシャツだった。威張っている側がこの言葉を使うと、実に陳腐に響く。このTシャツを着て、アラブ諸国を歩く勇気がある人はいるだろうか。研究室には、学生などから持ち込まれるこの種のTシャツが色々あるが、今回のTシャツは、すでに紹介した「小泉Tシャツ」の隣に置くことにしよう。思考停止した無表情な小泉首相と、この過激な「帝国」Tシャツとの対比が面白い。それにしても、イラクのフセイン政権を転覆してイラク国民を解放し、イラクに民主主義と自由をもたらす作戦だそうだ。コソボ紛争のときは、「人道的介入」ということがいわれた。今回、ブッシュを含めて、誰も「人道的介入」という言葉を使わない。あえて言えば、今回の米軍の作戦は、「民主的介入」か「自由と民主主義のための軍事介入」ということになる。民主主義を軍事力で押しつける。何とも反民主的な発想ではある。
 さて、新学期直前の多忙時のため、今回は『北海道新聞』2003年3月24日夕刊(文化欄)の拙稿を転載する。戦争の展開との関係でも、「10日前のハンバーグ」ほどは古くなっていないと思う。北海道方面の読者はすでにお読みの方も多いだろうが、ご了承をお願いしたい。なお、見出しと小見出しはすべて北海道新聞整理部が付けたものである。

国際法違反のイラク攻撃
――安保理決議なし・政権転覆が目的。米、国連利用の終えん――
                         水島 朝穂
◆最初に戦争ありき
 「軍は勢いなり、止められない対イラク作戦」。91年の湾岸戦争当時、陸自北部方面総監だった志方俊之氏(帝京大教授)の一文である(『軍事研究』3月号)。予備役まで動員し、前進司令部を立ち上げ、多数の部隊を現地に送り込んだ段階で復員・帰国を命ずれば、軍の士気は低下し、大統領の権威も落ちる。一度戦争をしないと「おさまらない」と言外に匂わせ、米国側の事情を先回りして説明してみせる。軍の論理だけを重視すれば、こういう見方もできるだろう。だが、「軍の勢い」に引きずられた結果、「国滅ぶ」の状態になった例は少なくない。「9.11」以降、ブッシュ政権は「はじめに戦争ありき」の姿勢を貫いた。戦争目的も、「対テロ戦争」の一環だったものが、「大量破壊兵器」廃棄に変わり、最後は体制転換(フセイン政権転覆とイラク国民「解放」)となった。そうした目的に向けて独断・独走する米国にとって、武力行使容認の国連安保理決議は、「あった方がいい」程度の軽い扱いだった。米国は、非常任理事国に対して、金と力にものを言わせて、恫喝に近い圧力をかけたが、支持を増やすことはできなかった。安保理で敗北することが確実となるや、米国はいとも簡単に国連を切り捨て、実質的な単独行動の道に踏み出したのである。国連は米国の対外政策正当化のための道具にすぎないことが、世界の人々の目前で明らかになった。これは国連の敗北ではなく、米国による国連利用の歴史の終わりを意味する。
 58年前、米国が中心となって結成した国際連合。最初の加盟国は51カ国だったが、いまや191カ国。創設時の4倍近くにまでなっている。国連憲章は武力による威嚇と武力行使を原則的に禁止した(2条4項)。これは、1928年の「戦争放棄に関する条約」(不戦条約)の流れを継承しつつ、戦争違法化の到達点を示すものである。
 この原則には例外が2つだけある。1つは、侵略や平和破壊、「平和に対する脅威」に対して、安保理が決定する軍事的強制措置である。第2の例外は、現に武力攻撃が発生した場合、安保理が必要な措置をとるまでの間に限って、国家に認められる、きわめて限定された自衛権行使である。こうして、国際社会は膨大な犠牲と時間をかけて、各国が勝手に武力行使をできない、いわば「法による平和」の仕組みを作り上げた。

◆独裁政権ほかにも
 国連加盟国のなかには「大量破壊兵器」を保有する国もあれば、市民の権利を系統的に侵害している独裁政権も少なくない。米国はいつも、往時のハリウッド映画的明快さで、「勧善懲悪」の構図を演出する。いま、国際の平和や安全にとって、イラクだけが危険なのではない。百歩譲って、イラクの危険度が高いとしてさえも、国連加盟国の政権を軍事力で無理やり変更するという行動は、いかなる意味でも国際法に合致しない。ブッシュは、「ゲームは終わった」「外交手段は尽きた」と軽口をたたいて、いとも簡単に武力行使を選択したが、それを「苦渋に満ちた決断」(小泉内閣メルマガ87号)と評価することは、どうひいき目にみても無理だろう。

◆「反道徳的」な行為
 この戦争は「違法かつ反道徳的である」。ドイツの有名週刊誌『シュピーゲル』3月17日号で、著名なカトリック神学者H・キュング教授(75歳)は語る。
 教授によれば、戦争が正当化されるためには、次の6つの基準すべてが充足されねばならない。まず第1に、正当な理由が必要である。脅威をもたらすというだけでは理由にならない。第2に、まともな目的が必要である。政権転覆は理由にならない。第3に、比例原則。非人間的な独裁者を排除するのに、多数の死者や難民を出せば、目的と手段のバランスがとれていない。第4に、全権を委任された機関。それは国連安保理だけである。第5に、戦争は悪を排除するための「最後の手段」である。国連による査察・監視により、戦争なしでサダム・フセインを抑止することはまだ可能である。そして第6に、国際法の遵守である。米国は、アルカイダ捕虜に対する非人道的取り扱いのかどで、国際的に非難されている。結局、6つの基準は1つも充足されておらず、それゆえイラクに対する戦争は反道徳的である、と。
 なお、ドイツの哲学者カントは『永遠平和のために』のなかで、「常備軍が刺激になって、互いに無制限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷になり、この重荷から逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となる」と喝破した。巨大軍需産業とハイテク軍隊。テロを呼び込み、先制攻撃に向かう要因は、米国の内側にこそある。日本国憲法9条が「必要な戦争」も「正しい戦争」も「自衛戦争」も放棄した時代先取り的意味を、今こそ想起すべきだろう。〔『北海道新聞』2003年3月24日付夕刊〕