イラクに派遣される自衛官に 2004年2月16日

学繁忙期のピークを迎え、書き下ろしは困難となった。既発表の拙稿の転載をはじめ、ストック原稿のupが続く。ご理解をたまわりたい。今回は、『週刊金曜日』1月30日号の拙稿である。先月の旭川講演に出発する前日に急きょ執筆したものである。編集部の了解を得て転載する。
  イラクをめぐる状況は刻々と変化している。自衛隊本隊がイラクに入って活動を開始した。南部サマワのイスラム教シーア派指導者は2月2日に「宗教令」(ファトワ)を出して、「自衛隊の防衛」を信者に命じた。『朝日新聞』2月3日付によると、米英占領下に駐留する外国部隊に対する「防衛」を宗教的義務とした初めてのケースだという。先遣隊はオランダ軍に警備されたが、本隊はイスラム教信者に守られる。「異教徒の占領に抵抗せよ」ではなく、「外国の軍隊を守れ」ということを宗教上の義務にまで高めたのにはいささか驚いた。サマワの宗教指導者たちは、日本の援助を引き出すために、「自衛隊の安全」に価値を見いだしたのだろう。自衛隊が必要だからでなく、たまたまやってきた自衛隊を「日本の援助」のシンボルとして大事にしようというだけだ。「自らを衛(まも)る隊」に徹してきた組織を守るのだから「究極の防衛」といえるだろう。
  それにしても、自衛隊の最高指揮監督権を有する小泉首相の言動はどうしたものだろうか。説明責任を最初から放棄するような断定・紋切り型口調、その「無理屈」性についてはすでに書いた。現地に到着した本隊の一佐が片言のアラビア語で挨拶したが、日本語でこう付け加えた。「〔自衛隊がイラクに来たのは〕イラク国民のため、国際社会のため、ひいては日本国民のため」。「ひいては(延いては)」という言葉が耳に残った。「誰がために死すか」ということを納得できないと、危険な任務に向かう隊員の士気は崩れる。「イラクのため」「国際貢献のため」だけでは、隊員が「危険を顧みず、身をもって」任務遂行するには十分ではない。そこで「ひいては」日本国と日本国民のためになるのだ、と自分を納得させているように聞こえた。実質的な戦争状態に巻き込まれて、いかにして部隊の士気を高めるか。「ひいては」という連語だけで果してもつのか。12日にはサマワ市内に迫撃砲弾が撃ち込まれた。雇用を含むトータルな復興への現地住民の過大な期待と、自衛隊の地味な任務・能力との間にある壮大な乖離が見えてしまうのも時間の問題である。派遣された自衛隊員は、誠実で真面目であればあるほど、自分たちができることと、住民のすさまじいまでの期待感との間で悩むだろう。
  こうした現場の戸惑いや悩みとは裏腹に、政治家たちはいとも簡単に「リスク」という言葉を使う。「リスク」の中身は「いのち」にほかならない。「命を大切にしたいから参加しない」ということを許さない雰囲気づくりが怖い。そのなかで私は、「健全な恐怖心」の大切さを説いた。この言葉は、志田陽子氏(武蔵野美術大学教授)から借用したものである(ちなみに、志田氏には「『文化戦争』と憲法理論(1)(2)」『法律時報』2002年6〜7月号などの論稿がある)。
  なお、『週刊金曜日』の拙稿のタイトルは編集部がつけたものである。なお、当該号の発売直後、編集部に次のようなメールが届いた。「『大義』があれば参加してもいいのか。誤解を招くようなタイトルだと思う」と。予想していた反応だが、編集部は次のように応答した。「筆者〔水島朝穂〕はいかなる戦争にも反対で、自衛隊の参加は一切認めない立場です。タイトルは自衛隊員と家族を念頭に、届く言葉を探しました。大義への疑問は「」を付けて表しました(編集部)」(『週刊金曜日』2月13日号「誌面アンケートから」)。直言をご覧になっている読者なら、こうした誤解はないと思う。

イラク派兵の自衛官へ――「大義」のない戦争に参加してはならない

 1月24日、北海道旭川市で講演した。会場の近くには、イラク派遣本隊を出す第2師団司令部がある。聴衆の真剣で切実な眼差しを痛いほど感じた。派遣される隊員の親戚がいる。友人がいる。店のお得意さん、スナックの常連。営外居住の陸曹と近所付き合いをしている人もいる。20年前、北海道在住当時の私もそうだった。息子の少林寺拳法の先生は、同じ町内に住む自衛官だった。当時小学生だった息子が「うちのお父さんもケンポウ教えてるよ」と言い、「何流?」と聞かれ、後で大笑いになった。 就職口の少ない北海道で職場の一つとして自衛隊を選ぶ。ある時は部外工事で校庭をならし、またある時は「雪中築城訓練」(旭川冬まつりの大雪像製作)で腕を競い、ある時は台風や大雪で災害派遣する。この冬、イラク派遣で要員が40人減るため、「ドラゴンゲート」というメイン雪像製作が一時困難になった(『あさひかわ新聞』1月13日付など)。例年なら雪像づくりをしている隊員たちが、「現に戦闘行為が行われ」、かつ「そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがない」(イラク特措法2条3項)とは到底言えない地域に向かう。特措法にも違反する派遣である。

◆自衛隊員は当然攻撃対象となる

 自衛隊を「国際政治と国内政治の駒」のように利用する政治家たち。千載一遇のチャンスとばかり、「プラモデル好き」とされる防衛庁長官に便乗しながら、「普通の軍隊」の地位と機能を一気に獲得しようと焦る一部高級幹部と軍需産業顧問のOBたち…。さまざまな意図と思惑と利害が絡み合って、自衛隊派遣が行われるが、実際に戦闘地域に赴くのは、派遣に積極的で饒舌な政治家や高級幹部ではない。自衛隊を一つの職場として真面目に勤務してきた陸曹クラスを中心とする現場の隊員たちである。 市民のなかには、「行くと決まった以上、ここは黙って無事を祈るべきだ」という声がある。「黄色いハンカチ」を掲げる「運動」も。だが、この派遣そのものに重大な疑義があることを忘れてはならない。
イラクという国連創設当初の加盟国である主権国家を、国連決議もなく、自衛権の行使ですらなく、過剰でむき出しの暴力によって崩壊させ、無秩序状態を作りだしたのは、ほかならぬ米国ブッシュ政権だった。その結果としての違法な占領統治に対して、イラク民衆の反発が強まっている。武力抵抗はおさまる気配がない。国際テロ組織もイラクに入り、民衆のなかに充満する怨嗟と怒りを養分として、活動の場を広げている。占領に抵抗する人々から見れば、自衛隊は「鬼畜米英の手先」に見える。当然、攻撃対象となろう。
  ところで、この派遣は「復興支援」とされ、「国益」と「国際貢献」のためというが、派遣理由の中身はしっかり議論されてはいない。派遣の狙いは、イラク民衆のためよりも、ブッシュ政権への擦り寄りを形で示す「アリバイ」の色彩が強い。

◆説明責任放棄した小泉首相の「無理屈」

 「リスクを冒してでも、達成しなければならないものがある」。1月10日、陸自第1空挺団の初降下訓練後の「長官訓示」で、目を座らせながら、防衛庁長官はこう言った。
「危険だからと、しり込みするな。死者が出たからといって、いまさら引き返すのか」。ここまで露骨な表現ではないが、首相や長官、公明党幹事長も、言っていることはみな同じことである。
「怖いのか、臆病者め」と言われたら、「はい、怖いです」と答えられる社会は健全である。戦争や武力行使を禁止した憲法のもとで、戦後の日本社会は、そういう声を排除してこなかった。「笑って死んでいきます」「喜んでお国に命を捧げます」ということが当然視される社会は異様である。「平和ボケ」より「軍事中毒」の方がはるかに有害である。「健全な恐怖心」は社会がそうした誤りに陥らないためのバロメーターともいえる。
昨今の日本では、多くの市民は、メディアを通じて流される「将軍様にすべてを捧げます」と叫ぶ北朝鮮軍兵士や子どもたちの姿を嘲笑し、蔑視している。だが、かつての日本も、「天皇陛下のために」と、同じようなことをやり、やらされていたのではなかったか。「命令された以上、多少の犠牲が出ても『国益』と『国際貢献』のためにはやむを得ない」という物言いもまた、発想の根底においては、これらと大差ない。「守るべきもの」は個人の自由である。いつの間にか、この国では、「国益」が優位する不健全な逆転が起きている。しかも、政治家たちは説明責任を堂々と放棄しはじめた。
ここ十数年にわたる自衛隊の海外出動をめぐって、「武器使用と武力行使は違う」「派兵ではなく派遣」「指揮ではなく指図だ」といった「屁理屈」が駆使されてきたが、小泉首相は説明を省略して、短い単語を繰り出すのみ。まさに「無理屈」の世界である。「死者が出たからといって引き返すわけにはいかない」という物言いが、非難されずに通用しはじめた政治や社会は病んでいる。
石橋湛山(戦後7人目の首相)は、2・26事件のあと、急速に軍国化が進むなかで、次のように述べた。
  「今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に干与することではない。逆に政治が、軍人の干与を許すが如きものであることだ。黴菌(ばいきん)が病気ではない。その繁殖を許す身体が病気だと知るべきだ」(『石橋湛山評論集』岩波文庫)。

◆良心的な不服従を罰する法律はない

 いま、この国で何が危ないかといえば、それは、「シビリアンコントロールは貫徹している」と胸をはる小泉首相や防衛庁長官が、自衛隊の政治利用に味をしめたことだろう。こういう長官が派遣命令を出して、派遣部隊が編成されているのである。命令を受けた隊員とその家族の間にどのような葛藤があったか。それは、横並びの皮相なメディア取材からは見えてこない。
いま手元に、陸上幕僚監部『国際貢献活動に関するQ&A〔平成4年6月〕』(部内広報用資料)という内部文書がある。「はしがき」には、「隊員の士気の高揚及び使命感の振作並びに隊員家族の不安感の除去等に寄与することを目的として作成・配布する」とある。担当は陸幕監理部長である。任務・行動内容、派遣時期・期間から、要員の選考、派遣先の生活環境、健康管理、保険、補償、任務終了後の身分などに至るまで、全120項目にわたる。
トップの質問は、「自衛官の宣誓(「我が国の平和と独立…」)と外国において行動することは矛盾していませんか?」といきなり核心をつく。「日本国憲法及び法令を遵守し」とあるから、自衛隊による「国際貢献」活動は法令によるものなので、宣誓文との関係で何ら矛盾しないというのが回答である。
「『行きたくありません…』と断る(拒否する)ことはできますか?」という質問には、「意思を問われた場合には、『行きたくない』と意思を表明することはできます。しかしながら、個人の意思のみによって派遣要員を決定するものではありません。基本的には、個人の希望・身上等は十分に考慮されますが、任務として命令された場合には、進んでこれに従うことが期待されています」。表現こそ控えめだが、上官の命令が厳格な世界では、上官の「期待」に部下が「ノー」という余地は小さい。
自衛官に呼びかけたい。あなたが任務を誠実に実施しても、あなたに命令を出す最高司令官が間違っている。今からでも遅くはない。イラク派遣命令に応じてはならない。あなたを処罰できる法律はまだ存在しないから、と。
 1999年のNATO空爆に際して、ベルリン自由大学のW・D・ナル教授らは、「ユーゴスラビア戦争に参加している連邦軍のすべての軍人へのアピール−−この戦争への参加を拒否しよう」を出した。この空爆は「基本法 26条で禁止された、国際法違反の侵略戦争」であり、ドイツ軍人法22条が「人間の尊厳を侵害する命令、あるいは、服従すれば犯罪行為を構成するような命令は遂行してはならない」と定めていることを根拠に、軍人が違憲・違法な命令に不服従の姿勢をとるよう呼びかけた(拙著『同時代への直言』〔高文研〕参照)。だが、この行為は、脱走の公然たる勧誘として起訴された(独刑法111条)。
  しかし、日本国憲法のもとでは、そうした制限は考えられない。まだ間に合う。健全な恐怖心に基づく「小さな勇気」を大切に、勇気をもって引き返せ。

【『週刊金曜日』 493号2004年1月30日より転載。タイトル、小見出しは編集部】

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