雑談(32) 「食」のはなし(7) 金平糖 2004年2月23日

年12月に京都で講演をした夜、広島大学の教え子と再会した。理系学生で、京都にある大手半導体メーカーに勤めている。宿泊したホテルの最上階にある、ホールが360度回転するレストランに招き、夜景をみながら思い出話にふけった。京都の夜景は暗い。でも、とても落ちつく。そもそも新宿西口ビル街の夜景の方が明るすぎるのだ。
  彼が土産として持参したのが、緑寿庵清水の金平糖だった。荷物にならないよう軽く小さく、簡単に鞄におさまるものをという心配りがうれしい。帰宅後、家族と食べてみると、これが驚くほど美味しかった。あまり甘くない。これが意外だったが、実に私の好みに合った。今まで、私は金平糖というものを意識的・自覚的に食べた記憶がない。家にあったから、たまたま一粒口に入れる。甘味がのっぺりと広がっていく。それだけのことだ。これは「食」における惰性の一つだろう。かくして、金平糖のイメージは、私の舌の歴史のなかでそのように刻印されてきた。金平糖を特に食べたいとする衝動(舌のリビドー)が起きたことは今までなかったのである。だが、今回は違った。もっと食べたいと「舌が呼ぶ」のである。「こんなの初めて!」という体験だった。家族も同様で、ダイニングに置いておいたら、いつの間にかなくなっていた。
  かつて「利き牛乳」の話をしたことがあるが、それ以来、講演先で地元の牛乳が振る舞われる機会が増えた。複数の県で、懇親会の席に大きな牛乳ボトルを置いてあった。ありがたいのだが、ちょっと違う。私は舌の上で転がしたときの牛乳の「味」を問題にしているのであって、たくさん飲むわけではない。同様に、金平糖もたくさん食べるというものではない。でも、今回の金平糖は違った。3種類あったが、どれも美味しい。金平糖を一つずつ舌の上にのせて転がし、ゆっくり溶けていくのを楽しむ。そうこうしているうちに、従来はせいぜい一粒食べる程度だったのが、いつの間にか 10粒以上食べていた。こんなにたくさん食べたことはなかった。紫蘇や柚子、梅がゆっくりと舌の上に滲みだしてくるのを楽しむ。最後に、乾いた金平糖の「核」(いが)の不思議な食感が舌の上に残る。それをゆっくり飲み込む。こんなにまでいとおしい思いを込めて金平糖を味わったのは初めてである。彼に感謝したい。
 創業弘化 4年(1847年)というこの京都の老舗は、天然素材にこだわり、完成まで16日から20日かけているという。これも驚きだった。金平糖は、「イラ粉」というもち米を細かく砕いたもの(0.5ミリ) を「核」に使う。これを回転している大きな釜に入れて、グラニュー糖を溶かした蜜を少しづつ振りかけて、これを乾燥させるという工程を繰り返す。3日ほどするとイガが出始める。 8日目あたりから、ほぼ均一にイガが出揃う。14日ほどしてやっと完成というわけだ。このイガがポイントだろう。そのまわりに蜜がゆっくり着床するのをじっと待つ。何とも気長なお菓子ではある。 私は、金平糖という菓子について本当に無知だったとつくづく思う。ただ甘い、砂糖の塊(かたまり)という認識しか持っていなかったのが恥ずかしい。いかに安物の「金平糖」しか知らなかったかである。砂糖の塊という私の金平糖イメージは完全に崩壊した。
  この老舗の「季節限定品」をみると、何と多彩で、何と豊かなお菓子であることか。雛祭りの時期には桃あられの金平糖。4月はさくらんぼ、5月ブルーベリー、9月は秋果糖(マスカット、オレンジ)、10月は丹波黒豆紫蘇、等々。日本酒や宝来豆、ブランデーというのもある。常時小袋で売られているのが、天然蜜柑、天然レモン、柚子、リンゴ、濃茶、生姜、肉桂(ニッキ)などパラェティにとんでいる。
  金平糖は、1546年にポルトガルからもたらされた「舶来品」である。当時は珍しく貴重な品とされ、製造法はいっさい秘密にされたという。宣教師たちは、砂糖が貴重品扱いされていた日本では、砂糖を使った菓子を配ることが、布教に有効であると考えていたようで、織田信長も1569年、宣教師ルイス・フロイスから金平糖を贈られている。江戸時代、長崎出島でのオランダ貿易により、南蛮菓子が広まっていく。井原西鶴『日本永代蔵』には金平糖の製法が記されており、それによると、金平糖の「核」には胡麻が使われていたそうである
 金平糖にそのような歴史があることを思えば、たった一粒といえども、おろそかにできない。小さな粒の一つひとつに心がこもっている。その一粒を舌の上にのせたとき、長い時間をかけてできあがった「小さな芸術品」がすばらしい音色を奏でてくれる。金平糖に愛らしさすら感じた。
  この老舗は京都市内の鞠小路通にあり、そこまで行かないと買えない。品物が売り切れになると、閉店時間前でも店じまいをしてしまう。年末に電話してみると、「商品が欠品のため、本年は閉店させていただきます」というアナウンスが流れた。売るために作るのではない。「できた分だけ売る」のである。今度、京都へ行ったら、その老舗まで買いにいくことにしよう。

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付記:入試繁忙期につきストック原稿をUPします。