雑談(17)「利き牛乳」の話 2002年7月15日
週、授業と会議の合間をぬって、帯広に行った。昨年4月、沖縄で私の連続講演を企画した方が、基地ネット全国交流集会の基調講演を依頼してきたのだ。テーマは「有事法制」。沖縄から北海道講演の依頼という意外性と、「北の大地」が懐かしくなったのでお引き受けした。私の子どもたちにとって「第二の故郷」である北広島にも寄りたかったが、時間の関係で断念した。わずか1日の滞在だったが、恒常的酸欠状態にある私にとって、北の美味しい空気は何よりの薬になった。余市川下りのような「ドラマ」はなかったが、十勝の水と空気と人が私を癒してくれた。
  帯広空港で出迎えてくれたのは、札幌学院大学法学部旧水島ゼミ2期生のM君。36歳というから、私が広島大学に移ったときの年齢だ。早いものである。講演は夕方からなので、彼の車で旧国鉄広尾線沿いの道をドライブした
  会場となったホテルは十勝川温泉にある。ここは私にとって「こだわりの地」である。十勝管内の河東郡音更(おとふけ)町。かつて『法学セミナー』に「現場からの憲法学」を連載したとき、1997年9月号の「筆者紹介」のなかで、「牛乳の味にうるさい。利き酒ならぬ『利き牛乳』ができる。北海道帯広市近郊の音更(おとふけ)の牛乳が日本一と確信している」と書いていた。その音更町である。「よつ葉3.6牛乳」は、成分無調整。3.6%(季節によって3.7 %)以上の乳脂肪を含む。道内のどこのスーパーでも売っている、ごく普通の商品である。だが、これが実に美味しいのだ。M君は農協に寄って1本買ってきてくれた。うまい。いろいろな土地で生活をしてきたが、この味が舌にしみ込んでいる。人間の舌は、一番奥から苦み、酸味、塩味ときて、先端付近は甘味を感知する。よつ葉牛乳を一口ふくみ、舌の先端で転がしながら、ゆっくり口内全体に広げていく。その際、舌の先端(甘味を感知)を小刻みに踊らすのがコツである。そうすると、舌の感覚がフル動員されて、牛乳の微妙な香り、甘味、滋味を感知し、「牛乳の心」を感じとることができる(気がする?)。
  音更町のよつ葉乳業十勝主管工場を訪問。休日のため見学はできなかったが、資料をいただいた。よつ葉乳業は、十勝管内の8つの農協が中心となって、北海道協同乳業として出発した。「乳脂肪分と無脂乳固形分の相乗効果でうまみが出る」と言われ、このバランスで牛乳の味に差がでるという。十勝地方は湿度が低く、冷涼な気候が雑菌の増殖を抑える。良質な土壌と牧草にも恵まれている。そして、冬は気温が非常に低いが、日照時間が道内の他地域に比べて多い。「土づくり、草づくり、牛づくり」の三点セットが成功している所以である。
  ところで、牛乳で思い出したが、私自身が北海道に住んでいた頃、自分で「ブランド」といばっているメーカーがあった。そこの牛乳を飲んでも、私の舌は決して踊らなかった。2000年8月、その全国的に有名な「ブランド」が地に落ちた。13000人以上が発病した「雪印集団食中毒事件」である。事件が起きたとき、トップの対応は最悪だった。糊塗、隠蔽、責任転嫁、居直り。特に石川前社長の「傲慢無知」ぶりは際立っていた。7月1日の役員記者会見。「きみ、それは本当か」「知らなかった」を連発。現場のことが何もわかっていないことを全国にさらけだした。「私は寝ていないんだ!」。記者団に向かって叫んだシーンは繰り返しテレビで流され、「トップ失格」の烙印を押された。この人は小樽商科大出身で、財務畑から社長にまでのぼりつめた人だ。生産性の低い工場の閉鎖など、合理化を徹底して行っている最中だった。能吏だったのだろうが、彼には現場の酪農家や牛乳販売店への眼差しが決定的に欠けていた。そのため、初動段階で適切な手を何一つ打てなかった。信用は落ちるところまで落ちた。音更町に近い大樹町にある雪印大樹工場。ここで1年半前の脱脂粉乳を再利用していたという。消費者に対する裏切りである。工場長らが業務上過失致死傷と食品衛生法違反で起訴された(公判中)。雪印は「ブランド」にあぐらをかいて、牛乳への愛情が欠けていたのではないか。
  講演の翌日、最高気温17度の十勝から東京に戻る。異様な蒸し暑さにたじろいだ。帰宅後、冷蔵庫から紙パック入りの牛乳を出して飲む。舌は踊らなかった。東京に帰ってきたのだと実感した。

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