38度線の「いま」を診る―― 韓国で考える(2) 2004年6月21日

演の合間をぬって「板門店(パンムンジョム)ツアー」に参加した。韓寅變教授(ソウル大学校法科大学教授)の計らいによるもので、教授のもとで研究している大学院生(中村知子さん)を案内につけて下さった。2002年は「非武装地帯(DMZ)ツアー」に参加して都羅山駅、「南侵第三トンネル」、統一展望台などをまわったが、今回は板門店に直接向かうツアーである。日本からパスポートのコピーを送って事前申し込みをした。韓国人がDMZへのツアーに参加する場合はもっと厄介で、かなり時間を要するという。しかも、夫婦は別々のツアーに参加しなければならない(一緒に北朝鮮に「脱南」しないように)。

  非武装地帯(DMZ)は、1953年7月27日の朝鮮戦争休戦協定の締結により作られた地域である。南北2キロずつ(幅4キロ)に渡って、お互いに軍事的行為や敵対行為を一切行わないという緩衝地帯である。全長248キロで、朝鮮半島を南北に分断している。板門店は前後左右わずか800メートルの狭い区域をいい、「国連軍」と北朝鮮軍の共同警備区域(JSA)となっている。韓国映画「JSA」は、この狭い区域内における南北の軍人たちの「不思議な体験」を描いたものである。

  板門店・JSAツアーに参加するには、いろいろと条件が付けられる。女性の案内人は真顔で、「皆様が生きて再びにここに帰ってこられますよう、ご注意申し上げます」といった。まず、雨が降っていても傘はだめ。日傘もだめ。武器だと思われるから。二列になって決められたコースを歩くこと。コースを外れたり、突然駆けだしたりすれば撃たれるおそれがあること。服装は、袖無しのシャツや上着、Tシャツ、ジーンズ、半ズボン、トレーニングウェアの人は参加できない。私はダーバンのジーンズ素材ジャケットを着ていたので、案内人から観光バスのなかに置いていくよう指示された。なぜジーンズなどがいけないのかというと、北朝鮮では、韓国の貧しい労働者がそういう服を着て強制労働させられていると教育されているので、見学者がそういう恰好で北側から見える位置に行けば、「やっぱり南は貧しいのだ」と向こうにいわれないようにするためだという。いまどき、北朝鮮で韓国のことをそのように考える人がいるだろうか。「これダーバンだよ」なんていっても通ずる相手ではない。歴史的遺物のような規制がここには残っている。

  キャンプ・ボニパスに着く。ジャケットを観光バスの車内に残して、「国連軍」のマークを付けた軍事専用バスに乗り換えた。「朝鮮国連軍」は国連憲章第7章に基づく正規の国連軍ではない。そのぶん、国連旗や国連マークが不自然なほど随所に使われている。米軍バスだが、背もたれをはじめ、車体のあちこちにしつこいくらいに国連マークが付いている。バスの車列を高機動車が先導する。それを撮影しようとすると、案内人が制止した(こっそりシャッターは押していた)。共同警備区域(JSA)の一角で、訪問者宣言書(誓約書)に署名させられる「訪問者の安全を保障することはできません」とある二列になって共同警備区域内の建物に入る。南北双方の行政管轄権の外にある特殊な地域である。韓国軍の警備兵はいつでも拳銃を抜けるように、肘を張って直立不動の姿勢をとっている。その部屋に韓国側から見学者が入ったときは、北朝鮮側警備兵は姿を隠す。その逆に北朝鮮側からの見学者が入るときは、韓国兵はいなくなるという。

  展望台から北側を見ると、ちょうど植木職人らしき人が木の手入れをしているところだった。南に逃亡しないように、それを3人の北朝鮮軍兵士がチェックしている。4人みんなで協力すれば、剪定作業はすぐに終わるだろうに。軍事・監視活動に人も金も使いすぎた、北の体制を象徴するシーンである。

  バスを降りて、高台からはるか北朝鮮を臨む。2キロの非武装地帯内に南北がともに「村」を作っている。写真は北側の「村」である。韓国側の村の住人は、納税義務も徴兵義務も免除されているが、不自由な生活を余儀なくされるという。私の背後で、私たちを終始監視していた3人の警備兵が雑談していた。案内をしてくれている大学院生が、彼らの会話を適宜私に通訳してくれた。「早く兵役期間が終えて、日本の女性と友だちになりたいよなぁ」「いつでも射撃できる態勢でないといけないけど、日本人が来たから『休め』の恰好をしてやったさ」。彼女が振り向いて韓国語で質問するや、兵士たちはそれまでの会話が私に伝わったことを知り、何ともいえない複雑な表情をして(ヘルメットとサングラスの向こうから明らかに動揺が伺えた)、私たちの前から去っていった。いずこにもいる若者とほとんど変わらないといえよう。

  それにしても、2年前に来た時よりも、さらに緊張感が緩んできたように思う。JSAに入る前に面通しのためバスに乗ってきたのは、犬を片手に抱えた女性米兵だった。見学者を緊張させないよう、笑顔をたやさなかった。なお、今回最も注目したのは、対敵宣伝用の大スピーカーと相手を非難するスローガンを書いた看板が撤去されつつあるということである。南北が半世紀にわたって大音響で行ってきた非難合戦が終了したわけである。何でも、韓国側が行う「対敵宣伝」は、合間に天気予報を流していたが、北側の人々の間で「南の天気予報はよくあたる」と評判になったので、北側からの提案でこの「対敵宣伝」が終了を迎えたのだという。もし本当だとすると、これもまた「太陽政策」の成果かもしれない。

  さらに、AP通信によれば、6月9日、板門店に駐留する在韓米軍の大半が、今年10月までに撤退するという。板門店には550人の韓米両国の兵士が駐留する。そのうち、韓国軍の占める割合は65%。10月末にこれを93%にまで引き上げるという(『東亜日報』2004年6月10日付、The Korea Herald, June 10) 。これもまた象徴的な話である。前回書いたように、米第2師団の2個旅団の抽出方針は、米国が38度線正面に部隊をはりつける方針を転換したことを意味するだろう。かつての「ベルリンの壁」や東西ドイツ国境地帯のグロテスクな装置は15年近く前に崩壊したが、38度線の状況もここ数年以内に大きく変動する可能性がある。ヨーロッパのような大激動が、東アジア地域でも始まっている。

トップページへ