「反日デモ」とペットボトル  2005年5月16日

週末、ソウルの漢陽大学で開かれる韓国公法学会で報告する。私に与えられた演題は「日本の憲法改正について」である。韓国政府高官と中国の大学教授と3人で第1日目午前のセッション「北東アジアの平和・繁栄と公法」を担当する。昨年までの「韓流」や「ヨン様」ブームとはうってかわって、3月以降、日韓関係は緊張を増しているが、研究者の学問的交流に何ら影響はないと信じたい。「顔」の見える距離で丁寧に、かつ誠実に語ること、そして率直に意見を述べることが何よりも必要だろう。なお、韓国の「平和ネットワーク」という平和運動団体のサイトを紹介しておく。国家を背負わない、市民的な視点が魅力的である。韓国の学会のことは、6月の直言で書く予定である。以下は、「反日デモ」が起きた時期に執筆したもので、この機会にUPする。

  北方領土、竹島、尖閣諸島と、日本はいま、近隣諸国との関係で、全方位でトラブルを抱えている。中国でも、3月下旬からネット上で、日本の国連常任理事国入り反対署名が始まった。行動提起はネットを通じて行われ、各地で若者たちがデモをしかける。4月に入り、北京の日本大使館やスーパー、日本料理店などが対象となり、負傷者も出ている。「反日デモ」は主要な都市部に拡散した。連日のように国旗を打ち振りながら、「愛国無罪」(国を愛するなら犯罪でも許される)を叫ぶ若者たちの姿を見ながら、暗澹たる気持ちになった。
  
当初、北京の日本大使館前の警備線は、かなり後方に引かれていた。そのため、若者たちは、警官隊の目の前で、大量の石やペットボトルを館内に投げ込むことができた。上海などの領事館でも同様だった。「外交関係に関するウィーン条約」(1964年4月24日発効)22条は「在外公館の不可侵」を定め、とくに第2項は、「接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」としている。また、「領事関係に関するウィーン条約」(1967年3月19日発効)31条3項は、領事館に対しても「特別の責務」を課している。中国当局は、この「特別の責務」を果たしたとはいえない。日本料理店などに対する破壊行為に対しても、警察の動きは鈍かった。この「反日デモ」の傍若無人さがテレビを通じて全世界を駆けめぐり、中国当局への眼差しが厳しくなるや、当局は厳しいデモ規制をかけた。その結果、4月末までには同種の破壊行為はみられなくなった。デモが始まってもすぐに規制されて、「半日デモ」で終わった地域もあったようだ。あそこまで大きなデモが連続したのだから、その勢いで散発的にデモが続いた方がまだ「健全」である。一気に盛り上がり、一気に鎮静化してしまうのは、いかにも不自然である。ただ、政府が最初から最後まで、すべてを統制して「やらせていた」という見方を私はとらない。中国政府も見込みがはずれ、とまどった面もあっただろう。インターネットを使える比較的豊かな層が、国内政治や社会的不満のはけ口を、ナショナリズムの突出で代替しているようにも見える(政権内部の権力闘争という指摘もあるが、評価は留保する)。中国政府は、デモ禁止という対症療法で事態の鎮静化をはかったが、この手法そのものが、表現の自由がきちんと保障されていない政治体制のありようを世界にはっきりと見せてしまった。インターネットを完全に統制することは不可能である。中国指導部にとっても「想定外」のことがかなりあったことは否めないが、しかし最後は力でねじ伏せた形になり、すべてに後味の悪さを残した。

  どこの国でも、デモ隊と警官隊が衝突し、投石が行われるという光景はままあることである。日本でも、1970年前後は日常茶飯事だった。今回、デモ隊の「武器」として初登場したのが、水を入れたペットボトルだった。散乱するカラフルなペットボトルをみて、複雑な気持ちになった。
  
そもそもペットボトルとは何だろうか。90年代に急速に普及したもので、清涼飲料水の世界では瓶や缶をおしのけ、トップを走る。最も資本主義的な、消費社会の権化といえるだろう。中国はいま、政治体制は共産党一党独裁をとりながら、経済面では節操なき市場経済を暴走し、劇的な貧富の格差が生まれている。水やお茶をペットボトルで買うというのは、貧困層にはないことである。加えて、ペットボトルは環境保護の観点から、実にやっかいな代物である。海洋でも山岳地帯でも、投棄されたペットボトルは変質することなく、長期にわたって環境に負荷を与え、火災の原因(火種)ともなる。それは、グローバル化した世界のありようを象徴しているともいえる。

   「反日デモ」の主体は若者だった。過去の戦争で被害を受け、いまだに苦しんでいる高齢者の姿は見られなかった。参加者のほとんどは、戦争体験どころか、文化大革命も直接知らず、「天安門事件」(1989年)の頃は子どもだった世代である。歴史認識の問題は常に「火種」としてあり続けたが、この時期、このタイミングで一気に燃え盛った背景には、中国の国内事情が微妙に絡み合っているように思う。
  
これまでも、国民の不満が一党支配の根幹に向かわないよう、ナショナリズムの高揚は調整弁の役割を果たしてきた。幼児期からの愛国教育は、体制安定のイデオロギー装置である。加えて、近年、相対的に豊かな層はインターネットを使うようになったが、かの国でも若い世代を中心に「2ちゃんねる」的世界も広がりをみせているようだ。どこの国でも、ネット上で、ナショナリズムや排外主義など「本音」が突出して、ネーション・ステートを背負った「国民」の間の対立が生まれている。今回の「反日運動」は「過去」の問題を理由にしているが、明らかに今後のアジアの力関係をめぐる国際的な政治・経済対立という「将来」の問題も密接に絡んでいるように思う。
  
この対立を、1904年から1914年におけるヨーロッパ列強の対立になぞらえる見方もある。ドイツの保守派のジャーナリストはいう。ヨーロッパではさすがにタブーになるようなナショナリズムが、アジアでは派手に開花している。ヨーロッパ的な意味でのナショナリズムは、中国には伝統がない。アジア的ナショナリズムが火を噴く危険もある。中国は劇的な軍拡をして、台湾を要求し、東シナ海の油田を求め、インドとの戦略的パートナーを結び、北朝鮮の核へのカードを握る。きな臭さが広まっている(Herbert Krempk, Welt am Sonntag vom 24.4.05) 、と。この指摘の当否はともかく、今日の日中関係が、第一次大戦の開戦前の欧州列強対立を想起させたことは、決して楽観を許さない。

  さらに、中国の現政権の「過去」の問題もあえて指摘しておこう。「愛国無罪」を叫ぶ若者たちを見て、「文化大革命」時の「造反有理」を思い出した。いまから40年近く前、紅衛兵と呼ばれる「突撃隊」が毛沢東語録を振りかざし、国中で行政幹部や学者などを襲った。その際、毛沢東は紅衛兵に「造反有理」を唱えさせ、反乱には道理があるというお墨付きを与えた。「下方」と呼ばれる都市住民の農村送り政策により、540万の若者が人生を変えられた。共産党政権のもとで、たくさんの命が奪われた。国共内戦の時期を除いて、体制により暴力的に死に至らしめられたのが700万から1000万人(数十万人はチベット人)、「反革命派」として収容所で死亡したのが2000万人。毛沢東の「毛想」(妄想)による農業の破壊。これは凄まじかった。1959年から61年の「大躍進」の時期に餓死したのが2000万〜4300万人とされている(S. Courtois, u.a., Das Schwarzbuch des Kommunismus: Unterdrückung, Verbrechen und Terror, 1998, S.511)。現在の共産党政権は、これらの「過去」について、きちんと総括をしていない。のみならず、改革を求める多くの学生たちの運動を押しつぶした天安門事件について、すべてを隠している。当時学生だった20代の若者は、30代半ばから40代前半である。今回の「反日デモ」の中心には、その後の思想的引き締めのなかで育った子どもたちの世代である。明らかに世代が違う。中国の民衆は、いずれ自分の政権の「過去」ときちんと向き合い、それを総括する時がくるだろう。

  とはいえ、中国側の国内事情に問題を解消することはできない。日本の政府のみならず、一般の人々のなかにもある、日本の「過去」に対する無関心や無頓着さが、アジアの怒りを拡大している面があることは否めない。小泉政権は、ブッシュ政権に擦り寄り、国連常任理事国入りの多数派工作を進めてきた。国内的には、靖国神社参拝から学校現場での「国旗・国歌」強制の動き、歴史教科書問題など、アジア諸国が神経をとがらせる出来事が相次いでいる。
  ペットボトルにもういちど目を転じてみると、環境保護の観点から、もうひとつ問題がある。ペットボトルリサイクルはコストが高く、かえってリサイクルしないほうが環境負荷が少ないという場合もある。利便性の重視よりも、基本的に優先度の高い順で、発生抑制(Reduce)、再使用(Reuse)、再利用(Recycle)の「3R」が重要である。「反日デモ」についても、読解(Reading)、記憶(Remembrance)、再構築(Reconstruction)の「3R」が重要となろう。
   60年経たいまも、戦争被害の記憶は消えない。被害を与えた側がその事実を忘れ、あるいは無神経な発言をする。それが被害を受けた側の怒りと苛立ちを増幅させ、祖父・祖母の代の怒りは次の世代にまで、増幅して継承されていく。これは不幸である。だからこそ、日本の市民の「歴史への眼差し」が大事である。そのためには、「歴史を読んで理解する」(Read)と同時に、日本が過去に行った行為について「思い起こす」(Remember)ことが大切だろう。こういう積み上げのなかで、隣人との間で信頼関係が「再び築かれていく」(Reconstructed)のである。

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