憲法の「トリビア」話  2005年7月18日

ランダの歴史家ヨハン・ホイジンガによれば、大学は「遊び」に起源を発するもので、古代ギリシャの学問は「必要の外で」、「自由な時間」「閑暇」の結実として生まれた。間宮陽介氏は、この「必要の外で」の意味を、「学問・研究が、金銭のため、国家のため、といった目的−手段連関の外側にある」ことだとして、大学が「ユニバーシティ」としてもつ普遍性は、それが自由な個人の集合体であることに由来することを改めて浮き彫りにする。そして、日本が「国家自由主義」という「水と油がハイフンで結ばれたような」状態にあることを鋭く指摘している(「小泉改革と教育改革」『世界』2003年5月号)。間宮論文は2年前のものだが、そこで指摘されていた問題や危惧は現実のものとなり、大学や学問、文化に対してボディブローのように影響を与えつつある。
  と、ここまで書いてきて息絶えた。本当に時間がない。先週、ある授業で「国立大学法人法」の分析をやったのだが、その際、間宮氏の分析も参考にした。これから当該法律の問題点について書こうと思って机に向かったが、時間切れである。

  いま、たくさんの仕事が一度に集中してきて(自分の怠惰もあるのだが)、もうどうにも首がまわらなくなっている。失敗もでている。今週は授業と会議の合間に、韓国のテレビ局の取材を入れた。ところが、何とMBCとEBSの二つのテレビクルーが、まったく同じ時間に研究室前で鉢合わせしてしまった。ダブルブッキングである。すべて私に原因がある。一つの局からメールでアポがきたので、時間などをメールでやりとりしていたのだが、そのやりとりの途中に、まったく偶然、もう一つの局の取材依頼が紛れ込んだのである。メールをくれた記者が同じ名前だったので、私は同一人物と勘違いしてしまったのだ。膨大なメールが来るので、よく読まずに処理したことによる失敗でもあった。幸い、重要な会議までには取材を終えることができた。汗びっしょりだった。

  というわけなので、直言の更新がきわめて困難になっている。2月に倒れたときに2回分だけ既発表の原稿をUPして、形だけは連続更新を保った。でも、あの時はまだ多忙時の「ストック原稿」が何本かあった。4月からさらなる「恒常的多忙状態」にあるため、ついにストック原稿の「在庫」が完全になくなってしまった。いま、更新時間が迫っている。間宮氏の指摘に触発されて書きたいことは山ほどあるが、今回も、2月の「非常事態」の際のやり方で、既発表原稿をUPして乗り切りたいと思う。ロンドンにおける地下鉄同時爆破事件をはじめ、たくさんの事件が起きているが、このような事情のため、既発表ものですますことをご理解いただきたいと思う。なお、今回は、既発表もののなかでも最も「埋め草」的色彩の強い、「トリビア」な原稿をUPする。『月報司法書士』4月号の連載第14回である。
  なお、今週は、読者の一部にお送りしているメールの「直言ニュース」はお休みさせていただきます。m(_ _)m

 

憲法の補則について

 ◆憲法のトリビア話

  今回はやや「トリビア」なお話である。周知のように、法律には「条」や「項」「号」のほかに、「章」がある。なお、民法や商法、地方自治法のような大きな法律では、「章」の上に「編」、下に「節」や「款」がある。
  日本国憲法は103カ条あり、全11章に編成されている。最も条文数の多い章は、第3章「国民の権利及び義務」。31カ条ある。これに対して、たった一つの条文で章を構成しているのが、第2章「戦争の放棄」である。巷では「9条の会」というのが活動しているが、国会は「9章の会」になってしまった感がある。憲法第9章も一つの条文で章を構成している。96条「憲法改正の手続」である。改憲の問題については、すでにこの連載でも触れてきたので立ち入らない(本誌2003年3月号、2004年12月号の拙稿参照)。今回のテーマは、憲法の最終章、つまり第11章「補則」をめぐる問題である。

 ◆日本国憲法第11章

  法律はその形式から、「本則」と「附則」に区別される。附則とは、本則に伴って生ずる付随的事柄に関する規定であり、経過措置や本則の例外措置などが定められている。「補則」は、当該法律の他の章を補完する事柄に関する章の表題として使われ(公選法第17章など)、最近はあまり見られない。日本国憲法は、附則で定める事項を補則という形で規定している。
  
11章の「補則」は、4カ条からなる。まず、憲法の施行期日とその準備のための手続を定めた100条。1946年11月3日が公布日で、施行日は翌年5月3日となり、これが「憲法記念日」となっている。次いで、憲法施行時に参議院が存在しない場合、衆議院を「国会」とみなすとする101条。これは参議院選挙が憲法施行の13日前に行われたため、出番はなくなった。さらに、第1期の参議院議員の任期を3年とする102条。最後に、憲法施行時に現に公務員である者の地位に関する103条である。
  
この4カ条の賞味期限は短く、いまこれを論ずる実益は一見ないように見える。そのなかで、「憲法トリビア」的に面白いのは102条だろう。貴族院が廃止されて、民選の参議院となったが、その議員の任期は6年で、3年ごとに半数改選となる(第46条)。だから、参議院の立ち上げ時に、議員の半数は任期3年でないと、この仕組みがまわっていかない。国会議員は、トップ当選であろうが、最下位だろうが、いったん当選すれば「全国民の代表」である(第43条)。だから、一定数の議員の任期を半分にするために、憲法上の例外措置を必要としたわけである。102条は、任期3年の決め方の具体的指示はしておらず、すべて法律に委任している。そこで、公職選挙法とは別個に、参議院議員選挙法が制定された(1947年2月24日施行)。それによると、地方区と全国区(当時)で当選した議員の得票数上位半分までを任期6年、それ以下を3年とした。後者の議員は、3年後の1950年6月の参議院選挙で改選され、102条は歴史的使命を終えた。それ以降、第11章「補則」は注目されることはあまりない。だが、ドイツの憲法は違う。

 ◆ドイツ基本法第11章

  ドイツ基本法は146カ条ある。第11章「経過規定・終末規定」は、枝番を入れて38カ条もある。この憲法は、1949年制定だが、長らく「ボン基本法」と呼ばれていた。ドイツは冷戦により、40年以上も分断国家の状態が続いた。統一までの暫定的なものという含意で、「憲法」(Verfassung)ではなく、「基本法」(Grundgesetz) という呼び名が使われた。前文でも、「過渡期についての国家生活に秩序を与えるために」と、暫定性が確認されている。 基本法第11章、その最終条文たる146条(1990年の改正前)にはこう定められていた。「この基本法は、ドイツ国民が自由な決断で議決した憲法が施行される日に、その効力を失う」と。ドイツ統一過程では、この146条に基づき、新憲法の制定を行って統一するというコースと、基本法23条に基づいて、西の諸州に、東の5州が編入される形をとるというコースの2つが存在した。実際には後者の道がとられた。
  
ドイツ統一条約(1990年8月)4条は、上記23条の削除(1992年に別の形で復活)と、前文や146条などの改正内容を具体的に定めていた。これに沿って基本法改正が行われ、次のようになった。「この基本法は、ドイツの統一と自由の達成後は、全ドイツ国民に適用されるが、ドイツ国民が自由な決断で議決した憲法が施行される日に、その効力を失う」。ドイツ統一が、西への東の吸収(編入)というコースを辿ったため、改正146条は、「ボン基本法」が東西ドイツの基本法であることを確認するとともに、Verfassungと呼べる「憲法」の制定までの間の、新たな「暫定性」を再確認した。「さしあたり」(zunächst) (旧23条にある言葉)西側占領地区の諸州にのみ適用される「暫定憲法」として出発した基本法は、90年に、統一ドイツの憲法となったのである。まさに「永遠の暫定性」である。
  1999年から2000年までの1年間、ボンで研究生活をおくってみて感じたことは、議会をはじめ、政府機関の建物が実に簡易な作りだったことだ。私は、ボンの半世紀にわたる「仮の首都」の風情が好きである。ドイツという「国のかたち」はボンで作られたといってよい。「ボンなくして、ベルリンなし」。ベルリンに連邦議会が移る99年7月、旧東出身の連邦議会議長は、ボン市民に感謝するという集会でこう演説した

  憲法の最終章からは、いろいろなことが見えてくる。

〔『月報司法書士』2005年4月号・憲法再入門U連載14回所収〕