「心のコートを脱ぎ捨てて」  2006年4月17日

ッセイストの増田れい子さん(元・毎日新聞論説委員)の著書に『心のコートを脱ぎ捨てて』(岩波書店、2002年)がある。増田さんが15年連載された『国公労調査時報』巻頭言の161本のうちから精選した39本をまとめたものである。私は増田さんの依頼で、この巻頭言を「水島朝穂・同時代を診る」として2年ほど担当している。増田さんが「心のコートを脱ぎ捨てて」というタイトルで書かれたのは1993年6月号巻頭言であり、それが本のタイトルにも使われている。この言葉は、反ナチス運動の象徴だった「白バラ」のなかに出てくる。なお、この映画については、『週刊金曜日』592号(2006年2月3日) に、評論家・佐高信氏がこの映画のマルク・ローテムント監督にインタビューしたものが出ている。
   さて、今回は、新学期の多忙期(いつも多忙だが)のため書き下ろしが困難だったため、既発表原稿を、冒頭部分を少し加工してUPすることにしたい。

 

「白バラ」と「心のコート」

 ◆「心のコートを脱ぎ捨てて」

  増田れい子『心のコートを脱ぎ捨てて』のその章は、次のような文章で始まる。
  「ひとつの言葉が、心のなかで鳴りひびいている。それは《心に着せた無関心という名の外套を脱ぎ給え》というのである」。
   この言葉は、ミュンヘン大学の反ナチ学生グループ「白バラ」が、同時代を生きる人々に向けて発した命がけのメッセージだった。「白バラ」事件50周年追悼集会(1993年2月)におけるヴァイツゼッカー連邦大統領(当時)の演説に出てくるこの言葉(永井清彦訳)に、増田さんは敏感に反応し、彼女らしい表現で、「心のコートを脱ぎ捨てて」と言い換えたのである。

 ◆白バラ事件から63年

  「白バラ」(Die weisse Rose) の運動とは何か。ナチス支配下、ミュンヘン大学の学生ハンス・ショルとゾフィー・ショルの兄妹が、市民に対して反ヒトラー抵抗を呼びかけるビラを配布する運動を行った。ビラは手動タイプライターと謄写版印刷でつくられた。ショル兄妹には、同大の学生数名と、クルト・フーバー教授が協力した。ビラは6種類ある。学生たちは「人間を内部から改革すること」を目指し、同世代の青年や市民の「無関心の心」に呼びかけた。
  5回目のビラにこうある。「残忍非道をきわめる犯罪を前にして、かくも無感動であるのか」「無関心の姿勢は、結果としてナチスの狂気をあおることに通ずる」「心に着せた無関心という名のマント〔外套〕を脱ぎ給え!遅くならないうちに決断せよ!」「心を閉ざすな。目をきちんと向けよ」と。
   1943年2月18日、6回目のビラを学内で配布中、彼らは逮捕された。4日後に民族裁判所で有罪判決を受け、即日処刑されている。裁判官が「ハイル・ヒトラー!」と敬礼する「裁判」では、死刑の結論は決まっていた。仲間たちも同じ運命をたどった。ミュンヘン大には「白バラ」の学生・教授の記念碑があり、大学本部前は「ショル兄妹広場」と称され、法学部前は「フーバー教授広場」になっている。大学のホームページにも写真入りで、「白バラ」抵抗運動が紹介されている
  
では、なぜドイツで「白バラ」事件がかくも重視されるのか。それは、ナチス支配の真っ只中でそれに抵抗した良心の証だから。ナチス司法への痛切な反省として、戦後ドイツ司法のシンボルになると同時に、ナチス時代に学問・精神の自由に命をかけたことへの尊敬もある。エリート軍人を中心にした7月20日事件」と異なり、真摯な学生たちの運動という点、また政治的な主張ではなく、人間の心に訴えかけたことも静かな感動を呼ぶ。「白バラ」というのは、「何に所属しているかが空白で、政党や宗教とは関係ないというメッセージ」という見方もあるほどだ(スペインの小説名という説も)。
   さらに、レジスタンスのような武装闘争ではなく、軍需機関で労働拒否やナチス集会への不参加、戦争協力の研究の中止など、あくまでも言論に徹し、非暴力抵抗を呼びかけたところに、この運動の特徴がある。その点も、「白バラ」が普遍的な共感を得る要因があるように思う。詳しくは、インゲ・ショル『白バラは散らず』(内垣啓一訳、未来社)、山下公子『ミュンヒェンの白いばら――ヒトラーに抵抗した若者たち』(筑摩書房)などを参照されたい。

 ◆民主主義は「自転車操業」

  増田さんは、「白バラ」の言葉が「今の時代にも語りかけるものをもっている」というヴァイツゼッカーの指摘を重視する。そして、ドイツにおける「政治嫌い」(Politikverdrossenheit) の傾向に着目。日本では「政治失い」「政治捨て」にまで進んでいると述べつつ、政治への「無関心」のさまざまな形が、「政治腐敗の温床づくりを手伝ってしまうのではあるまいか」と警鐘を鳴らす。同感である。
  増田さんの文章が本誌に掲載された翌年、「小選挙区比例代表並立制」への選挙制度「改革」が行われた。この「改革」は、昨年9.11総選挙」の劇的な結果となって跳ね返ってきた(本誌05年12月号拙稿参照)。政治への無関心は、小泉政権下では、「改革」という言葉に幻惑されて、中身を十分検証することなく賛成してしまう「小泉ええじゃないか」(平野貞夫『亡国』展望社参照)の動きにもつながる。「9.11総選挙」の結果は、無党派層というよりも、「選挙なんか行ったことないよ」という無投票層の「小泉気分」によって生み出されたのではないか。だとすれば、現代日本の深刻な問題は、政治的無関心一般ではなく、むしろ、政治に対する「思考の劣化」にあるように思う。
  
ドイツでも、「政治嫌い」は「民主主義嫌い」(Demokratieverdrossenheit)に転化にしつつあるとの指摘がある。民主主義の統治システムそのものへの不信・蔑視であり、旧東部地域ではそれが特に深刻である。
  
では、どうするか。ヴァイツゼッカーの「白バラ」追悼演説のなかに、こういう下りがある。「不正が行われているときに目を背けないという課題、たとえ生きるか死ぬかというほどの問題ではなくても、紛争を回避せず、無関心に陥らず、だまされず、受動的な態度と宿命主義、危険への恐れと同調主義を克服するという課題」である。
  小さな不正も見逃さず、「ノー」をいう。ナチスや戦前日本とは異なり、この国では、言論や学問の自由が「生きるか死ぬか」にまで至ることはないものの、巧妙な不利益の連鎖のなかで、迎合的精神への退行を強いる状況は無数にある。「いいんじゃないの」という同調主義、「どうせ」「結局は…」といったあきらめ、宿命主義をとらずに、誠実に問題と向き合う「小さな勇気」が大切なのだと思う。
  増田さんはいう。「民主制、民主主義というのは、自転車みたいなもので、乗る人が自分の両足をせっせと動かしていないと前に進まないし、たおれてしまう。自転車操業という言葉は、もっぱら商売や事業にだけ使われてきたが、民主主義を保つためには自転車に乗る要領が必要だとしたら、これは市民の政治用語としても流通させたい」と。そして、「無関心のコートを脱ごうではないか」と呼びかけている。
  民主主義のシステムが崩壊しないためにも、私たちは足を動かしていなければならない。憲法12条は、自由や権利は、私たちが「不断の努力」で守り続けなければならないといっている。これには日常的で地道な努力、「普段の努力」も必要である。小さな「白バラ」はどこの職場、学校、地域にもある。
  
本稿を執筆した今日、63年前の2月22日に、ショル兄妹は処刑された。近いうちに、映画「白バラの祈り」(ローテムント監督)をみにいくとしよう。

2006年2月22日脱稿)

「水島朝穂の同時代を診る」連載第17回
国公労連「調査時報」520号(2006年4月号)所収〕

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