わが歴史グッズの話(23)憲法施行60年  2007年5月14日

日、参議院本会議で、憲法改正手続法案(国民投票法案)が可決・成立する。重大な問題を含む法案が、かくも簡単に成立していいのか。委員会の中継をネットで見たが、緊張感のないやりとりも目立ち、情けない思いがした。この問題は、憲法施行60周年に「特別直言」を出して論じたので、ここでは立ち入らない

  先週の憲法記念日は、 茨城県水戸市で講演した。若いカップルや学生など、主催者の予想を上回る参加者があった。私なりに力を込めて話をした。その前日の5月2日夕方は、北海道札幌市にいた。札幌弁護士会主催の「憲法施行60周年『講演と対談の夕べ』」に参加した。札弁は、「憲法を考える180日」というシリーズを企画し、「日本国憲法公布60周年の前日から始まり、施行60周年の前日まで」の180日間、毎月1回、計6回の講演会を行ってきた。昨年11月2日の第一回は、私が、「日本国憲法とその60年」と題して講演した。今回は、最終回で、「日本国憲法とアジアの平和」と題し、作家・辻井喬さん、新潟県加茂市長(元・防衛庁教育訓練局長)小池清彦さんの二人が短時間講演し、私がコーディネーターとなって3人で語るという企画だった。辻井さんと小池さんの話はいずれも大変興味深いものだった。『北海道新聞』3日付が写真入りで報じた。辻井さんは、「くらしと憲法」という角度から、日本国憲法9条を高く評価し、改憲に向かう流れを警告した。西武セゾングループのトップという経験を踏まえて、財界の裏話も披露。聴衆の関心をひいた。小池さんは、防衛庁教育訓練局長時代の体験から、「専守防衛」の枠を厳格にまもることを強調し、イラク派兵の違憲性を強調した。イラクに派遣された地元部隊が帰国した際には、自衛官の家族から「市長が派遣に反対してくれたので、主人は無事に帰れました」といわれたことを紹介。国民保護法制には乗らず、万が一の場合には、国際法上の「戦時平和都市宣言」をして住民を守ると熱く語った。札弁の6回企画について、私は最後のまとめのなかで、「熟慮の期間」を有効に活かしたものとして高く評価した。


   さて、今回の直言は、「わが歴史グッズ」シリーズ23回目として、憲法関連のグッズを紹介しよう。
   まずは憲法施行記念50銭切手である。頭に白い手拭いをまき、筒袖にモンペ(推測)姿の女性が、絣の着物を着た幼児を抱いて立っている。背後は国会議事堂である。1946年4月10日の第22回衆議院総選挙は、大選挙区制限連記制で行われたが、そのとき初めて女性参政権が実現した。『朝日新聞』4月11日には、投票所で順番を待つ女性たちの写真が一面トップに載った。託児所まで設けられていたことがわかる。戦争が終わってまだ8カ月。女性たちの笑顔が印象的だ。こうした雰囲気のなかで、憲法施行記念の切手に、子持ちの女性の絵が使われたのだろう。
  これは、東京都交通局がつくった都電の乗車券(50銭)である。富士山と桜をあしらった、「日本国憲法施行記念電車乗車券」とあり、「昭和二十二年五月三日」と印刷してある。
   なお、半年前には、日本国憲法公布記念の絵葉書も発売された。3枚セットで、「平和」と題する石井柏亭の作品は、農家と庭の柿の木の絵である。「迎日」と題する藤田嗣治画伯の絵もある。

  憲法公布の日から施行の日までに、たくさんのパンフレット類が配られた。
   『日本週報』11月3日発行のものには、憲法担当大臣の金森徳次郎「憲法改正の意義」以下、牧野英一博士や高柳賢三博士らによる「新憲法」の意義づけ、内閣法制局による憲法の逐条解説が収録されている。興味深いのは、安部磯雄の巻頭言「人民の誕生」である。安部は、この国の大衆のなかに、政治的無自覚や批判力の欠如、権力への盲従などが見られ、その克服には長い時間がかかることを指摘して、「それこそが、富貴に捉はず、権力に屈せざる、真に自由なる、人民の誕生である」と結んでいる。牧野の「新しい憲法と新しい人生」を含めて、憲法についての熱い文章が並ぶ。

  同じく公布の日に読売新聞社が発行した『新憲法読本』の9条の章は、次のような一文で結ばれている。

 「…新しい時代の平和の典型として日本憲法を見るならば、ある程度の戦力保持の必要を漠然と感じる危惧感は、この憲法によって再生しようとする日本国民のヒューマニズムを踏みにじるものでしかない。それは単なる感傷の域を脱しない小市民的感情であろう。国際連合がその機構において内容において充実強化され、世界恒久平和の基礎が確立されるべく、日本がなすべきことは、一に戦争放棄の積極的提言以外にはないのである」

  兵庫県と兵庫県憲法普及会兵庫県支部が憲法施行の2カ月前に発行した『新憲法公布記念・新憲法之解説』には、憲法大臣金森徳次郎の公布記念の講演が収録されている。そのなかで、金森は次のように述べている。

 「成程是は法文でありますから活字で印刷してあり『インキ』を以て紙の上に記述されて居るものでありますけれども、頭を変へて本体を見よ。是は国民の熱情を以て記されてあるものであり、国民の心の上に刻み込まれてあるものでありまして此の憲法に対して客観的の批評をするのが国民の任務ではありません。国民が之に依って憲法を肉付けると云ふ所に国民諸君の義務がある。斯様に考へて居る次第であります」

  公布の日に発行された憲法普及会編『新しい憲法 明るい生活』の表紙には、「大切に保存して多くの人人で回読して下さい」との注意書きがある。

  さて、昨年、『憲法「私」論』のときにお世話になった速記者の方が、20年ほど前、大磯の吉田茂元総理邸近くの骨董店で入手したという、いわくつきのスクラップブックを頂戴した。20年ほど前に、茶碗などを見ていたら、奥の方に置かれていた緑色のスクラップブックが目にとまったという。開いてみると、憲法制定時の新聞の切り抜きが日付順にびっしり並んでいる。ここに置いておいてはいけないと思い、買い求めたという。それから20年。『憲法「私」論』の作業で知り合った水島に譲ろうと思ったのだという。大変ありがたいお話であった。私はこれをちょっと開いて、驚いた。  1946年1月10日から5月4日までの切り抜きなのだが、朝毎読の三大紙だけでなく、「道新」と万年筆で書き込んだ『北海道新聞』の切り抜きもかなりある。例えば、「新憲法の焦点」という連載から、「憲法改正」をめぐる識者の評論、さらには東京裁判の動きまで、実に丁寧にかつ周到に切り抜かれ、整理されている。憲法制定と東京裁判に強い関心をもち、かつ終戦直後なのに、三大紙と道新を購入できる金銭的余裕のあった人ということになる。役所の資料ではなく、個人で整理していたもののようである。投書欄のなかから、わざわざ憲法関係の投書だけを切り抜いていることからも、憲法についての問題意識はかなり鮮明である。

  なお、憲法施行1年目の新聞の一面トップがどんな記事だったか記憶している人はいないだろう。今回、自分の研究室に保存してある「わが歴史グッズ」のなかから憲法に関連するものを探していて、偶然見つけたのが、『朝日新聞』1948年5月3日付である。「日本国民へ」と題する憲法施行1周年のマッカーサー元帥声明である。縦見出しには「強く守れ・この大憲章 東亜に不落の民主主義」とある。

 「一年前、日本の新憲法が国家最高の法律となり、その結果として、日本人の一人一人が個人的威厳を身につけることになったため、人類の自由という大義は一歩前進した。かくて国民は自由と正義を支柱として立つ政治的、社会的機構の設計を規定するこの憲章に力づけられ、崇高な人生の夜明けにその眼を見開いたのである。
   人類代々の経験を織りこんで、この憲章は、文明が今日までにつくり出すことのできた人類の相互関係においては、最も進んだ構想を具備しており、かつ現在あるごとく、形式といい、内容といい、あるいは進歩的思想の諸点から見て、他の憲章のいずれにも劣らないものである。しかし、書かれた文字だけでは、その文字によって與えられた権利や特権を間接に守るにすぎない。これを守るのは、実際主権が存在する国民の断固たる意志にある。注意深くこれを保存し、かつ力強くこれを防衛するのでなければ何人も自由の恩恵にあずかる資格を持つものではない。
   それ故にこの憲章を生き生きとした、かつ含蓄ある現実に移すのは、その条章によって権限を有する国民の手によらなければならない。…」

  ソ連や国内の労働運動などを意識した政治的主張も見られるが、全体として、格調高く、日本国憲法施行の意義を説いている。

  最後に、一生涯のうちに二度の憲法発布を体験したという穂積重遠博士の『私たちの憲法』(社会教育協会、1948年)の一節を紹介しよう。穂積は東大教授、最高裁判事を歴任した学者である(1883年4月11日〜1951年7月29日没)。
   穂積は、6歳の時に大日本帝国憲法の発布(1889年2月11日)を迎えた。町中がお祭り騒ぎだったという。だが、「果して何人が憲法発布の本当の意味を理解していたか、すこぶる疑わしいものだ」と書いている。東京下町の江戸っ子たちが、「おかみ」から「ケンプノハッピ」(絹布の法被)がもらえると喜んでいたという話もあるほどだ。実際、明治憲法は「おかみ」からの頂戴物だったという。それは、60年前の明治の話である、として、「60年後の昭和の今日、たとえその制定の由来がどうあろうとも、『国民ノタメノ国民ニヨル国民ノ』憲法を『たなぼた』の『頂戴物』で済ませていいものだろうか」と問い、憲法前文の「結び」の一言が「誓ふ」になっていることに着目し、「新憲法はわれらの契約なのだ」と説くのである。

  穂積もすでにこの世にはなく、彼がこの本を出してから、約60年が経過した。憲法改正手続法案(国民投票法案)を審議する参院委員会に総理大臣自らが出席し、改憲を説く。発案も発議も国会が行う。そこに行政府の長が乗り込んで、改憲促進の方向づけをするのはおかしい。この首相は、憲法改正を進めることしか頭にないかのように、憑かれたように改憲に向かっている。こうして、武力行使はしないという「契約」を、いま、首相が先頭になって解除しようとしているのである。「日本国憲法はわれらの契約なのだ」という穂積の言葉を想起しながら、市民は、その「社会契約」の内容をしっかり読み、そして、権力担当者によく読ませ、「60年もたったのだから変えましょう」といった「甘言」に、簡単に乗ってはならないだろう。

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