田母神統幕学校長の20カ月  2009年3月23日

月11日、靖国神社付近を歩いていた知人が、このチラシを受け取った。「今、世界が最も恐れる、建国記念日にふさわしい日本人、田母神俊雄前航空幕僚長…」「『東京裁判史観』から『田母神史観』へ脱皮しよう!」。海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律案(仮称)の概要連絡先は「新しい歴史教科書をつくる会」東京支部とある。

「こんにちは。"危険人物"の田母神俊雄です」で始まる『田母神塾 ―― これが誇りある日本の教科書だ』(双葉社)を読んだ。『自らの身は顧みず』(ワック出版)も先月通読した。これは『産経新聞』に何度も大きな広告が出るし、「13万部突破!遂に日本国民必読の書となった!」と威勢がいい(同紙2 月11日付)。講演録がDVDでも売られ、「活字で読むか、映像で見るか」と煽る。かねてより「キャラがたった将軍」としてその筋では知られていたが、「そんなの関係ねぇ」発言で一気に全国区になった。その半年後に「懸賞論文」問題を起こし、航空幕僚長の任を解かれた。

自衛隊人事に長年注目してきた一人として、キャリアの点で田母神氏が空幕長まで登り詰めることができたことに疑問を持っているが、人事には色々な要素が絡むものである。異例に長く事務次官や統幕長をやるケースが近年みられるので、人事のルールになにがしかの変化が生まれているようではある。もっとも、これは専門のウォッチャーに任せることにして、私は、あまり注目されないが、田母神氏のような人物が、20カ月間、統合幕僚学校長の地位にあった事実を重視すべきではないかと考えている。彼が自衛隊に残した教育の「成果」が今後どのように広まっていくか。サイトも開設し、活発な講演活動を続けるとともに、バラエティ番組にも出演するなど、メディア露出度も高い。彼の考え方が自衛隊の主流とは思いたくないのだが、部内では、彼を支持する動きもかなりあるようだ(「防衛大学校――校長を悩ます『田母神』応援団」『朝日新聞』2009年3月16日付コラム)。田母神氏の著書の帯には、「統合幕僚学校での講義を再現!自衛隊の上級幹部は『この授業』を受けていた!」とある。そこで、「講義」とされる内容の一端をここで紹介しておきたい。

田母神氏は小泉政権下の2002年12月から2004年8月まで、統合幕僚学校長を務めた。統幕学校の受講者は一、二佐クラス(各国の軍隊では大佐、中佐)。将官をめざして研修する、自衛隊の最高教育機関である。各自衛隊から12人ずつ参加する。田母神氏は、「一佐クラスの36人がそろって受講するわけですから、ここで歴史観と国家観を教えることの意味は大きいでしょう」という。一佐といえば、連隊長や護衛隊司令、空幕防衛課長など、一線の部隊トップやスタッフの要を占める人材である。田母神氏は、「自衛隊の最高幹部を育成する統合幕僚学校でさえも、自虐史観に染まっている生徒がいます」と述べ、 受講者の一佐クラスに「反日史観で凝り固まっている生徒がいた」と書いている。それで、「歴史観・国家観」のカリキュラムを編成することにしたという。防衛庁(当時)内局関係者のチェックがどの程度あったのか。おそらく田母神校長の主導で、このカリキュラムを押し切ったものと思われる。3時間×5コマ、計15時間。集中講義的で、授業密度は相当濃い。講師は「新しい歴史教科書をつくる会」系の作家や学者、評論家など。「ある授業では、15世紀以降始まった有色人種国家に対する白人の侵略について講義していただきました」と語っているように、真珠湾から原爆投下、占領、東京裁判に至るまで、「白人の侵略」という観点で一貫した講義がなされたようである。おのずと「白人=アメリカ」の支配への怒りや不信が醸成される。「白人支配」からの脱却のため、最終的に核武装の必要性まで説かれている。「領空侵犯機は撃墜し、不審船は粉にして海に沈めるべし」「敵基地先制攻撃」「核兵器で国防と外交を強化せよ」。「現行法では『自衛隊は軍ではない』から、シビリアン・コントロール(文民統制)などそもそも存在しない。最初から軍人がいないのですから、シビリアン・コントロールもヘッタクレもないわけです」。何とも勇ましい講義が続く。受講者は、「これでようやく日本に誇りをもてます。手遅れにならずに済みました」といった感想を書き残しているという。これを田母神氏は、「有意義な成果」として自賛している。

田母神氏の「歴史観・国家観」とされるものは、日本の右派言論でずっと言われてきたことばかりであり、目新しいものはほとんどない。彼が個人として、そのような主張に賛同しようが、これは自由である。しかし、統幕学校長や空幕長という公的な地位にある者が、その地位に付随して、このような一面的な主張を展開することは問題である。特に目立つのは、「白人国家の侵略」という視点である。「白人国家」にはもちろん米国も含まれる。「人種差別先進国アメリカの暴虐」を縷々説いたあとに真珠湾奇襲を語り、「『ああ、スカッとした』と考えた日本人は多かった」という流れをつくる。「アメリカへの依存体質を改めるべき」という場合、対米対等を言いながら、かなりの程度、反米的な意識が植えつけられる。「日本の安全保障を恒久的なものにするため、我が国は核兵器を保有すべきです」と断言するとき、そこには「白人国家」(=米国)からの軍事的自立の志向が見え隠れする。

田母神氏の発想はまた、徹底した「陰謀史観」である。例えば、戦後、日本人洗脳化計画のために、東大、京大、一橋大の学長たちにはコミンテルン(共産主義インターナショナル)のスパイが送り込まれたと、根拠もなしに断定している。田母神氏によれば、GHQ も米国政府の中枢もすべて、コミンテルンの手下ということになる。張作霖事件はコミンテルンの自作自演。盧溝橋事件でさえ、コミンテルンが日中双方に発砲して始まったのだという。まともに付き合う気力が起きないので、詳細は省略する。

歴代内閣・首相への反発もすさまじい。福田赳夫、中曾根康弘から麻生太郎までの歴代首相について、それぞれ一節を割いて、その「大罪」を糾弾してみせる。統幕学校では、こうやって歴代内閣の批判が展開されていたのだろうか。小渕恵三と福田康夫の両首相は、それぞれ対人地雷禁止条約とクラスター弾禁止条約を批准したことが非難されている。かつての上司、石破茂元防衛大臣は「卑怯」「噴飯モノ」と二つの節を使って叩かれている。

「麻生太郎の大罪」とは何か。田母神氏によれば、麻生首相が、「言論の自由は誰にでもあるが、文民統制の日本において、幕僚長という立場では不適切だ」と述べた点が「極めて不適切」なのだそうである。「私はむしろ、高位高官だからこそ政局に影響を与えるようなことをはっきり言わなければいけないと思う。そうでないと、社会は変わりません。若い隊員の自由な発言では社会は動きません」。自衛隊高官が「政局」に影響を与え、社会を動かすとはどういうことか。「シビリアン・コントロールもヘッタクレもない」と叫ぶ政治的将軍にとって、首相や防衛相は力で「動かす」対象なのだろう。

ちなみに、田母神氏が高く評価する数少ない政治家は、日本の核保有について議論する必要を説いた中川昭一氏(2006年10月。当時自民党政調会長。最近、酩酊記者会見で財務相を辞任)である。

ところで、田母神氏が空幕長のとき、自衛隊イラク派遣を憲法違反とした名古屋高裁判決に対して「そんなの関係ねぇ」と言ったことは、この直言でも書いた。今回、彼の本を読んで驚いた。「私がただ一つ反省すべき点があるとすれば、あの発言に『そんなの関係ねぇ、オッパッピーという状況だ』ともうひとこと付け加えるのを忘れてしまったことです」。憲法を蔑視し、裁判所を嘲笑する態度、ここに極まれりである。

この政治的将軍は、その地位を利用して、自衛隊に影響力を行使しようとしてきた。それがどの程度まで及んでいるのかは不明である。昨年11月11日の参議院外交防衛委員会に参考人招致された田母神氏は、懸賞論文への投稿指示を否定したのだが、その際、こう述べた。「私が指示すれば1000を超える数が集まる」(『毎日新聞』2008年11月12日付)と。実際に懸賞論文に応募したのは空自隊員97人だったのだが、田母神氏は「指示すれば1000を超える」と胸をはったわけである。こういうメンタリティの人物が統幕学校長として一佐クラスを教育してきた事実は重大である。「統合幕僚学校には航空自衛隊だけでなく陸上自衛隊、海上自衛隊のエリートも入ってきますから、空自に限らず陸海の自衛隊にも私の考えは相当広まったと思います」と田母神氏。「自衛官の99%は私を支持している」とも書いている。田母神色に染まった幹部自衛官がどれほどいるのか。20カ月にわたって、統幕学校は「田母神学校」となり、政府見解を否定する教育が系統的に行われてきたわけである。「統幕学校での講義再現」という『田母神塾』の中身をみていると、幕府(政府)を揺るがす「倒幕学校」になりかねないことが危惧される。

5 年前、陸上幕僚監部防衛部防衛課防衛班(「参謀」に引っかけ「三防」と呼ばれる超エリート部署)の二佐が、改憲案を起草したことがある。これについては、この直言でも触れた。昨年、年金改革に関わった厚生省元次官が襲われる事件も起きた。何ともいやな空気がただよってきた。昭和10年代、相沢中佐事件、5.15事件、2.26事件等々、「社会を動かす」ために政治家や経済人、統制派軍人が襲われる。このような時代には必ず、ピエロのような政治的軍人が登場する。昭和10年代のような事態は起こり得ないと思いたいが、IT時代のクーデターは直接、部隊を動かす必要はない。ホームページを開いて、田母神塾という民間の「倒幕学校」を運営して、今後も外から自衛隊内に特定の歴史観や国家観を注入していこうというのだろうか。

なお、防衛省の民間協力団体「防衛省自衛隊東京地本援護協力会杉並支部」は本年7月に田母神講演会を予定していたが、防衛省側が中止要請をしていたようである。『産経新聞』2009年3月13日付が「スクープ」したのだが、結局、主催者名を変更して開催されることになった。自衛隊東京地方協力本部援護課は、「政府見解と異なる言論をした田母神氏の応援はできないが、中止を求めたわけではない。あくまで防衛省の立場を説明しただけ」と『産経』記者に語っているが、ネットでは、田母神応援団が防衛省の対応を盛んに非難している。

重要なことは、憲法尊重擁護義務を屁とも思わない高級幹部が、退官後もこういう発言を続けていることである。『田母神塾』には、巻頭の靖国神社のグラビアに重ねて「真・日本国憲法第9条」の田母神私案が掲げられている

真・日本国憲法第9条

1) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求する。
2) 前項の目的を達するため、我が国の国力に応じ、国際社会を安定させるための手段  として陸海空軍その他の戦力を保持する。

戦争放棄を放棄し、政府解釈にある「自衛のため」という建前も放棄している。「自民党新憲法草案」ですら、現在の日本国憲法9条1項は維持したのと比べれば、1928年不戦条約以前への、80年以上の逆走といえる。

そこで、以下、田母神問題を憲法尊重擁護義務という観点から論じた拙稿を転載することにしたい。下記の論稿の執筆時点は、田母神「論文」問題が現在進行形だった昨年11月なので、その点を考慮してお読みいただきたいと思う。


改めて憲法尊重擁護義務を考える

◆生活が苦しいので?

毎年の本誌10月号には、国家公務員の俸給表がずらりと並ぶ。よくぞここまで細かく定めていると感心するほどである。いま手元に「自衛官俸給表〔平成19年度月額表〕」がある。これも細かい。横に見ると、3 士(陸・海・空)から、将(陸・海・空)まで17階級20区分ある。縦には、曹長が141 号俸、准尉と3 尉は145 号俸まである。

かつて自衛隊の準機関紙『朝雲』川柳大会の佳作に、「定年が 延びて白髪が 野を駆ける」という作品があったが、現場を支えているのは、こうした「たたき上げ」の曹や3尉クラスである。号俸の多さは、そのまま自衛隊の人事構造を示している。他方、ごくわずかな数の高級幹部の場合は、1号俸は曹や准尉の最高号俸よりも、はるかに高額である。高級幹部の間でも、各国の大佐にあたる1 佐は3 区分、少将にあたる将補は2区分ある。この区分により、同じ1佐職をあてるポストでも、微妙に差を設けているわけだ。例えば、陸自の場合、方面総監部の各部長は3 等1 等陸佐、連隊長は2等1等陸佐、師団幕僚長は1等1等陸佐をあてる。俸給表では、3等の1佐と1等の1佐とでは、月7万円以上違う。この差が、どちらが先に敬礼するかを含め、階級社会における序列を決める。

「将」の場合は8号俸まで。幕僚長クラスは、最高額の月額121万1000円を受け取っている。航空自衛隊のトップ、航空幕僚長の田母神俊雄空将も同様だった。彼は、ホテル・マンション経営のアパグループが募集した懸賞論文に応募し、「最優秀賞」(賞金300万円)を受賞した。「日本は侵略国家であったのか」という「論文」は、異様な歴史観と、政府見解を否定する特異な内容をもっていた。これが問題とされて、空幕長を解任された(詳しくは、私のホームページ「直言」11月17日付参照)。彼は調査委員会にかけられるのを拒否し、すぐに定年退職した。退職金は7000万円であった。記者に退職金について問われると、田母神氏は、「生活が苦しいので使わせていただきたい」と述べた。年収200万円以下が1000万人を超えるという状況のなか、この発言はかなりの違和感をもって受けとめられた。

◆憲法、そんなの関係ねぇ?

その田母神氏は、4月17日、名古屋高裁が出したイラク派遣違憲判決に対して、「そんなの関係ねぇ」といって、司法蔑視の姿勢を示したことで知られる。今回の田母神「論文」は、集団的自衛権の行使ができないことや、攻撃的兵器の保有が禁止されていることなどを非難し、こうした規制を「マインドコントロール」とまで呼んで、それからの「解放」を説いている。空自のトップが憲法に対して、ここまで敵視の姿勢を示したことは重大である。

11月11日、参議院外交防衛委員会に参考人招致されたときも、「国を守ることについて、これほど意見が割れるものは(憲法改正をして)直したほうがいい」と主張。「憲法、そんなの関係ねぇ」といわんばかりの発言を繰り返した。こんな「危ない将軍」が、なぜ空幕長にまでのぼりつめることができたのか。大いに問題とされるべきだろう。

ところで、すべての公務員には、憲法尊重擁護義務が課せられている(憲法99条)。権力担当者に対して憲法尊重擁護義務をことさらに要求することで、憲法の最高法規性を確実なものにしようとした制度設計である。

99条は、義務を課される対象が具体的で、天皇・摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、「その他の公務員」という形で、憲法違反をしそうな人々を「名指し」している。そして、国や地方を問わず、また職階の高低、職種の違いにかかわらず、すべての公務員に、憲法尊重擁護義務を要求している。

ところで、この義務の内容はいかなるものだろうか。「尊重」し、かつ「擁護」する義務となれば、「尊重義務」と「擁護義務」がそれぞれ別個に存在しうることになる。「尊重する」とは憲法を遵守することをいい、「擁護する」とは、憲法違反に抵抗し、憲法の実施を確保するために努力することを含むが、両者の間に根本的な違いはないとされている(宮澤俊義・芦部信喜補訂『全訂日本国憲法』日本評論社)。 「尊び」「重んずる」義務というと倫理的色彩も濃厚だが、「擁護」義務というのは、憲法の側に立って、「かばいまもる」義務という積極的な響きがある。公務員は、いったん違憲行為が行われ、あるいは行われようとする場合には、憲法の側に立って、違憲行為の予防ないし阻止に尽力し、憲法の規範力を回復させるため積極的に努力する義務がある。「尊重擁護」とダブルにしたことは過小に評価すべきではないだろう。

現行憲法の廃棄や破棄を主張することは許されるか。一般国民ならば、表現の自由の範囲内にある。だが、国務大臣がそのような主張をした場合はどうか。空幕長がやったらどうなるか。憲法96条の改正手続以外の方法で憲法の変更を求める主張、あるいは憲法改正の限界を超える改憲主張(改正限界説をとった場合)は、この義務に抵触すると考えられる(樋口陽一『憲法Ⅰ』青林書院など)。

さらに、憲法改正の発議は国会が行うことから、改正の発案権は国会議員だけにある。そう考えると、国務大臣たる資格で憲法改正を主張することはできないことになる(樋口・同)。 空幕長は当然、99条の「その他の公務員」にあたり、その職にありながら、露骨に政府見解を非難したり、憲法改正を主張することは許されない。田母神氏は「確信犯」的な、憲法尊重擁護義務違反の常習者だったわけである。

◆憲法尊重擁護義務の再評価を

すでに述べたように、憲法99条は、すべての公務員に、憲法尊重擁護義務を課している。天皇・摂政、国務大臣など、わざわざ列挙して名指ししている。しかし、ここに名指しされていないのが、国民である。憲法は、権力担当者と国民とを区別して、国民には憲法尊重擁護義務を課さなかった。それだけ、憲法は、自らについての評価についても、国民の言論・表現の自由に基づく熟議に委ね、自由のダイナミックレンジはできるだけ広くとろうとしたものといえる。他方、憲法は、国民に対して、「不断の努力」により、自由と権利を保持する責任があると定めている。ここに、99条で「名指し」された者のなかに国民が含まれない意味である。

ところが、1994年11月に公表された「読売改憲試案」は、99条を削除し、そのかわり、前文に、「この憲法は、日本国の最高法規であり、国民はこれを遵守しなければならない」という一文が挿入された。これでは、権力制限規範から、国民に対する行為規範へと、「憲法の逆転」が生ずることになる。国民の「憲法忠誠義務」の発想も背後にあり、要注意である。

(2008年11月25日脱稿)

〔「同時代を診る」連載48回『国公労調査時報』553号(2009年1月)所収〕


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