普天間問題に発想の転換を 2009年12月7日

2004年にゼミの沖縄合宿をやった際、基地班の学生に同行して、米軍普天間飛行場と、その飛行場の輸送ヘリが墜落した沖縄国際大学、さらにキャンプシュワブのある名護市辺野古沿岸まで行った。現場に着くと、多くの人たちが座り込みを続けていた。私たちに説明をしてくれた方は、さりげなく写真を砂浜に広げた。「もし海上基地ができると、この赤い部分が基地になります」。学生たちはその写真と、目の前に広がる美しい海を何度も見比べる。思わずため息をつく者もいる。長く重い沈黙が流れた。

2008年に6度目の沖縄合宿をやったとき、学生の一人が辺野古でこんな写真を撮ってきた。「海浜はみんなの宝 ゴミは持ち帰りましょう 名護市環境衛生課」。そこに「基地と」という落書きがなされていた。

私はこの「直言」で13年間、たびたび沖縄の問題について言及してきたラジオ第一放送でも、沖縄の問題を扱った。年に1度は講演などで沖縄にいく。この10月17日には、日帰り講演もした。滞在時間は6時間ほど。政権交代後初めての沖縄だったが、地元メディアや市民との交流を通じて、連立政権に対する沖縄の複雑な眼差しを実感した。だが、東京に戻ると、相も変わらず「辺野古に移設しなければ、日米同盟が危うくなる」という声ばかりが聞こえてくる。まず県内移設ありき。なぜ、かくも一面的な発想しかできないのか。沖縄の人々の深い悲しみをたたえた怒りがひしひしと伝わってくる。

普天間飛行場については、辺野古移設、県内移設、県外移設、国外移設の4つの選択肢がある。北澤防衛大臣は辺野古移設、岡田外務大臣は嘉手納統合案を含む県内移設、鳩山首相は辺野古移設の可能性を残しつつ、国外移設の可能性をちらつかせている。

沖縄の怒りと絶望は、これまでの自民党政権の、米国には卑屈で、沖縄には結論先にありきの居丈高な態度に向けられてきた。いま、まがりなりにも、新政権内部で複数の議論が錯綜していることは、「迷走」とか「混乱」とかいう一言で片づけるべきではないだろう。「年内決着をしない」と決めた鳩山首相の結論は、その限りで妥当である。そこで、この問題を考えるとき、私はさしあたり、次の3点を指摘しておきたい。

第1に、米軍の基地をめぐる「事情変更」である。日本政府は、米政府・米軍の言い分をまったく無批判に受け入れて、それを前提にして沖縄に負担を迫ってきた。だが、ここで一歩立ち止まって考えてみよう。まず、その「質」である。海兵隊は厳密な意味での「国防軍」ではない。海兵隊の担任領域は米国内にはなく、全世界である。米国の軍事介入主義を支える実動部隊を、なぜ日本が引き受けるのか。そもそも米国は海兵隊の海外遠征軍を3個もっているが、米国外に展開しているのは1個軍、しかも日本だけである。主力は沖縄に、航空部隊は岩国に。日米安保条約における基地の提供条件は、条文上は依然として日本と「極東」の安全の維持である。数々の共同宣言やガイドラインなどにより「アジア・太平洋地域」から「グローバル」に運用され、イラク戦争にまで使われてきた。このような米軍の軍事介入主義を、日本国民の税金でまかない続けるのか。それが日本の安全保障に役立つのか。米軍基地提供の前提を問いなおす議論が求められているのである。

米国内にも、海外遠征軍の展開や軍事介入に批判的な議論は存在する。だから、アーミテージやらマイケル・グリーンやらの偏った「知日派」に寄り添うメディアの報道姿勢には問題がある。最近、Rajan Menonの『同盟の終わり』(The End of Alliances, Oxford University Press, 2007)を入手した。読みはじめたところだが、米国の、欧州とアジアとの同盟関係を問いなおし、ゆっくりと解消に向かう方向を模索している点で興味深い。理性的な眼差しは米国内にもある。

とはいえ、ブッシュ政権からオバマ政権に交代したといっても、連続面にも注意する必要がある。沖縄問題に対しても同様である。ただ、日本や沖縄や地元の反対を露骨に押し切ることは表向きできない。だからこそ、日本の姿勢をむしろ積極的に米国に示し、世界注視のなかで、米国にものを言うことが大切なのである。その意味で、政府部内が一つにまとまらないことが米国を「不安」にさせている現状は、結果論だが、これまでの日米関係にない、新しい現象として、画期的と評価してよいだろう。米国側に、「日本が見えない」ということは、他の選択肢も考えないといけないと思わせる。これは現政権の成果というよりも、政府の不安定さそれ自体が、結果的に、自民党下のような「甘え」が許されないことを米国に知らしめた点で意味があろう。

県内か県外か、国外か。それだけでなく、ここで思い切った発想の転換をする。基地のたらいまわしはやめて、思い切って米軍基地の縮小という選択肢も考える。その意味で、私は「圏外移設」を主張した。つまり、米側に海外遠征軍の縮小や引き上げの選択肢を検討せざるを得なくしていくわけである。

実際、米軍は前方展開基地としてはグァムの強化を狙っており、沖縄はむしろ訓練基地に下がる可能性も指摘されている(明田川融「普天間飛行場移設——パッケージの呪縛を断ち切れるか」『世界』臨増「大転換」2009年参照)。グァム基地の強化に日本国民の税金をたっぷり使い、そして辺野古に実質的には新しい基地を、これまた日本国民の税金でつくる。この米軍再編に込められた「米国財政にやさしい」戦略をそのまま実現させていいのか。米側は普天間移設からグァム基地強化、そこに辺野古移設をパッケージにして、日本に履行を迫る。そこには米側のしたたかな計算がある。そのあたりをしっかり見抜く必要があるだろう。私のいう「圏外移設」とは、このパッケージの「圏外」に解決の道を探るべしという意味である。また、最近話題になった「事業仕分け」。「無駄をはぶく」という機運が高まっているのだから、「聖域はない」というなら、米軍再編経費にこそ仕分けの視点を適用すべきだろう。

第2に、上記と関連して、日米はまがりなりにも民主主義国家である。国民が選挙により、前政権とは違った政策を選択した。新政権は政権公約(マニフェスト)に基づいて政策を実施する。これは相手方も尊重せざるを得ない。対外政策の場合、「相手がある」ことは確かなのだが、過剰に「相手がある」ということをおもんばかって、こちらの主張を必要以上に抑制する必要はない。あえて違いを明確にするため、前政権の合意を破棄することだって、他国には例がいくらでもある。

2008年に民主党が「沖縄ビジョン」で打ち出した「県外、国外移設」は、総選挙で沖縄の小選挙区で当選した3人の民主党議員の公約でもあり、辺野古移設反対では自民党の1人も含めて4人全員が一致していたことを想起すべきだろう。沖縄での各種世論調査でも、7割近くが県内移設反対である。沖縄の民意は確定しているとみてよい。1月の名護市長選挙で、辺野古移設反対の市長が当選することにでもなれば、沖縄の民意と地元の民意は、まさに辺野古と県内移設反対ということになる。

対等な日米関係をいうならば、日米ともに、民主的な選挙により政権交代が行われたわけだから、前政権の合意があったとしても、そこに問題があれば見直す、そのための交渉を行う。これは当然のことではないだろうか。1996年に県内移設を条件にして普天間返還が日米政府間で合意され、2006年に移設先として名護市辺野古が合意されたものの、沖縄の反対の声は強く、自民党政権下で13年間の時間が空費された。政権交代を好機として、前提から議論し直すことがなぜいけないのか。日本や沖縄の事情を政府が積極的に米側に伝え、米側に再考を促すこと自体が「日米同盟を危うくする」と考える人々がいる。これは何とも奇妙な議論である。

そこで第3に、この問題を通じて、「同盟」ということを疑ってかかる視点が必要だろう。

ビアス『悪魔の辞典』(西川正身編訳、岩波書店)によれば、「同盟」(alliance)とは、「国際政治において、お互いに自分の手を相手のポケットに深く差し入れているため、単独では第三者のものを盗むことができないようになっている二人の盗人の結びつき」とある。言いえて妙だが、これは「日米同盟」にはそのまま妥当しない。「米国が日本のポケット、カバン、財布、手帳、パソコンの中まで手を深く差し入れているため、単独では日本が何もできないようになっている結びつき」である。一方が他方に過剰に気をつかい、過度の遠慮と「おもいやり」を基礎とした不自然な関係、「痒いところに手が届く」どころか、「痒くないところまで掻いてあげる」という異様な関係である。この間明らかとなった、核搭載艦船の日本領海通過・寄港に関する密約や、沖縄返還にあたっての密約の問題に一貫して流れているのは、日本国民を欺き、米国とのこの不自然な関係を維持するため奔走してきた政治家・官僚、それを正当化してきた御用学者たちの「共謀関係」である。嘘で塗り固めてきた関係のなかで、常に沖縄が犠牲になってきた。

せっかく政権交代をしたのだから、こういう不自然で異様な「同盟関係」を「深化」させるのではなく、「盗人たけだけしい」軍事的関係を徐々に脱却して、世界やアジアのさまざまな問題に軍事力抜きで謙虚に取り組む、真の意味で対等で創造的な日米関係に向けて舵を切ることが求められている。この発想の転換から、問題解決への糸口は見えてくる。

 

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