オキナワ


2024/1/22:「現場」からの憲法学――41年目の中間総括

2023/12/18:欠陥機「オスプレイ」が象徴するこの国の「安全」――「安保3文書」から1年

2023/11/27:「陳腐化」した兵器をウクライナに?――多連装ロケットシステム(MLRS)

2023/2/13:雑談(136)水島ゼミ25年間の最終回――セミナーリウム(苗床)物語(その2・完)

2023/1/2:沖縄を切り捨て、誰の「国益」を守るのか――2023年の年頭にあたって

2022/9/19:「台湾でドンパチ、日本で戦争」?――台湾の大学院生の批判的応答

2022/4/25:沖縄が問い続けるもの──サンフランシスコ講和条約70年

2021/12/27:コロナ対策に「思いやり」はあり得ない──オミクロン株と日米地位協定

2021/11/29:武蔵野市住民投票条例の何が問題なのか――憲法蔑視の荒野

2021/8/16:「8.15」、沖縄からの視点――「直言」更新1300回

2020/9/14:メディアがつくる「菅義偉内閣」――「政治的仮病」の効果

2020/9/7:「政治的仮病」とフェイント政治――内閣法9条のこと

2020/8/24:コロナ禍の大学の授業――水島ゼミ23、24期生の活動から

2020/8/17:在任期間のみ「日本一の宰相」――「立憲主義からの逃亡」

2019/3/18:菅原文太さんのこと(その2)――八ヶ岳の農園にて

2019/1/28:安倍首相は「平和を愛する諸国民」がお嫌い――「八方塞がり外交」

2019/1/14:この国の「憲法なき戦前」――『沖縄 憲法なき戦後』を読む

2018/12/17:国政の「放漫運営」――高額兵器の「爆買い」が国を滅ぼす

2018/12/10:秋篠宮発言をどうみるか――天皇・皇族の憲法尊重擁護義務

2018/12/03:権力者が「寄り添う」――安倍流統治言語

2018/11/12:災害における新聞の役割――衝撃的な記憶を記録

2018/10/01:「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具

2018/9/24:水島ゼミ沖縄合宿の20年――知事選下の沖縄へ

2018/8/20:大宰相か、「大災相」か―「安倍3選」というカタストロフ

2018/7/2:「安全保障環境が変わった」――辺野古移設と陸上イージスの中止を

2018/2/26:なぜ日米地位協定の改定に取り組まないのか―「占領憲法」改正を説く首相の「ねじれ」

2018/2/12:安倍流統治手法と名護市長選挙――ポスト「壁」の28年にも触れて

2017/7/10:「即席の受け皿」の危うさ――東京都議選の効果

2017/6/26:大田昌秀氏を悼む――沖縄と憲法を問い続けて

2017/5/15:安倍首相と渡邉読売の改憲戦術――情報隠し、争点ぼかし、論点ずらしの果てに

2017/1/2:自由と立憲主義からの逃走――「直言」更新20周年

2016/9/19:沖縄「高江」から見えるもの――それにもかかわらず(Trotz alledem)

2015/11/16:わが歴史グッズの話(37)劣化ウラン弾――安保法で「弾薬」と して提供可能?

2015/11/9:「沖縄処分」――安倍政権による地方自治の破壊  

2015/10/26:臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反

2015/4/13:憲法政治の「幽霊ドライバー」(Geisterfahrer)

2015/3/30:「我が軍」という憲法違反の宣言――箍が外れた安保法制論議(2)

2014/12/15:二人に一人しか投票しない「民主主義国家」

2014/9/15:オキナワと憲法研究者――沖縄の現場から(その3・完)

2014/9/8:辺野古移設はあり得ない――沖縄の現場から(その2)

2014/9/1:抑止力は「ユクシ(嘘)力」――沖縄の現場から(その1)

2014/8/18:「壊憲の鉄砲玉」といかに向き合うか――憲法研究者の「一分」とは(その3)

2014/7/21:公明党の「転進」を問う

2014/5/19:平成の「5.15事件」――戦後憲法政治の大転換

2014/1/27:地方選挙と基地・原発――連続更新900回に

2014/1/20:辻井喬さんと品川正治さんを悼む

2014/1/13:10年ぶりに「年のはじめに武器の話」(その2・完)

2013/11/04:皇后と山本太郎議員の憲法感覚

2013/9/9:沖縄は「中国の防波堤」?―「核心的利益」と「死活的利益」

2013/5/6:「記念日」の思想――KM(空気が見えない)首相の危うさ

2013/4/15:砂川事件最高裁判決の「超高度の政治性」――どこが「主権回復」なのか

2012/12/10:沖縄は日本ではない!?――米軍警告板の「傲慢無知」

2012/10/15:日米両国政府の想定外――普天間のオスプレイ(2・完)

2012/10/8:メディアは沖縄をどう伝えてきたか――普天間のオスプレイ(1)

2012/9/24:改憲への「大連立」――『毎日』憲法世論調査への疑問

2012/9/3:全周トラブル状況の日本――沖縄で考えたこと

2012/7/23:わが歴史グッズの話(33)――内閣総理大臣

2012/7/16:日米安保を揺るがすオスプレイ

2012/5/21:魚を食う鷹――オスプレイ沖縄配備の思想

2012/4/30:わが歴史グッズの話(32)――講和条約発効60年と沖縄本土復帰40年

2011/12/12:沖縄防衛局長「発言」の底に流れるもの

2011/10/24:なぜ、まだ辺野古なのか――思考の惰性を問う

2011/2/7:もう「思いやり」とは言わせない?――TPPの次はHNS

2010/10/11:次席検事の「眉間の皺」――検察と政治(その2・完)

2010/9/20:「理解を求める」側の論理――新聞と沖縄

2010/7/26:「させていただく」症候群

2010/7/19:沖縄はどこへ行ったのか

2010/6/21:日米安保改定から半世紀

2010/6/14:新聞の衰退は政治の腐敗の始まり?――「新聞をヨム日」

2010/5/31:この「日米共同声明」は実現しない

2010/5/10:「抑止力」を疑え――鳩山首相の最後のチャンス

2010/5/3:これは「沖縄問題」なのだろうか――日本国憲法施行63周年にして

2010/4/26:「日米同盟」からの「圏外」移設

2010/4/19:「員数合わせ」的発想はやめよう――普天間問題の視点

2010/1/4:2010年の年頭にあたって

2009/12/7:普天間問題に発想の転換を

2009/11/16:「日米同盟の深化」でいいのか――ブッシュとオバマの来日

2009/10/26:批判的であること――直言と新聞

2008/6/23:米軍再編の「点と線」――沖縄・岩国・夕張

2008/2/21:緊急直言 イージス艦、漁船轟沈

2007/12/24:「居留民の仕末」から「集団自決」へ

2007/10/15:「安倍色」教科書検定と沖縄

2006/10/30:「語り部の話は退屈だった」か――水島ゼミ沖縄2006夏

2006/8/28:沖縄職務執行命令訴訟判決から10年

2006/5/15:沖縄・読谷村 再訪

2006/1/16:わが歴史グッズの話(18)「その時」の新聞を読んで

2005/9/12:台風下のゼミと「九十九島と九+九十九条」のこと

2004/9/13:沖縄ヘリ墜落事件から見えるもの

2004/5/17:わが歴史グッズの話(13)サミットリカちゃん

2003/6/30:日韓共同研究IN沖縄

2002/10/28:雑談(20)沖縄でサイパン戦をみる

2002/9/16:暴風雨下30時間で考えたこと

2001/7/9:沖縄の事件があぶりだしたもの

2001/2/15:緊急直言 傲慢と迎合の果てに

2000/9/11:「祭のあと」の沖縄を訪ねて

2000/7/24:1年前の沖縄サミット論

1999/2/22:米軍HPから見えるもの

1999/2/8:稲嶺沖縄知事の3年前の言葉

1998/11/24:沖縄知事選をどう見るか

1998/8/24:「国益」と「人の道」

1998/6/8:「核の傘」に依存しない安全保障とは

1998/6/1:日本一多忙な沖縄県出納長

1998/1/26:山内読谷村長、沖縄県三役入り

1997/12/22:名護市民は負けなかった

1997/12/19:緊急直言・地方自治のための「清き一票」

1997/12/15:安保があるからあたりまえ?

1997/12/1:名護市民投票への政府の「介入」

1997/11/17:なめたらあかんぜよ―名護からの報告

1997/11/10:海上ヘリ基地建設の愚行

1997/9/8:地方分権推進委3次勧告の傲慢さ

1997/7/14:キャンプ・ハンセン内の反戦談義

1997/6/2:基地内の村役場と憲法

1997/5/5:憲法施行50年行事を終えて

1997/4/28:45年目の4.28

1997/4/14:旧東独の軍事演習上問題が「解決」へ

1997/3/31:沖縄特措法「改正」と"法恥国家"

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