日航123便墜落事件から25年――『天空の星たちへ』のこと 2010年4月12日

1985年8月12日(月曜)午後8時 NHK特集「人間のこえ――日米独ソ兵士たちの遺稿」が始まった。 スターリングラードの戦場で家族のことを思い、「塹壕のマドンナ」を描いた独軍将校クルト・ロイバーの話。私は正座して画面を見つめていた。そこに突然、 ニュース速報が流れる 「羽田発大阪行日航機レーダーから消える」。酷寒の原野を行くドイツ軍捕虜の映像に、「日航機には乗客497人〔ママ〕が乗っている」の字が重なる。「ロイバーは収容所について、まもなく死んだ」のナレーション。家族がロイバーの絵を袋から出そうとした瞬間、画面はスタジオに切り替わった。「ニュースセンター9時」(当時)の木村太郎キャスターが緊張した面持ちで登場。 「途中ですが、大阪に向かった日本航空機がレーダーから消えました…」と述べ、番組は中断。NHKは特別報道態勢に入った。なお、このNHK特集は数日後に再放送がされたが、それの録画映像には、「日航機関係のニュースは、午後10時15分より放送します」というテロップが残っている。

この事故から4分の1世紀。刑事事件としては、本件は1990年に時効が完成(成立)している(業務上過失致死傷罪の公訴時効は5年)。今年は時効成立から20年にあたる。また、人々の記憶のなかからも次第に忘れられつつある。だが、遺族や関係者にとって、記憶の「風化」はあり得ないだろう。本当にあれは単なる航空機事故だったのだろうか。25年間、私の頭のなかでは、一貫してある疑問が消えていない。123便関連の書籍はほとんど読んだが、推測や憶測も多く、その疑問は解消されていない。

 昨年11月、映画「沈まぬ太陽」をみた。日本アカデミー賞の最優秀作品賞に輝いたが、日航123便事故についての描き方は、私が予想したものよりも控えめだった。いろいろな配慮が働いたのだろう。一番印象に残ったのは、首相(加藤剛)の意を受けた龍崎〔元大本営参謀・瀬島隆三がモデル〕(品川徹)が、国見会長(石坂浩二)に辞任を迫るシーンである。場所は靖国神社の境内。国見は抵抗するが、龍崎は「国のため」という言葉で強引に押し切る。カメラが引くと、そこに靖国神社の第二鳥居が見えてくる。参拝に向かう龍崎に対して国見は、「あなたは何のため、だれのために参拝するのか」と問い、参拝せずに逆方向に歩いていく。明らかに二人は違った「国」を考えていることがわかる場面である。

ニュース速報で中断された25年前の NHK特集「人間のこえ」は、4カ国の兵士を、国家を背負って敵・味方にわかれた者としてではなく、生きた人間として、個人として見つめ直し、彼らの心のうちに耳を傾けようと試みたものである。 御巣鷹の尾根では、520人の尊い命が失われている。生存者は4人。生命を奪われた乗客・乗員一人ひとりの個人の声を代弁しようとしてきた遺族や関係者のなかには、「まだ終わっていない」という思いが確実にある。原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」をめぐって議論があるように、日航123便事故の520人に対して、「安らかに眠ってください」とは到底言えない事情が存在する。

運輸省事故調査委員会報告書128頁の結論部分で、「原因」として書かれているのはわずか8行。「本事故は、事故機の後部圧力隔壁が損壊し、引き続いて尾部胴体・垂直尾翼・操縦系統の損壊が生じ、飛行性の低下と主操縦機能の喪失をきたしたために生じたものと推定される。疲労亀裂の発生、進展は、昭和53年に行われた同隔壁の不適切な修理に起因しており、それが同隔壁の損壊に至るまでに進展したことには同亀裂が点検整備で発見されなかったことも関与しているものと推定される」と。

「推定」が何度も出てきて、圧力隔壁損壊が唯一の原因とされるほどには説得的ではない。この結論に本当に問題はないのか。圧力隔壁が損壊すれば、急減圧が起き、高度7000メートルなら機内はマイナス30度から40度にもなるという。急減圧で急下降するはずだが、123便はむしろ上昇している。また、機内が氷点下になったような異常は見られなかった。時効成立後、そのことを証明する写真が群馬県警から返却され、遺族によって公開された(『毎日新聞』1990年10月13日付夕刊、『朝日新聞』同14日付)。「圧力隔壁が原因」と決めつけた運輸省事故調査委員会の結論には、重大な疑問がある。

調査委員会が公開を拒んだボイスレコーダーの音声が一般に知られるようになったのは、事故から15年目の2000年8月8日だった。TBS「ニュースの森」の女性アナウンサーの第一声。「あの惨事は、異様な爆発音で始まりました」。そして衝撃音。「何か爆発したぞ」という機長の声。最後は、「もうだめだ」の声と衝撃音でボイスレコーダーの音声は終わる。最後まで必死に操縦を続ける機長らの姿が目に浮かび、目頭が熱くなったのを覚えている。 その週は NHKラジオ「新聞を読んで」の担当だったので、番組でそのことを紹介しながら、私はこう結んだ。「…事故調査報告書への疑問がこういう形で出てきた以上、やはり再調査の必要があるのではないでしょうか。新聞もこの問題をもう一度詳しく取材することが必要でしょう」

情報公開法施行を前に、ボイスレコーダーや関係資料を廃棄するよう、事故調査委員会は指示していた。 これに疑問を感じた関係者が、ボイスレコーダーのテープをマスコミに流した。 その経緯は、事故から20年目に放映された、 「ボイスレコーダー:日航ジャンボ機墜落事故」という再現ドラマになっている。 YouTubeで1〜13までみて怒りがわいてきた。 画面に、123便関係資料を「積極的に」廃棄するよう迫る事故調査委員会の内部文書(1999年)が出てきたからである。 事実をすべて表に出すと具合の悪い、何らかの力学が働いているのではないか。 「情報公開法が施行される」 という理由がそれを示唆している。

この4月28日、 1冊の本が出る。 著者は映画「沈まぬ太陽」にもエキストラ出演している元日航客室乗務員。あの123便に乗務したグループに所属していた青山透子さんである。 本のタイトルは、『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』(マガジンランド、2010年4月28日刊)。 本書によって、著者が世に問いたいことはただ一つ、「事故原因を再調査せよ」である。 いろいろな憶測が乱れ飛ぶなか、改めて関係資料をすべて公開して、事実関係を全面的に明らかにすること。それこそが、520人に対する真の供養となる。著者はそう固く信じて本書を執筆したという。

著者との出会いは、14年前にさかのぼる。1996年5月18日(土曜)午後2時、渋谷。私は、 司法試験塾「法学館」の「明日の法律家講座」で講演した。 その時、最前列に座っていたのが著者だった。講演中、私は、1992年に出した拙編著『きみはサンダーバードを知っているか』(日本評論社)にも言及した。この本では、123便墜落の現場がなぜ特定できなかったのかを問い、電波航法機器や夜間暗視装置についての政府の説明に疑問を投げかけ、そして、「生存者の証言によれば、墜落当時、周囲にはまだかなりの生存者の声が聞こえていた…」という記述で結んでいる。彼女はこの部分に強く反応した。講演後、すぐに私のもとにやってきて、「123便に乗っていた先輩や同僚と同じグループでした」と話しかけてきたので、本当に驚いた。彼女はその後、航空関係の専門学校や大学、企業の社員教育をしながら、この事故のことにこだわり続けてきた。

2年前、著者は「JAL倒産」をテーマにしたドラマのシナリオを書き上げ、私の研究室に届けてくれた。冒頭シーンはすごかった。日本航空に会社更生法が適用され、羽田空港の日航本社に管財人が乗り込むところから始まる。そして、日航の内部事情についてリアルに明らかにしていく。日航内部で働く教え子たちとのやりとりをはじめ、感動的な場面もあり、思わず涙腺がゆるんだ。だが、結局、どこの局でもドラマ化できなかった。「生々しすぎる」「日航倒産のドラマなんてできない」ということなのか。

本年1月19日、日航に会社更生法が適用された。この場面には既視観があった。2年前のシナリオで、あまりにリアルに描かれていたからだろう。

それから、著者はシナリオではなく、自己の原点である123便墜落事故についてのノンフィクションを書き下ろす決意をした。そして月日が流れ、私の手元に原稿が届けられた。今年3月5日深夜、私はその原稿を少しだけ読んでみた。仕事が押していてピンチだったにもかかわらず、一気に読んでしまった。明け方近くになっていた。あまりにたくさんの涙が流れたので、目がはれてしまった。

担当編集者を除けば、最初の読者として語りたいことは山ほどある。まもなく出版される本なので、詳しい内容紹介は控えるが、本書の特徴を簡単に紹介すると、まず先輩・同僚への思い出話に終わらせず、それを事実隠蔽への怒りと真実解明へのパワーに変えていったところだろう。そして、「なぜ彼らは死ななければならなかったのか」について、同じ配属グループにいたという立場から、冷静かつ客観的に接近しようとした点である。もちろん、「自分もそこにいたかもしれない」という当事者性は強く意識されている。特に、同僚たちに「123便行方不明」が最初に伝わる場面を読んだ時は、全身が総毛立つ感覚を味わった。生原稿をお読みになった、映画「沈まぬ太陽」の若松節朗監督が「愛情と怒りが交差する衝撃のノンフィクション」(本書の帯の言葉)と特徴づけておられるが、私も原稿を読んで、「交差」のあまりの鋭角性に身震いした。

 第2の特徴は、徹底して新聞を読み込んでいることである。誰でも読める二次資料のなかに、真実が紛れ込んでいるかもしれない。著者の執念には、NHKラジオ「新聞を読んで」のレギュラーである私も脱帽である。特に著者が活用したのは、「逆読み」である。1985年8月12日に向けて逆に新聞を読んでいく。すると、今まで気づかなかった事実がつながってくる。「点」に見えたベタ記事が、大きな意味を持ってくる。

第3に、周到な取材である。特に墜落現場のある群馬県上野村の元村長、真先に救出に向かった消防団員、歯形によって遺体確認を行った歯科医師らへの直接取材。これらの人々はすでに他の書物やテレビ番組でも語ったことがある。だが、著者の熱意と気迫、先輩・同僚への想いに打たれて、これまで語らなかった本音を著者に伝えている。これは驚きだった。こうした関係者への直接取材に基づいて、推測や憶測を一切排して、淡々と事実が記述されている。そこから読者は想像力をかき立てられる。

なお、取材と執筆の過程で、著者はたくさんの不思議な体験をしている。詳しくは本書を読んでいただきたい。また、著者は本書のなかで、さまざまな数字の符合にこだわる。本書には出てこないが、私なりの「符合」を付け加えるとこうなる。123便の機体番号は「119」(JA8119号機)。今年1月19日、日航は経営破綻した。ここまでは著者も指摘する。実はその50年前の1月19日、新安保条約と在日米軍地位協定(日米地位協定)が調印されている。日米の軍事的関係の半世紀は、そのちょうど半ば(1985年)において、中曾根内閣によって「戦後政治の総決算」という形で大きな転換をみせる。123便墜落事故の処理の仕方には、新安保条約25周年の時点における日本の政治が反映している。新安保条約(安保条約改定)50周年の今年、この国の「空の安全」のみならず、「平和と安全」全体が大きく問われている。これは、本書を読んだ私の問題意識である。

これだけの大事故である。まだ書けないこともたくさんある。しかし、本書を読んだジャーナリストは取材がしたくなり、政治家ならば、これはもう一度調査すべきだと考えるだろう。いや、そうあってほしい。取材や調査の対象は、運輸省事故調査委員会報告書の再検討にとどまらない。当時の内閣総理大臣からすべての国家機関構成員、在日米軍にまで及ぶべきである。その時、この大事故は、「日航123便墜落事件」となる可能性があると私は考えている。やや先取り的になるが、本「直言」のタイトルを「事件」とした所以である。

25年前に中断した NHK特集「人間のこえ」 に出てくる 「塹壕のマドンナ」には、光(Licht)、命(Leben)、愛(Liebe)とある。 乗客・乗員の「命」、家族・仲間の「愛」。その力によって、錆びついた重い扉が開き、事実に「光」があてられる。「沈まぬ太陽」に続いて、 『天空の星たちへ』 がこの時期、このタイミングで世に出る意味はそこにある、と信じたい。 (注文は4月28日以降、アマゾンなど有名書店へ)

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