松下政経塾内閣の終わりの始まり 2011年9月5日

ミ合宿(広島)と憲法理論研究会合宿(島根)で延べ8日間、東京を離れていた。その間に首相が変わっていた。民主党代表選挙は宍道湖畔のホテルで知り、国会で首相指名が行われていたとき、松江から東京への飛行機のなかにいた。「出雲縁結び空港」で土産として買ったのは、山陰名産「元気なお菓子・どじょうパイ」だった。浜名湖名産「夜のお菓子・うなぎパイ」を連想しつつ、何となく買ってしまった。「うなぎパイ」よりずっと小ぶりで甘さは控え目。パイ生地にどじょう粉末がまぶしてあって、やや苦みが舌に残るところが好みの分かれるところだろう
   帰宅してテレビをつけると、どのチャンネルでも、第95代内閣総理大臣に指名された野田佳彦が、「どじょうだが、泥臭く、汗をかいて政治を前進させる」と声を張り上げていた(この言葉を最初に紹介したのは、『朝日新聞』では8月29日付夕刊)。そうとは知らず、まったく偶然に買った「どじょうパイ」をかじりながら、このニュースをみていた。

思えば4年前の9月、私は次のような連載記事を書いた。「長い、暑い夏が終わった。この連載を1回お休みしている間に、永田町・霞が関村に激震が走り、国政の迷走が始まった。…9 月10日の所信表明演説を終え、『9.11』6周年の翌日。各党の代表質問を受ける当日の昼過ぎになって、安倍晋三首相は、突然の辞意表明を行った。…10日の所信表明演説で、新潟県中越沖地震と台風の被災者への『心からのお見舞い』の言葉で始まり、『復旧・復興に全力を尽くしてまいります』…等々、各種課題について力強い言葉が続いた。…だが、2日後、野党からの質問には一切答えず、永田町から消えてしまった。…安倍氏は、『私の責任、職責において、あらゆるすべての力を振り絞っての職責を果していかなければならない。…当然、私は職責にしがみつくということはない』と答えた。この『職責』という言葉の使い方に猛烈な違和感をおぼえた。『職責』とは、その地位と職務に随伴する政治的、道徳的な責務を意味する。『職責をまっとうする』と使う。だが、安倍氏の場合、『しがみつく』実体的存在であるようで、漢字で表現すれば、『職席』ということになろうか。…」

4年前の政権投げ出しから、09年の政権交代をはさんで、短命内閣が続いた。安倍の政権投げ出しはその出発点だった。それだけ、「器」が問われる首相が続いたことになる。今回は野田首相。前回、前原誠司の出馬で「前原首相の悪夢」と書いたように、てっきり野田は圏外に去ったと考えていた。それが、私が外にいる間に何かが変わったのか、野田首相の誕生となったわけである。

ドイツ在住の知人が『南ドイツ新聞』の紙面を送ってくれた(Süddeutsche Zeitung vom 30.8.2011)。8頁の国際面には「どじょう首相」が最敬礼する写真。見出しは「妥協の首相――ほとんど政治プログラムもなしに、党内危機解決としてのみ」。4頁の解説記事の見出しには、「創造的自己破壊――日本政治の終わりなき悲惨は、新首相によっても続くだろう」とある。「日本では6年で7人目の首相である。そして、民主党の野田佳彦が前任者たちよりも長く職にあるという希望をもつ根拠はほとんどない。彼は、前任者よりも長くはもたないだろう。それは彼の能力あるいは人柄よりも、日本政治の状態に起因している」と。外国メディアに、発足早々、短命首相と断定されてしまう不名誉がいつまで続くのだろうか。

『タイム』(電子版)8月29日は「『冷めたピザ』のもう一片?」(Another Slice of “Cold Pizza”?)という見出しで、「野田は妥協の産物」であり、「特に肝のすわった、先見性のあるリーダーではない」という観測記事を出している。米国メディアに「冷めたピザ」と酷評された小渕恵三内閣(1998〜2000年)との類似性に着目する記事もある(『朝日新聞』9月2日付)。

中国の「人民網(人民日報)」(電子版)は、「野田新首相、各国メディアの皮肉の対象に」という見出しで、「また使い捨て首相」といった各国メディアの野田評価を悪意たっぷりに寄せ集めている(「人民網日本語版」9月1日)。他方、韓国の『東亜日報』(電子版)8月30日付は、野田が松下政経塾1期生であったことに着目して、「A級戦犯は存在しない」という「持論」を重視している。

松下政経塾初の首相。外相に玄葉光一郎、官房副長官に長浜博行、政調会長に前原誠司、幹事長代理に樽床伸二と、ここまで松下政経塾出身者が政府・与党の中枢には進出したことはかつてなかったように思う。先の『南ドイツ新聞』も、「パナソニック創始者によりつくられた幹部養成所(Kader-Schmiede)の卒業生」と書いている。直訳すれば「カードルの鋳造所」なので、鋳型にはめ込んだような党官僚の生産工場というあまりいいイメージではない。その詳細な分析として、『論座』(朝日新聞社)2006年4月号の特集「松下政経塾の全貌」が記憶に残っている。

先月24日、滞在中の広島市内の古書店の100円コーナーで、松下幸之助『指導者の条件』(PHP研究所、1998年〔第1版第107刷〕)が偶然目にとまった。普段なら無視するところだが、民主党代表選の数日前ということで、思わず買ってしまった。「気迫を持つ」「謙虚である」「志をもつ」など、松下が選んだ102項目に歴史エピソードを絡めたもので、あまりの俗っぽさに「斜め45度読み」で短時間に読了した。ほとんど印象に残らなかったが、唯一、「あるがままにみとめる」という項目は興味深かった。聖徳太子の「17条憲法」第1条の「和を以って貴しとなす。さからうこと無きを宗とせよ。人みな党あり。…」についての下り。松下は引用をここでやめて、「“人みな党あり”というのは、人間というものは、必ずグループ、党派をなすものだということであろう。それが人間の本質だと太子は見抜いておられたのだと思う」と解説してみせる。そして、「派閥というものはなくせるものではなく、その存在を認めた上で、活用、善用すべきものだと思う。そのことを太子はいっておられるわけで、だから“和を以って貴しとなす”――派閥だけの利害にとらわれず全体の調和を大切にしなさいといわれたのではなかろうか」と続ける。

これは何とも勝手な解釈である。第1条は松下が省略したあとに、「また達(さと)れるもの少なし、これをもって、あるいは君父に順わず、また隣里に違う」と続く。つまり「人みな党あり」は「また達れるもの少なし」と並列の関係になっている。人はグループをつくりたがり、悟れる人は少ないから、「是以」(それだからこそ)君父のいうことに従わなかったり、近隣の人々ともうまくいかないのだ、と言っているのである。「人みな党あり」を派閥の正当化に使うのは乱暴だろう。
   結論的に、派閥均衡の上に、全体との調和をはかれというのが松下の「和を以って貴し」の理解ならば、その弟子の党・内閣人事は、師匠の期待通りというところだろうか。

閣僚17人の顔ぶれをみても、民主党内の「和を以って貴し」を考えた布陣であることがよくわかる。官房長官と財務大臣は超クェスチョンである。前者は能力不足、後者は選対委員長、国対委員長を通じて発言が軽すぎる。早い時期に円高や増税などをめぐる発言で、内閣の「爆弾」になるだろう。かろうじて、「リベラルの会」代表で弁護士の平岡秀夫が法務大臣になったことはかすかな望みではあるが。

それはともかく、9月2日に発足した「野田どじょう内閣」は、またしても1年も持たないと予測されている。「政権投げ出し」、あるいは菅直人のような「政権しがみつき」。そのいずれも国民にとっては不幸である。毎年のように8月、9月は政権絡みの政治空白が続いてきた。特に今年は東日本大震災の復興に向けて待ったなしの状況にもかかわらず、3カ月も実質的な政治空白が生まれた。いったい政治とは何か、政治家の資質とは何か。ここで、あまりにも有名なマックス・ヴェーバーの言葉を引用しておきたい。

「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である(Die Politik bedeutet ein starkes langsames Bohren von harten Brettern mit Leidenschaft und Augenmass zugleich)。……断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』(dennoch)と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』(Beruf) を持つ」(マックス・ヴェーバー=脇圭平訳『職業としての政治』〔岩波文庫、1980年〕105-106頁)。

かなり意訳されているが、困難な問題に「じわっじわっ」と突破口を切り開いていくのが政治家である。そうした資質が日本の歴代首相には欠如していた。東日本大震災の復興をどう進めるか。福島原発事故の収束と原発政策の転換、経済の建て直し、沖縄の基地問題、日本周辺諸国との「全周トラブル状況」をどう克服するか等々、待ったなしの課題が山積みである。

松下政経塾というのは、権力志向の若者を集めて、国家主義、保守主義、対米追随的現実主義をたたき込む。自衛隊の体験入隊まである。『東京新聞』9月3日付「こちら特報部」によると、出身者は国会議員80人、首長10人、地方議員30人である。その第1期生が総理大臣にまでのぼりつめた。外相と政調会長は8期生、官房副長官は2期生、幹事長代行は3期生である。「天職」とはとうてい言えない、「政治への転職」組である。またも、ヴェーバーの政治家像とはかなり距離のある内閣に終わりそうである。(文中敬称略)

トップページへ。