小選挙区比例代表「偏立」制はやめよ 2011年10月17日

2010年3月、山の手線に乗っていて、ドアと窓の間にある広告に目がとまった。某有名私立中学の受験問題である。参議院の政党配置を見ながら、衆参「ねじれ」現象を意識させつつ、衆議院が連立政権となる原因を考えさせるものだ。有名私立中学受験生ならば難しくはないのだろうが、問題の設定が政局的発想に傾いているのが気になった。

国民代表たる国会議員の数や選び方などを定める公職選挙法は「憲法付属法律」として、きわめて重要な法律である。憲法44条は、議員や選挙人の資格について具体的なことはすべて法律に委ねているが、その際、憲法14条で列挙した差別理由(人種、信条…)に加えて、教育、財産、収入による差別も禁じている。これはかつて、直接国税15円以上といった納税額による差別や、貴族院議員の旧帝国大学教授枠があったことなどへのリアクションと言える。それだけ、「選ぶ人」と「選ばれる人」の資格に関して、憲法は厳格な姿勢をとっている。その一方で、選挙区や選挙の方法については、憲法は44条のような条件を付けることなく、すべて法律に委ねている(47条)。したがって、選挙制度の設計には、立法府に広範な裁量が働くことは否めない。小選挙区制をとったからといって、それが直ちに違憲となるわけではない。ただ、あまりに「民意の反映」を損ねるような制度設計は「全国民を代表する選挙された議員」(43条)という大原則から離反するものとして問題とされるだろう。

衆議院についていえば、戦後の選挙制度は、大選挙区制限連記制(1945年)、中選挙区制(1947年)、小選挙区比例代表並立制(1994年)である。小選挙区と比例代表の「並立制」という現行制度は、端的にいえば、「比例代表の要素を加味した小選挙区制」であり、「民意の反映」よりも「民意の集約」(政権選択)を重視した設計になっている。他方、「併用制」は「人的要素を加味した比例代表制」といわれる。全国一区比例代表制で、議席をすべて政党の名簿リストによって決めるのではなく、一定数を選挙民が選ぶことのできるようにして、「顔の見える」形を追求したものである。

90年代の「政治改革」論議は選挙制度の改革に絞り込まれ、さらに「併用制」か「並立制」かの選択に矮小化されていった(第8次選挙制度審議会答申)。そしてメディアは、政権選択を「民意の集約」と呼び、これと「民意の反映」とをパラレルに扱った。これが誤解のもとだった。そもそも選挙における憲法上の原則は、第一義的に「民意の反映」であって、「民意の集約」(政権の選択)は「民意の反映」の結果、あるいはその後に起こるべき政治的事象にほかならない。憲法が求める「民意の反映」を犠牲にしてまで、政権選択の要素を重視するのは正しくない。6年前に書いた「『並立』と『併用』の弊害」は、当時の「空気」に抗して、この視点を一貫させている。

最近、興味深いことに、「並立制」を導入した当事者のなかから、この制度への疑問や反省の声が出始めている。

細川護熙元首相は、民主党政権が成立した直後のインタビューで、「最初の政府案は小選挙区250、全国の比例代表250でした。法案成立時は小選挙区300、ブロック制の比例代表200。いまは300と180。だんだん二大政党制に有利な制度になっています」と述べ、「私は選挙制度は一神教の小選挙区より多信教の中選挙区連記制がいいとずっと思ってきました」として、「穏健な多党制をめざせ」と民主党政権に求めていた(『朝日新聞』2009年8月9日付)。

今月、『朝日新聞』紙上でその細川元首相と、「並立制」をともに導入した河野洋平元自民党総裁とが対談している。河野はいう。「今日の状況を見ると、それ〔並立制〕が正しかったか忸怩たる思いがある。…政治劣化…政党の堕落、政治家の資質の変化が制度によって起きたのでは、と」。他方、細川は、「穏健な多党制」が望ましいので、「選挙区」と「比例」の「比率は半々ぐらいが適当と考えており、小選挙区に偏りすぎたのは不本意でした」と語っている(『朝日新聞』10月8日付「オピニンオン・94年政治改革の狙い」)。

「並立制」である以上、小選挙区と比例とが250ずつ同数で「並立」すべきだったのに、発足当初から小選挙区300と比例200という「偏立」になって比例的要素が縮減され、しかも11ブロック制を採用した結果、比例効果をさらに後退させられた。加えて2000年の公職選挙法改正で、比例部分が1割削減されたため、現行の制度は300対180と、小選挙区と比例代表の「並立制」とは到底いえない状況になっている。あえて言えば、現行の制度は「小選挙区比例代表偏立制」である。しかも、近年、「議員が多すぎるから減らせ」というキャンペーンが行われている。メディアも安易に同調している。だが、この主張は常に「比例を100に」いう形で、決して小選挙区の現職議員には手をつけない。本当に減らすのなら均等に減らすべきで、その点、前記『朝日』で細川は、「現実的には小選挙区240、比例240ぐらいにするか、定数を減らして200、200ぐらいにするかがいい」と述べている。細川のように「並立」を一貫させるならば、こうなるだろう。だが、現行制度を維持する人々は小選挙区と比例の「偏立」を極端にまで広げようとしている。その先には、単純小選挙区制が待ち構えている。では、現行の「偏立制」をどうするか。

ここへきて、野党のなかから「連用制」が参入してきた。90年代の「政治改革」のなかでも、「並立制」「併用制」と並んで、「連用制」は当時から存在した。これは「並立制」と「併用制」との間の妥協的な形態で、比例部分の「ドント式」議席配分において、割り算していく除数を「小選挙区における獲得議席数+1」から始めるやり方である。

これは、『読売新聞』9月22日付解説面で使われている図だが、見られるように、「連用制」の場合、小選挙区で議席を獲得した政党ほど、比例配分の際に負荷がかけられる。小選挙区で一人も当選させられない少数党でも、また議席配分にあずかれるという意味では一歩前進ではある。この「連用制」は最近、公明党が主張しはじめた。ただ、公明党政治改革本部では、「連用制」への一本化は図られず、「連用制」、「併用制」、中選挙区制の3つを併記する「中間報告」がまとめられた(『朝日新聞』9月22日付)。一方、自民党の谷垣禎一総裁は、「中選挙区制にもう一回光を当てる必要がある」と発言している(『朝日新聞』10月14日付)。

公明党が「連用制」に絞らず、「併用制」と中選挙区制をも選択肢に含めたのには、公明党内の事情もあるだろう。ここで注意したいのは、「並立制」の導入を提案した第8次選挙制度審議会答申のなかで、「併用制」の欠点として、「超過議席」の発生が指摘されていたことである。

「超過議席」とは何か。ドイツの制度は比例代表制をベースに設計されているので、598の議席全体に対して第2投票の結果に基づいて州ごとに、各党への議席配分が行なわれる。ただ、各州における各党の配分議席数よりも、当該政党の当該州の小選挙区で獲得された議席数の方が多くなった場合、その増加分についてのみ、議員の席を増やすことになっている。比例代表制を軸としつつも、小選挙区における「顔の見える選択」を尊重する工夫といえる。ちなみに、前回2009年の総選挙で保守のキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)は、24議席という過去最大の超過議席を獲得し、その結果、総議席数は622になった。

この9月28日、ドイツ連邦憲法裁判所は設立60周年を迎えた。その活動の97.8%は、基本権侵害救済の「憲法異議」にあり(M.Jestaedt,u.a.,Das entgrenzte Gericht,2011,S.116 )、違憲判決も大変多い。選挙審査の異議申し立て(約60年間の活動で158件[0.096%]も扱っており、この60年間で158件になる(憲法裁判所の全活動の0.096%)。連邦憲法裁判所第2法廷はその選挙審査訴訟で、2008年7月3日、連邦選挙法7条3項2文(+6条4、5項)によって生まれる「負の投票価値(一票の重さ)の効果が、平等選挙と直接選挙の原則を侵害し、違憲であると判示した(BVerfGE 121,266)。憲法裁判所は、連邦選挙法を、「遅くとも2011年6月30日まで」に憲法適合的な規定に改めることを立法者に要求した。連邦議会はこの期限までに法律の改正をしなかった。違憲状態が続いていたわけである。そしてようやく、この10月12日になって、選挙法を微修正して、「負の投票価値」を緩和した。法案は14日に連邦参議院を通過して成立した。しかし、問題は解決したわけではなかった。

この選挙法の改正によっても、超過議席は残ると見られている。ある予測によると、次ぎの2013年の総選挙では31もの超過議席が生まれ、総議席数は現在よりも増大して635になるという指摘がある。この選挙法改正は違憲であるとして、緑の党などが連邦憲法裁判所に提訴するものと見られている(Frankfurter Rundschau vom 13.10.2011)

「併用制」は、とうのドイツでも必ずしも順調というわけでもないようである。公明党が「併用制」を選択肢に含めてはいるが、現行制度の微修正である「連用制」が落とし所ではないか。野田佳彦首相はこの9月、成田憲彦(前・駿河台大学学長)を内閣参与に任命した。成田は細川首相時代の首席秘書官を務め、「連用制」を推す論者である。

私は、現行の小選挙区比例代表「偏立」制はやめるべきだと考えている。「連用制」は、その微修正にすぎず、根本的な解決にはならない。「民意の反映」を最も正確に行うのは、足切り(5%条項など)なしの全国一区比例代表制だろう。しかし、私はこれをとらない。拘束名簿式とセットでこれをやれば、候補者リストを確定する各党の執行部(特に幹事長)の権限が肥大化する。むしろ、現行の「並立制」は成立して17年間だが、中選挙区制には47年の実績がある。同一選挙区で同一政党の派閥の候補者がしのぎをけずり、政治腐敗が進むという理由で廃止されたが、この17年間、現行の制度において、「政治の劣化」がかえって進んだという点では、細川・河野の評価と一致する。現行制度をこのまま維持すれば、日本の政治の泥沼は続くだろう。この際、思い切って、中選挙区制をベースにした仕組みに転換すべきではないだろうか。

(文中敬称略)

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