防衛大臣における「文民」と「民間人」 2012年6月18日

6月4日の内閣改造で、第2次野田内閣が発足した。改造の「目玉」とされたのが、防衛大臣に森本敏拓殖大学教授を任命したことだろう。

 前日からインターネットができない山の仕事場にこもって原稿を書いていたので、メールは見ていなかった。4日午後になってテレビ局や通信社、新聞社の記者から携帯に電話が入り始めた。すべて同じ用件。「森本氏の防衛大臣任命は、文民統制の観点から問題はないか」である。それなりの説明が必要なので、それぞれ30分近く話す。しばらくして、各社からコメント案文が携帯メールに届く。それを見ながら話せないので、四苦八苦しながら修正していく。短すぎるコメントは誤解を招くので、ボツにしてもらったものもある。結局、携帯に電話してきた共同通信(『四国新聞』『秋田魁新報』等々に掲載)と『北海道新聞』にコメントが掲載された。上記『北海道新聞』2012年6月5日付総合面もその一つである

 ここ数カ月、参議院外交防衛委員会は、「素人(しろうと)大臣」らの無知をさらす「劇場」と化していた。佐藤正久自民党参院議員(第1次イラク復興支援群業務隊長・元一等陸佐)らが初歩的な質問を執拗にぶつけていく。自称「素人」の一川保夫大臣。就任早々、「私は安全保障の素人だが、それが本当のシビリアンコントロールだ」と本音を語ってしまい、その後、脱力するような答弁を繰り返した。「ド素人」の田中直紀大臣に至っては、大学受験生でも知っているような質問項目についてさえ、しどろもどろだった。防衛大臣が二代続けて珍答弁や答弁不能の状態に陥り、参議院で問責決議まで出される前代未聞の事態が生まれた。これに懲りた野田首相は、消費税法案成立に全力を傾注するため、改造後の新防衛大臣が佐藤議員らの餌食になることを回避しようと考えをめぐらしたが、民主党・衆参両院議員393人のなかに「適材」を見つけることはできなかったようだ。そこで森本氏の任命へ。さすがの佐藤議員も、「教授」相手に初歩的質問はできないだろう、と首相は「してやったり」の思いで、自分の人事に微笑んだのかもしれない。

 だが、野田首相のこの「政局的」判断が、思わぬ「政治的」効果を生むことになる。端的に言えば、野田首相は、防衛大臣任命における「不文律」を破ったのである。国務大臣は「文民」でなければならないが、国会議員(政治家)でなければならないわけではない。しかし、防衛庁長官(防衛大臣)だけは、その誕生以来、国会議員(政治家)が務めるという暗黙の前提が存在していた。民間人は「想定外」だったのである。この点については後述する。

 そこで、まず「文民」(シビリアン)について。憲法66条2項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と定めている。この「文民」の解釈をめぐって、学説は次のように分岐する(以下、拙稿「十日間の『軍人大臣』」『法学セミナー』1994年7月号)。

(1)「文民」=現役の軍人でない者、(2)「文民」=旧帝国陸海軍の職業軍人の経歴を持たない者、(3)「文民」=職業軍人のなかでも特に軍国主義の思想に深く染まった者を除いた者、(4)「文民」=国家の武力組織(自衛隊)において現に職業上その構成員の地位を占めている者以外の者、(5)「文民」=旧帝国陸海軍の職業軍人であった者および現職自衛官を除いた者、(6)「文民」=旧帝国陸海軍の職業軍人であった者および現職・退職自衛官を除いた者、である。

「シビリアン」(civilian)の本来的意味からすれば(1)説が妥当ということになるのかもしれない。だが、日本国憲法は、9条で戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を打ち出すとともに、軍部大臣現役武官制(陸・海軍大臣に現役軍人〔大将・中将〕がなる)が戦争への道を促進したことへの強い反省から、統治機構内部においても9条理念を徹底するために66条2項を設けた。これが後の再軍備を予定した規定であるという解釈は後知恵にすぎない。

職業軍人の経歴を持たない者とする(2)説も、経歴だけでなく、個々のメンタリティを問題にする(3)説も、軍人支配の復活を阻止するという趣旨から出たものと言える。まだ帝国陸・海軍の職業軍人の経歴をもつ人々が、社会の広範な領域で影響力をもっていた時代のことである。

鳩山・石橋両内閣の組閣段階で、野村吉三郎・元海軍大将の防衛庁長官が浮上したが、政府は(3)説、野党は(2)説を主張して対立し、結局、「野村長官」は実現しなかったことがある。第2次田中内閣では元少佐と元中尉が、三木内閣では元少佐と元大尉が国務大臣になっている(前掲・拙稿参照)。ちなみに、中曾根康弘氏は元海軍主計大尉である。

やがて自衛隊が存在するという現実を踏まえて、(4)〜(6)説が出てくる。旧軍の職業軍人だった政治家は国会から次第に姿を消していき、いま問題となるのはもっぱら自衛隊との関係になっていった。学説上、現職の自衛官は「文民」ではないという点では、(4)〜(6)説すべて共通する。

 政府解釈(内閣法制局)は、「旧職業軍人の経歴を有する者であって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられる者」は「文民」ではなく、「国の武力組織である以上自衛官は、その地位にある限り、『文民』ではない」が、「元自衛官は…『文民』に当たる」というものである(1973年12月7日、衆院予算委員会理事会配付資料)。

 だが、政府解釈のように元自衛官(退職自衛官)を一律に「文民」とすることに、私は疑問を持っている。元自衛官といっても多様である。「兵」である士長でやめたもの、「下士官」である曹クラス。「将校」である幹部でもかなり異なる。私は退職自衛官一般ではなく、退職高級幹部自衛官説という(6)説のバリエーションを考えている。

その基礎には、総理大臣や国務大臣は、もっぱら軍事的合理性で判断する軍事専門家ではなく、軍事から距離をとり、かつ「民意」や周辺諸国との関係などを考慮して広い視野から判断できる者がなるべきだという考え方がある。これが「文民」条項の狙いでもある。そう考えると、もっぱら軍事的合理性で判断する傾きの強いという点では、旧軍の将官級の高級軍人に該当する高級幹部自衛官(将、将補)は、30年以上のキャリアをもち、人生の大半を武力組織において過ごしたという事実がある以上、「文民」ではないと解することが妥当だろう。

この点から言えば、1994年4月28日から5月8日まで羽田孜内閣の法務大臣だった永野茂門氏がこれに該当する。旧軍では陸士55期、陸軍大尉だが、自衛隊では陸上幕僚長までのぼりつめた。私は同年5月3日の「憲法記念日講演会」(全国憲法研究会主催)で、永野氏の任命は憲法66条2項から疑問があると語った(『朝日新聞』1994年5月4日付で紹介)。永野大臣は別の発言が災いして、11日間で大臣を辞任した。私は「大型連休中だけの法務大臣」と書いた(前掲・拙稿)。

  2001年の小泉純一郎内閣で、中谷元氏が防衛庁長官になった。防大24期、レンジャー徽章をもつ元二等陸尉である。(6)説からすれば微妙だが、国会議員としてのキャリアの方が長いという点から当時は特に問題にしなかったが、問題の所在は指摘しておくべきだったといまは思っている。

では、森本氏はどうか。『朝雲』2012年6月7日付の経歴紹介を見ると、防大9期(1965年3月卒)、1965年3月航空自衛隊入隊、1977年3月外務省出向(アメリカ局安全保障課)、1979年8月三等空佐で退官、同年外務省入省、米大使館一等書記官、情報調査局安全保障政策室長、1992年2月外務省退官。野村総研主席研究員。慶応大などの非常勤講師。2000年拓殖大学教授である。ざっと計算すると、自衛官14年、外務省職員13年、野村総研8年。専任教員は12年である。彼の場合は、自衛官としてのキャリアよりも、研究者になってからも、その一貫した対米一辺倒の安全保障論は際立っている。政府解釈もあり、形式的に見れば森本氏の「文民」性を問題にすることはむずかしいものの、「軍国主義的思想」云々を応用すれば、過度の軍事的合理性と対米一辺倒の主張は、退職高級幹部自衛官一般よりも危ういかもしれない。

 さて、その森本氏の場合、「文民」性もさることながら、それよりも「民間人」であるという点が問題となった。そこで次に、「民間人の防衛大臣」という論点について述べよう。

 内閣総理大臣は国務大臣を任命するが、「その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」(68条1項但し書き)。これまで、民間人を大臣に任命した人事は、法務大臣4人、文部大臣4人、外務大臣2人、総務大臣2人、経済政策担当大臣2人など20人以上いる。有名どころでは、天野貞祐・文部大臣(吉田内閣)、永井道雄・文部大臣(三木内閣)、三カ月章・法務大臣(細川内閣)、堺屋太一・経済企画庁長官(小渕内閣、森内閣)、竹中平蔵・経済財政担当大臣(小泉内閣)、金融担当大臣(同)などである。

 理論上、半数までなら、民間人を大臣にすることも可能である。防衛大臣に民間人を任命することも法的には禁止されていない。だが、森本氏の任命に関しては、意外な方面から疑問の声があがった。「民間人起用は禁じ手だ」(防衛省幹部、『北海道新聞』6月5日付)、「どんなに優秀であろうと、軍事的な出来事に責任を負えるのは選挙の洗礼を受けた政治家だけ。禁じ手だ」(石破茂元防衛大臣、『東京新聞』同)、「安全保障の責任者として、国民の信託を受けていない民間人がふさわしいのか」(茂木敏充自民党政調会長、『朝日』同)、「強い違和感を覚える」(山口那津男公明党代表、同)等々。

 私はこれまで森本氏と、新聞、テレビ、ラジオ、国会などの場で、常に反対の立場でご一緒した。とりわけ2006年12月の参議院外交防衛委員会の参考人質疑では、与党(自民・公明)推薦が森本氏で、野党共同推薦が私だった。控室で雑談したが、人柄は温厚で、対応も紳士的だった。ただ、その穏やかな語り口の一方で、話の内容は、「タカ派論客」(『東京新聞』同)と呼ばれるだけのことはある。

 では、なぜ、これまで民間人が防衛庁長官や防衛大臣にならなかったのだろうか。背景には、各国で一般的に語られる「シビリアンコントロール」とは異なり、日本型のそれが独特の仕組みを形成してきたことがある。国家のいわゆる『防衛』任務を二階建ての構造にした。自衛隊は憲法9条に違反しないという無理な解釈をとるために、普通の軍事官庁がもつ権限や組織のありようを採用できないできた。防衛庁は言わば一ランク下に位置づけられていたのである。

 一般に「省」は、内閣の統轄下で行政事務を行う機関として設置され、「庁」は「省」の「外局」として置かれるが(国家行政組織法3条3項)、防衛庁だけは特殊で、内閣府設置法49条3項と防衛庁設置法2条に基づいて置かれた「内閣府の外局」だった。その長官はたくさんの「庁」のなかで唯一、国務大臣だった(設置法3条)。防衛庁長官は「省」の大臣と異なり、閣議開催を求める「閣議請議権」がなかったのである。そんな防衛庁長官に民間人が任命される余裕もなく、可能性も皆無だった。武力組織に対する統制を行う大臣は「選挙で洗礼を受けた政治家」ということが暗黙の前提とされていたのである。この事情は、2007年に防衛省に「昇格」しても基本的に変わっていない。民間人の防衛大臣は想定外だった。だから、「禁じ手」という表現を防衛省幹部や、石破茂元大臣でさえ使ったのは偶然ではない

 森本氏の防衛大臣任命が先例となって、将来、例えば幕僚長経験者が数年間、どこかの大学で教授をやって、教授の肩書で防衛大臣に任命される可能性も生まれた。憲法66条2項の「文民」条項を潜脱する迂回路が開拓されたわけである。野田首相が「政局的」判断から行ったことが、思わぬ「政治的」効果をもたらすだろうと指摘したのはこのことである。

 大臣任命後の2週間がたったが、森本防衛大臣はMV22オスプレイの新たな墜落事故が起きても、米国の利益を損なうことは一切しないという対米一辺倒の姿勢に微塵の変化もない。普天間飛行場の辺野古移設についても同様である。

『朝雲』6月14日付の「森本敏・新大臣に聞く」というインタビューを読むと、「日米同盟の深化に努める。日米同盟の分野を広げるだけではなく、質的な協力も拡充していく」と踏み込んだ発言をしている。「在日米軍の安定的運用を図るため」「全体をパッケージで運用することが海兵隊の機能を最も有効にする」「複雑な千変万化する環境の中で、集団的自衛権なるものを行使することが、日本の安全保障や国益にどのような意味を持つかを考えないといけない」等々、この国の防衛大臣なら言わないような、米軍や海兵隊の立場を過度に理解し、かつ過剰に忖度した物言いをしている。これまでの自民党時代の防衛庁長官や防衛大臣にはなかった、米国防総省・国務省のエージェントのような発言がこれからも自然に出てくるだろう。

民主党沖縄県連は、「〔森本防衛相の〕発言は沖縄県民蔑視以外何ものでもない。防衛相の不適格発言による混乱を除くために強く辞任を求める」という声明を発した。与党の地方組織が閣僚の辞任を要求するのは、「オスプレイへの反発が県議選に影響するのを懸念した選挙対策との見方もある」(『毎日新聞』6月8日付)と書かれるほど異例の事態だった。沖縄は「炭鉱のカナリア」のように、森本氏に対する危機感を深めている。なお、民主党は6月10日の選挙の結果、県連幹事長も落選して、わずか1議席と惨敗した。安全保障論の専門家の「民間人防衛大臣」人事を含め、野田首相のやることなすことすべては、「政権交代の貯金」をゼロからマイナスに転じさせ続けている。

安全保障について何も知らない防衛大臣も困るが、過度に知りすぎた大臣も必ずしも適任というわけではないのである。

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