防衛省法案と「政治家の一分」  2006年12月18日

12月7日午後、参議院の外交防衛委員会の事務方から研究室に電話が入った。「防衛庁設置法等の一部を改正する法律案」(マスコミは防衛省昇格法案という)について、12日の委員会で参考人として意見を述べてほしいというのだ。直前のアポだったので、調整に手間取ったが、何とか日程を確保することができた。衆議院で法案が可決されたのが11月30日。法案はすぐに参議院に回付され、12月6日に審議入りした。15日が会期末なので、参考人質疑を一回やって採決だな、と直観で思った。最後の場面で「議事録にとどめおく」ことも大事だと考え、参議院に向かった。法案は14日午後の委員会で採決され、本稿執筆時点(15日午前11時30分)でまだ採決されていないが、本会議で可決成立の見込みである〔注:15日午後に可決成立した〕。

  2002年2月、「有事法制と基本的人権」というテーマで、参議院外交防衛委員会調査室の勉強会に呼ばれて講演したことがある。その翌年には、参議院憲法調査会に参考人招致された。今回は、具体的な法案の審議過程での参考人ということで、憲法調査会の時に比べるとやや緊張して臨んだ。

  私は野党共同推薦で、与党側推薦は森本敏拓殖大学海外事情研究所所長である。午前10時から20分ずつ意見を述べて、議員の質問を受けた。参議院は与党も野党もすべて質問時間は15分。往復で15分なので、質問者が長くしゃべると、答える時間は当然少なくなる。しかも全員が森本氏への質問から始めるので、結果的に森本氏2回、私が1回ということになった。制約された時間のなかだったが、いいたいことはいってきた。その発言をすべて再現しようとも思ったが、議事録を国会のホームページで読むことができるので(詳細検索の発言者名に「水島朝穂」で部分的にも読めます。こちらでも読めます)今回書きたいこととの関連で、必要な限度で再現することにしたい。

  今日の直言で書き残しておきたいことがある。それは、政治家の「一分」ということである。先日、仕事の合間に「武士の一分」(山田洋次監督)をみた。「たそがれ清兵衛」や「隠し剣鬼の爪」と比べ、今回の作品は一番地味だが、切り合いで直接的な死者がでないという点を含め、「武士の一分」という言葉の意味をいろいろと考えさせてくれた。参議院での質疑が終わって、帰り際、ふと立ちどまって国会議事堂を見上げながら、私は「一分」ということを思い出していた。「憲法研究者の一分」については、ある資料を使って新年早々の直言で触れることにして、ここでは政治家のそれについて書くことにしよう。

  かつて司法書士会の機関誌に連載を持っていたとき、「参議院はいらない?」ということを書いたことがある。「巨泉のこんなものいらない!?」(日本テレビ系)という昔の番組にひっかけたものだが、そのなかで、参議院議長の有識者懇談会意見書から、参議院を「再考の府」としていたことに触れた。国会が「国権の最高機関」(憲法41条)であるとすれば、国民に直接選出される上院ということで、日本の参議院は「国権の再考機関」であると書いた。12日の参議院での参考人質疑の冒頭、私はこのことについてこう述べた(時間の関係から、実際の意見陳述では省略、変更を加えてあり、したがって議事録とも一致しない)

 「いま、この国はきわめて重要な転換点にあります。本法案もまたその一つであります。それを審議する委員会にお呼びいただき、光栄に存じます。さて、冒頭に申し上げたいことは、参議院の重要性です。衆議院安全保障委員会議録を見ると、10月27日から11月17日までの4回の委員会が、ご承知のような事情で野党欠席のまま行われています。11月30日に衆議院本会議で法本案は可決されましたが、報道によれば、審議時間は計14時間20分だそうです。良識の府である参議院では、本法案のもつ重要性に鑑み、より慎重な審議が求められます。6日の本会議において、藤末健三議員(民主党)が、参議院を『再考の府』と呼び、『深い審議』を求めましたが、同感であります。慎重審議を本委員会に期待して、内容に入ります。…以下略」

  教育基本法防衛省「昇格」法という重要法案を、「深い審議」も熟慮もなく、「粛々と採決」していく参議院には、「再考機関」としての「一分」はないのか。衆議院のカーボンコピーといわれて久しい。ここで踏みとどまる理性と見識は、参議院の政治家の多くにはないのだろうか。もちろん、個人的に存じあげている民主党の議員のなかには、ギリギリまで法案反対の発言や質問のために努力した方々がいる。しかし、民主党は政党としては賛成にまわってしまった。イラク特措法に反対していたならば、今回の法案でイラク任務が「本来任務」に連動する仕掛けが存在している以上、最後まで反対を貫いてほしかった。私は、意見陳述のなかで次のように述べた(かなり短縮してある)

  「…そもそも、なぜ、国家のいわゆる『防衛』任務を二階建ての構造にしたのか。その設計の根底には、憲法9条の存在がある。憲法9条は安全保障設計を、軍事力を限りなくゼロにしたところから立ち上げることを要請している。『ヒロシマ・ナガサキ』という核戦争体験と沖縄の悲惨な地上戦体験、アジアの多数の民衆の犠牲の上に生まれた日本国憲法の平和主義は、近代立憲主義が自明視した、国民国家における軍事力の本質性という点をあえて疑い、『軍事的合理性』を制限するにとどまらず、あえて『軍事的合理性』を否定するところまでいった徹底した平和主義を採用したのである。…日本は、世界と違って、軍事に対して徹底してネガティヴな姿勢をとる憲法のもとで、『必要最小限の実力』としてのみ正当性を確保してきたのである。
  …旧総理府、現内閣府の外局としての位置づけ、自衛隊に現在もなお見られる警察組織的な側面は、とりもなおさず、憲法で軍隊を明確に位置づけることを避けて、あえて警察予備隊として発足し、保安隊、自衛隊となってきたこの国の半世紀の歩みそのものを反映している。…各国で一般的に語られる『シビリアンコントロール』とは異なり、日本型のそれが独特の仕組みを形成してきた。その十分な総括なしに、いわれているような理由だけで『防衛省』にしていいのか疑問である。…
  …一見すれは、言葉を変えるだけ、国家行政組織法上の合理的な制度整備であり、問題ないとなりやすい。環境というのは重要な国家任務だから、環境庁を環境省にしたのとは決定的に異なる。軍事というものに抑制的な国の姿勢として重要である。
  防衛庁の説明図には、『すっきりとした行政組織へ』という言葉がある。そんなにすっきりしてどうするのか。あえて『軍』や『国防省』をもたない国はnormalではないが、abnormalではない。世界の軍縮への動きを促進するためにも、日本がこの仕組みをいま変えることは適当ではない。世界が複雑ななかで、日本が果たすべき独自の役割がある。軍事的合理性を高めるところに重点を置いたこの法案には反対である」 「…法案3条2項の構造は、1項で定める防衛の目的以外にも、『同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において』、『別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされるもの』を含む。『武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において』という限定はついているが、任務拡大への歯止めはない。もともと自衛隊法第8章にある100条は、土木工事の受託の規定である。教育訓練やオリンピックへの協力などから100条の2、3…という形で、次々と雑則に追加されていったもので、そこには、『自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度において』という制約があった。それが、法案3条2項では、雑則にズラズラと追加された海外派遣任務の諸形態を、3条2項の二つの号にして並べて、PKOと周辺事態対処措置を本来任務に『昇格』させると同時に、法律で定めさえすれば、本体任務に連動するような仕掛けがある。附則第7項以下では、テロ特措法とイラク特措法による派遣が、当該法律が『効力を有する間』、本来任務にリンクするように設計してある。
  特措法については、それぞれ国会での議論があり、そのような臨時的な法形式を採用した事情が忘れられるべきではない。特にイラク特措法の場合は、『復興支援活動』とはいえ、日本が海外に初めて重装備の部隊を出したわけで、特措法という臨時的法律を頻繁に期限延長する現在のやり方は、立法の作法としてはなはだ疑問である。…」

  「…すでに物故された皆さんの先輩議員たちは、自衛隊発足を前にして、1954年6月2日の参議院本会議において、『自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議』を行っている。『わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動は、これを行わない』と決議したわけである。半世紀が経過して、その参議院の決議の意味は変わっていない。…ちょうど50年前の今日、12月12日、国連安保理が日本の国連加盟を全会一致で決定した。国連や世界の反対を無視してイラク戦争を始めたアメリカでも、この戦争に対する見直しの動きがある。そういうときに、『日米同盟』に過剰に傾斜した、この国の安全保障政策の見直しが必要である。…」

  イラク派遣差し止め訴訟を起こして、自衛隊のイラク派遣に反対した箕輪登元防衛政務次官、元郵政大臣(故人)のような政治家は、現役にはもういないのだろうか。イラク戦争が嘘に基づいて始まったことは、アメリカでも反省が始まっているように「常識」に属する。それを真先に「理解し、支持」した小泉前首相。久間防衛庁長官は、それを個人的見解のように一時述べたが、閣議決定までしていたことに後で気づいて撤回した。小泉内閣だけではない。安倍内閣もイラクへの空自派遣を直ちにやめるべきである。「イラク特措法」を直ちに廃止すべきである。自衛隊派遣までしてイラク侵略を「復興支援」という名目で支えたことを深刻に反省すべき時期がきた。
  そういうとき、政治家たちにはあまりに「節操」がない。11人の造反議員の復党問題については、語るべき言葉もない。ここで、自由民主党第2代総裁、内閣総理大臣の石橋湛山が、新聞記者時代、1931年4月18日に書いた「社説」から引用しよう。タイトルは「近来の世相ただ事ならず」。浜口内閣が崩壊して、政治が混乱のなかにあったとき、そして「満州事変」が始まる5カ月前である

  「首相は職を曠(むなし)うし、政府の言に信なく、議会は愚弄せられ、国民を代表する代議士は暴力団化する。以上を一言で括れば、ほとんど乱世的事相とも評して差し支えあるまい。…もしやむことをえなければ食を撤せよ、民に信なくんば立たず、と古聖はいわれた。信義は死よりも重し、これを今日に翻訳すれば、言行一致し得ぬ場合にはその職を去るべし、これがいわゆる食をすてるに当ると思う。いやしくもかくの如くせざれば、どうして綱紀の支持が出来よう。どこに道義の堅守があろう。民政党は依然として何ら政策に破綻が起った訳ではないと繰り返し、陰に民政党内閣の継続を至当だと主張せるが、しかし、根本が崩れている。彼らが単に多数党たるの故に、彼らの内閣が続いて新たに出来てもそれは、道理上とうてい永続するはずはない。もし永く倒れなければ、国はいよいよ暴力的無道に陥るほかはない。世の中に道義を無視するほど怖いものはない。国民が理性に信頼を失えば何をなすか分らぬ。記者は、近来の世相を諦視して、誠に深憂に堪えない」(『石橋湛山評論集』岩波文庫173〜174頁)

  政党内閣が終わりを告げ、2.26事件を経由して、軍人の支配が始まる。石橋は1939年9月2日、こう書いている

  「今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に干与することではない。逆に政治が、軍人の干与を許すが如きものであることだ。黴菌が病気なのではない。その繁殖を許す身体が病気だと知るべきだ」(前掲書211頁)。

  まさに至言であろう。いま、与野党を問わず、テレビゲーム世代のような若い政治家たちが、「軍事オタク」や「軍事ぼっちゃん」よろしく、この国の軍事のウェイトをあげている。教育の国家統制を厳しく抑制した教育基本法が「改正」され、「武力による威嚇と行使」のシステム化が「すっきり」とした形に整備されていく。これは、半世紀前に教育の国家統制と軍事の突出で「大病」を体験した先人たちの教訓を、二代目、三代目たちがすっかり忘れて、新たな「大病」に向かっているかのようだ。その際、かつてのような「見える病気」ではなく、体の深部で「見えない」深刻な病が進行していく。そのとき、「政治家の一分」が問われてくる。「ジャーナリストの一分」についても語る必要があるだろう。なお、「憲法研究者の一分」は、新年早々に書く予定である。

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