公明党の「転進」を問う            2014年7月21日

西日本新聞一面記事

7月1日の閣議決定は、与党・公明党の賛成なしには不可能だった。安倍政権の狼藉に加担した公明党の責任は限りなく重い。与党協議の当初は、公明党の原則的な態度に期待する向きもあった。フカクながら、私もその一人で、6月16日の「直言」は「援護射撃」のつもりもあった。しかし、「期待」は見事に裏切られた。公明党の支持母体からは、反対の声をたくさん聞いた。特に地方組織に反対意見が強いことは、地方からのメールで実感していた。『沖縄タイムス』7月2日付社説はいう。

「…自民、公明両党の与党協議はわずか11回、非公開だった。議論を尽くすことをせず、結論だけを急いだ。国会論議も衆参でわずか2日間しか設定しなかった。しかも閣議決定案が出る前である。横暴この上ないやり方でなされた閣議決定はとても歴史的審判に耐えられない。公明党には失望を禁じ得ない。当初、解釈改憲に明確に反対していたが、連立維持を最優先したため足元を見られ、押し切られるばかりだった。「歯止めをかけた」と党幹部は語るが、結党50年の年に「平和の党」の旗を降ろしたとしか思えない。公明党県本部が県議会で閣議決定に抗議し慎重審議を求める意見書に賛成し、矜持を示したのがせめてもの救いだ」

だが、沖縄以外の公明党地方組織に、「せめてもの救い」はなかった。それどころか、九州の『西日本新聞』6月20日付一面トップには、驚愕の記事が掲載されていた(写真は当日の紙面)。「実はその原案は、公明党の北側一雄副代表が内閣法制局に作らせ、高村氏に渡したものだった。解釈改憲に反対する公明党が、事実上、新3要件案の『下書き』を用意したのだ」と。自ら提示した「新3要件」を自民に示させ、これを「落としどころ」として合意する。もし、『西日本』の記事が本当だとすれば、公明党の「抵抗」はまったくの茶番だったことになる。「ある自民党関係者は言い切る。『新3要件』は自公の『合作』だ」と。私が直言を書いて「援護射撃」をしていた6月13日の段階で、「新3要件」の方向は自公であらかた決まっていたことになる。

安倍首相の「記者会見ショー」でも記者の突っ込みは甘く、また、7月14、15日の衆参両院予算委員会閉会中審査においても、野党の追及の大半は「新3要件」のあれこれの文言の解釈にとどまり、「新3要件」なるものが定着してしまったかの如くである。この状況をつくり出し、安倍政権の憲法9条「介錯」に手を貸したのが公明党にほかならない。

この公明党の「転進」を擁護する人物がいる。作家の佐藤優氏である。『公明新聞』7月6日付に掲載された記事を読んで、これまで『世界』『週刊金曜日』『東京新聞』などの論評や連載から学ばせてもらう点も少なくなかっただけに、これには正直驚いた。以下、佐藤氏の主張を引用し、いちいちコメントしていく。


安全保障をめぐる今回の与党協議を見ていて、非常に重要だったことは、責任を持って政治に関与する連立与党の公明党がきちんと対応したことだ。連立を離れてしまえば、格好のよいことはいくらでも言えただろう。しかし、影響は何も与えられなくなってしまう。そこで公明党は、安易な道ではなくより厳しい道を選び、現実の中で「平和をどう担保するか」に取り組んだ。そして、その結果は「公明党の圧勝」と言ってよい。それは閣議決定の全文を虚心坦懐に読めば分かることだ。

果たしてそう言えるだろうか。安倍首相のいう「現実」は無数のウソから成り立っているのだから、その土俵の上で時間を少しのばしたにすぎないのではないか。「閣議決定の全文を虚心坦懐に読めば」、「安倍首相の圧勝」である。

今回の問題は、個別的自衛権と警察権の範囲で全部処理できる内容だったと、私は考える。だから、外務省と内閣法制局の頭のよい官僚に「これと全く同じ内容を個別的自衛権で処理しろ」と言えば、見事に処理した文章を作ってきただろう。

佐藤氏はこう言うが、国内法のエキスパート集団である内閣法制局に「これと全く同じ内容を個別的自衛権で処理しろ」と言えば、「それはできない相談である」と拒否されただろう。「個別的自衛権と警察権の範囲で全部処理できる」というのも明らかに違う。詳しくは『世界』5月号と7月号の拙稿で論じたが、政府が挙げた15事例は従来の憲法9条の政府解釈を捨てなければ認められないものばかりだった。公明党は、「もはや個別的自衛権の範囲を超えており、憲法上できないものはできない」として、最後まで毅然と対応すべきであった。

なお、佐藤氏は、外務官僚は頭がよいというが、私が聞いた霞が関の官僚からの声では、外務官僚は外国語や条約には詳しいが、国内法制については「もっとも頭が悪い官僚」と言われているそうだ。その外務官僚が無理な法解釈を、首相の権限を使って押し付けてきたのが、先の小松内閣法制局長官人事である。安倍首相とその周辺(法制官僚はいない)の間違いのはじまりは、国内法制に弱い外務官僚のでしゃばりすぎを許容し、むしろそれに便乗したところにある。

その意味で、個別的自衛権の枠を超えることが一切ないという枠組みを、安倍首相の「集団的自衛権という言葉を入れたい」というメンツを維持しながら実現したわけで、公明党としては、獲得すべきものは全部獲得したと、私は考えている。だから「公明党が苦しい言い訳をしている」などという指摘は、なぜ、そんな認識が出てくるのか不思議でならない。

閣議決定の内容は、個別的自衛権の枠を超えてしまっており、佐藤氏のいうように集団的自衛権という言葉を入れるだけにとどまっていない。「安倍首相としては、獲得すべきものは全部獲得した」のである。「公明党が苦しい言い訳をしている」以外に適当な言葉は見当たらない。

実際に、私が知る外務省関係者やOBの間では、「これでは米国の期待に応えられないのではないか」と、今回の閣議決定に対する評価は高くない。むしろ集団的自衛権の行使を熱望していた人たちの野望を、今回の閣議決定で抑え込んだ形になっているというのが現実である。

外務省は、ガイドライン改定にしっかり反映させるつもりであり、国連決議に切り替わっても集団的自衛権の行使が続いているといえばよいなどとして、ホルムズ海峡の機雷掃海もできるようにした。非戦闘地域概念もとっぱらい、駆け付け警護も可能とする。外務省関係者の野望は十分に達成された形になっているというのが現実である。

例えば、ホルムズ海峡での機雷除去に日本は参加できない。ここの国際航路帯はオマーンの領海内を通っており、そこを封鎖するため機雷を敷設すれば、国際法上、直ちに宣戦布告となり、戦争状態の場所には自衛隊は行けないということになる。こうした個別のことを見ていけば、懸念された問題は一つ一つ公明党が除去したことになる。

この佐藤氏の認識は誤りである。菅義偉官房長官は7月3日のNHK「クローズアップ現代」(7月14日付「直言」で触れた)で、集団的自衛権を使って中東ペルシャ湾のホルムズ海峡で機雷除去を行うことについて、「(武力行使のための)新3要件を満たす場合に限り、(自衛隊が)機雷を除去しに行くことは可能だ」と述べ、機雷除去に地理的制限はないとの考えを示した。内閣官房のウェブページでも、「【問16】日本は石油のために戦争するようになるのではないか?」について「【答】憲法上許されるのは、あくまでも我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限の自衛の措置だけです」としており、「我が国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るための必要最小限の自衛の措置」であれば、ホルムズ海峡での機雷除去に日本は参加できるのである。問に正面から答えていないようだが、役人流の言葉づかいで「石油のために戦争することができる場合があります」と答えているのである。

また、佐藤氏は、集団的自衛権行使と武力行使の一体化論を混同している。両者はまったく別物である。閣議決定には「我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない」と書いてあるが、これは武力行使一体化論についての記述である。集団的自衛権行使について、「戦争状態の場所には自衛隊は行けない」などと閣議決定のどこにも書いていない。そもそも、安倍の「お母さんと子どもたちを乗せた米艦パネル」は、戦争状態の場所に自衛隊が行くということを言っており、集団的自衛権を行使する場合に「戦争状態の場所」に自衛隊が行かないわけがないではないか。

だから「公明党は平和の党ではなくなった」とか、「首相に圧されて公明党が折れた」などと言う人は、ちゃんと閣議決定の内容を読んでいるのだろうかと思ってしまう。むしろ、もし今回、創価学会を母体とし、平和という価値観を共有している公明党が連立与党に加わっていなかったならば、直ぐにでも戦争ができる閣議決定、体制になっていたのではないかと思う。首相が心の中でやりたいと考えたことがあり、もしかすると戦争につながる大変な危険があるかもしれないという状況の中で、公明党は理路整然と、しかも礼儀正しく押し止めたというのが、今回の事柄の本質だと、私は思っている。
《以下、佐藤氏による公明党への歯が浮くような賛辞は省略する》

「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」た場合に武力行使ができるのであれば、端的に集団的自衛権が認められたのであり、どこが「押し止めた」と言えるのだろうか。公明党が「我が国と密接な関係にある」という「限定」をつけさせたかのように報道されているが、安倍首相が2014年2月7日の参院予算委員会で答弁しているように、「同盟関係ではなくても密接な関係がある国に対しては、これは言わば集団的自衛権としての権利を持っている、これは国際的なまさに常識」なのであり、全く限定になっていない。安倍・自民党は最初から意図的に「我が国と密接な関係にある」の要件を公明党の手柄のために外しておき、公明党に後からこの文言を復活させて「公明党が限定した」という形式をとったにすぎず、単なる猿芝居である。従来の個別的自衛権発動の第1要件を変えてしまったことが本来やってはならないことだったのである。

加えて言えば、公明党の太田昭宏国土交通大臣が、「憲法改正をしない限り集団的自衛権行使はできない」という従来の内閣法制局解釈にのっとって理路整然と閣議決定の署名を拒否していたのであれば、佐藤氏のいうように、「首相が心の中でやりたいと考えたことがあり、もしかすると戦争につながる大変な危険があるかもしれないという状況の中で、公明党は理路整然と、しかも礼儀正しく押し止めた」と言えるかもしれない。集団的自衛権行使を認めた段階で、すでに「理路整然とした憲法論」を公明党は放棄したのである。

公明党に誠実さが残っているとするならば、今後の政府提出法案の閣議決定段階でどこまで注文をつけることができるかにかかっている。正面の堤防が決壊しているのでかなり困難だが、まだできることはあるだろう。それを、太田昭宏国土交通大臣のように、何の苦渋の表情もなく、明るく笑顔でスルーしていくのか。このままでは、統一地方選挙の結果は、公明党にも厳しいものになるだろう。その兆候は、7月13日の滋賀県知事選挙での自民・公明推薦候補の敗北にあらわれている。

《付記》この「直言」は7月14日付と同時に完成していたが、長文のため21日に分載する予定にしていた。しかし、14、15日の衆参両院予算委員会閉会中審査における野党の追及があまりにも甘いことと、公明党・山口代表の「弁明」(『週刊朝日』2014年7月25日号)が出たこともあって、異例だが、「7月21日直言」を早めにアップすることにしたい。――2014年7月15日記

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