「7.1事件」――閣議決定で「憲法介錯」            2014年7月7日

7月2日紙面

来、大学入試「日本史」の問題で、戦後の歴史的転換点として、2014年7月1日に起きた出来事が出題されるだろう。安倍晋三首相が安保法制懇報告書を受けて記者会見した日を、私は「平成の5.15」と呼んだが、それからわずか1カ月半で、60年にわたる政府の解釈を閣議決定で覆すに至った。連立与党・公明党の「抵抗」、自民党総務会内の反対意見、自公の地方組織の部分的抵抗にもかかわらず、短期間でここまできたのは、ひとえに安倍首相の、「祖父を越えたい」という強烈な思いのなせる技である。この思いは思い入れとなり、いつしか歪んだ思い込みとなって、「もうどうにもとまらない♪」強烈な思い違いに進化。今回、日本のみならず、アジア地域の平和にも害悪をもたらす壮大なる勘違いにまで発展してしまったのである。彼が7月1日に閣議決定でやったことは、憲法の大原則である平和主義の根幹(首)を斬り落とす「憲法介錯」にほかならない。内閣は、憲法に違反する内容の閣議決定を行ったのである。これは「平成の7.1事件」として記憶されるべきだろう。

冒頭の写真のように、7月2日付各紙の評価は分かれた。写真左側の『産経』『読売』『日経』は、それぞれの立場からこの転換を歓迎している。『産経』に至っては、「『積極的平和』への大転換」、これで「今後50年 日本は安全だ」と、手放しの礼賛である。記事下にある写真(リムパックに初参加した陸自隊員の上陸訓練)この「大転換」の方向と内容を象徴するものと言えよう。

『読売』は集団的自衛権の「限定行使」にこだわり、『産経』よりは抑制的に政府の行為をフォローしようと懸命である。それに比べて、『日経』は見出しが地味なのに加えて、一面コラム「春秋」は、安倍首相の手法が「論」より「情」に傾き、与党協議も「字句修正に終始してことの本質を曖昧にした」と一部批判的なトーンが感じられる。

写真右側の3紙(そして大半のブロック紙、地方紙)は厳しい見出しと記事が満載である。『朝日』は一面トップに初めて「解釈改憲」という言葉をもってきた。学問的概念ではないが、明文の改正手続きを経ないで改正と同様の効果を発生させる禁じ手という意味で使われている。2、3面の横大見だしは「危険はらむ軍事優先」「ねじ曲げられた憲法解釈」である。この日の『朝日』は、片山杜秀慶応大学教授が、「時務の論理」という昭和10年代に流布した言葉を使って、安倍内閣の閣議決定を読み解く8段コメント(2面トップ)が秀逸である。『毎日』は両社会面の横大見だし「自衛隊60年岐路」「戦い死ぬリアル」。「国民の支持がほしい」「殺され方だよなあ」という現役自衛官の声を拾う署名記事、「『軍隊』への変容始まる」がまとまっている。

『東京』は1面署名記事「秘密保護法下で武力行使 根拠示さず決定も」で、今年12月に施行される特定秘密保護法との関連で、米国からの要請などは「安全保障に著しい支障」が生じると判断されて、特定秘密に指定されるのは確実だとして、国民は派遣決定の理由を見られないと危惧する。特定秘密保護法施行との関係を指摘したのは重要である。また、『東京』は1面肩に論説主幹名で「戦後69年 憲法9条の危機――闘いはこれからだ」を配し、「法が成立しても訴訟提起、違憲・違法判決が予想され、闘いはむしろこれからだ。憲法を空文化させない国民の努力と平和への希求が権力の暴走を止めることになるだろう」と、今後の展望を示す。

一方、外国のメディアの反応はかなり厳しい。例えば、ドイツの高級紙は「平和主義からの安倍の離反」というタイトルで、集団的自衛権行使に反対する演説をして、新宿駅南口で焼身自殺をはかった男性のことも特電で伝えている(Frankfurter Allgemeine vom 1.7.2014)。また、週刊誌『シュピーゲル』のオンライン版も、政府の憲法解釈変更(Umdeutung)に対する市民の反対運動を紹介しつつ、新宿駅南口での「抵抗からの焼身」に言及している。この事件のことは国内のメディアが抑制的な分、海外メディアが詳しく伝えている。

首相パネル

安倍首相は、1日の閣議決定後の記者会見で、「朝鮮半島有事」を念頭に置いた、日本海を航行する「お母さんと子どもたちを乗せた米艦」パネルを懲りずに使い回した。安倍首相は歴史問題で徹底的に対韓関係を冷却させ、集団的自衛権の行使が最も「必要」な場面である「朝鮮半島有事」では、早速韓国政府からその行使を牽制されている。

韓国・聯合ニュースは、「集団的自衛権行使決定を強く批判=韓国与野党」として報道した。与党セヌリ党の報道官は「戦犯国の日本が軍備拡大や軍事再武装を正当化する動きをみせることについて、朝鮮半島をはじめとする北東アジアに軍事的な緊張が高まるのではないか懸念される」、「日本の集団的自衛権行使容認の方針にわが政府があまく対応してはならない」と述べ、「北東アジアと国際社会の平和が侵害されれば、国際社会とも連携し、日本の独善的な動きを阻止すべきだ」と強調した。最大野党の新政治民主連合の報道官も、「戦犯国として過去を清算せず、戦争参加への可能性を示した日本政府を強力に糾弾する」と批判した

韓国外交通商部は1日、「集団的自衛権行使等に関する日本の閣議決定関連外交部報道官声明」で、「我が政府は、日本が集団的自衛権の行使において朝鮮半島の安保及び我々の国益に影響を及ぼす事案は、我々の要請または同意がない限り決して容認できないということをもう一度明確にする」、「日本政府は、防衛安保と関連した問題において、歴史に起因する疑問と憂慮を払拭させて、周辺国から信頼を得ることができるように歴史修正主義を捨てて正しい行動を見せなければならない」とした。

韓国を「我が国と密接な関係にある他国」であるとは言わない安倍首相。ネット上では「助けてくれと言われても韓国なんか誰が助けてやるか」という韓国に対する蔑視・憎悪の感情を吐き出した言説があふれている。日韓関係のこの異様な関係の改善こそ、政府が取り組むべき最大の課題ではないのか。

閣議決定は「パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況」という。だが、安倍首相が集団的自衛権の行使を叫べば叫ぶほど、周辺国を刺激し、「我が国を取り巻く安全保障環境」が悪化している。上記に引用した文章中の「脅威等」の「等」には、「安倍政権による閣議決定」も含まれることに、米国一辺倒の安倍首相や外務官僚は気づいていない。

さて、今回の閣議決定の主な論点については、この「直言」でも折に触れて批判してきた。総論でも各論でもたびたび登場する「積極的平和主義」のまやかしについてはすでに論じた。武力行使「新3要件」のごまかしは『世界』7月号の拙稿で徹底的に批判している。また、各論の事例、例えば米輸送艦による邦人輸送防護というあり得ない想定や、ホルムズ海峡における機雷掃海のインチキ性についても、『世界』拙稿や「直言」でその嘘を明らかにしておいた。

ヨルダン・タイムス

今回、改めて閣議決定の全文を通読してみて、全6900字強のなかで印象に残った言葉がある。それは「切れ目のない」である。「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」というタイトルと、本文4箇所の計5箇所に出てくる。興味深いことに、安倍首相に屈した山口那津男公明党代表の記者会見(7月1日)の冒頭の言葉も、「切れ目ない安全保障に関する立法措置を検討してもらいたいという安倍首相の要請に応じ、結論を出した」というものだった。安倍首相の記者会見でも複数回出てきたこの言葉の意味するところは何か。

現行の安全保障法制には「切れ目」が随所にあり、それにより種々の不都合を生じているという認識のもと、武力行使を含む対応が迅速にとれるようにするため、現行法制にある事前手続きの簡略化をはかるということで、「切れ目のない」状態をつくるということではないだろうか。

実際、「切れ目のない」が使われた前後の文章を見ると、タイトルや総論を除けば、「武力攻撃に至らない侵害〔グレーゾン事態〕への対処」の項で2箇所ある。一つは警察・海保との密接な関係をはかる上で、手続きの迅速化と、状況に応じた早期の下令ができるようにするという文脈であり、もう一つは米軍との連携に際して、武器等防護(自衛隊法95条)を「参考にしつつ」法整備をはかるという文脈である。米軍の「武器等」を守るために、自衛隊が武器を使用できる。仰天の発想である。

自衛隊法95条は、「自衛隊の武器、弾薬、火薬、船舶、航空機、車両、有線電気通信設備、無線設備又は液体燃料」の警護の際に、その防護に必要な限度内で武器が使用できるという規定である。本来、地上にある弾薬庫や武器庫などが襲われたときの防護を想定している。自ら地球の裏側まで行って、そこで自分の武器(艦艇も含む)を守るために武器が使えるというのは、かなりの拡張解釈である。閣議決定はさらに「米軍の武器」までも守れるように95条の法改正をするという趣旨だろう。武器使用の範囲は際限なく広がっていく。このように、「切れ目のない」法整備とは従来のハードルをことごとく下げたり、外したりすることの言い換えではないだろうか。

今回の閣議決定を読んで改めて問題と感じた点をさらに挙げると、従来の政府解釈の「武力の行使と一体化」論を前提にすると言いながら、その実質的な放棄が行われていることである。これまでの解釈では「後方地域」にせよ「非戦闘地域」にせよ、地理的概念ではないことは強調されてはいた。しかし、今回それすら、「自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく…」として相対化し、その上で、「現に戦闘行為を行っている現場」のみを外して、活動範囲を一気に拡大した。従来は、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる一定の地域」というのが「非戦闘地域」の定義だった(旧イラク特措法2条3項)。今回、それを、数時間前まで戦闘が行われ、死体がゴロゴロ転がっている地域でも、「現に」戦闘が行われていなければ活動できることになる。米軍の戦闘部隊に随伴して行動することが可能となる。「武力の行使の一体化」論は「歯止め」としての賞味期限を終えたことになる。

集団的自衛権の行使の問題と言いながら、閣議決定では「駆け付け警護」に伴う武器使用、「任務遂行のための武器使用」、邦人救出のための武器使用など、これまで日本が抑制してきた軍事的機能を解き放とうとしている。その意味では、従来のハードルを次々と撤去していく「切れ目のない」法制化が狙われている。「切れ目のない」とは、「歯止めのない」と同義語なのである。

この閣議決定のコアは、「新3要件」なるものを、内閣の全員一致の意思としてオーソライズしたことにある。「新3要件」は自衛権の3要件の実質的な否定の上にたっている。「我が国に対する急迫不正の侵害(武力攻撃)」がないのに、「我が国と密接な関係にある他国」に対するものまで「我が国」と同じ扱いで「自衛の措置」が憲法上認められるとするのは、従来の政府解釈が自衛力合憲論の決定的理由としてきた「自衛のための必要最小限の実力」という根幹部分を否定することと同義である。「自衛」は「他衛」であると強弁することで、「新3要件」は政府の自衛隊合憲解釈を「根底から覆して」しまったのである。閣議決定の最後の一文が、新3要件が「憲法の規範性を何ら変更するものではなく…」としているのは、「戦争は平和である」(ジョージ・オーウェル『1984』)と同じようなダブルスピークに聞こえる。

閣議決定については突っ込みどころ満載である。4日の授業で、予定を変更して、閣議決定の全文を読んだ上で感想を聞いてみた。すでに触れた論点のほかには、国際法と憲法の効力関係で二元説ともとれる扱いをしている箇所があること(3(4))、前文の法規範性を否定する立場をとっている内閣が、前文の平和的生存権を根拠に使ってしまうおかしさ等々、さまざまな意見が出たが、ここでは解説は省略したい。私からは、この問題の背後には、外務官僚・OBのなかにある「湾岸トラウマ」が言われるが、それはまやかしであることを説明した。また、『東京新聞』7月2日付社説「9条破棄に等しい暴挙」に触発されて、カール・シュミットの「憲法破毀(破棄)」の議論についても解説した。これらについては、すべてリンクした「直言」をお読みいただきたい。

次回は、集団的自衛権行使に舵をきった公明党の議論について診ていくことにしたい。なお、前述した山口公明党代表の記者会見冒頭の言葉は、「安全保障に関する立法措置を検討してもらいたいという安倍首相の要請に応じ、結論を出した」と読み替えるべきだろう。(この項続く)


《付記》本文中に掲げた『ヨルダン・タイムス』の写真は、中東にいるゼミOBから提供されたもの。同紙はヨルダン在住の外国人向けの英字新聞で、写真はAFP通信の配信。現地のアラビア語新聞では特に日本に関する記事は発見できなかったという。

トップページへ。