お友だち政治の頽廃――安倍乱造内閣            2015年10月12日
《追悼》

10月5日午前1時27分。憲法学者で北海道大学名誉教授の深瀬忠一先生が亡くなった( 『北海道新聞』10月5日付夕刊)[PDF]。88歳。奥平康弘先生の「追悼」の文を書いたのが2月2日の直言だった。「志を受けつぐ会」について書いた直言「「君はこのごろ平和についてどう考えてる」―安倍流「積極的平和主義」に抗して」を出して半年で、私たちはまた憲法学の柱の一人を失った。深瀬先生はフランス憲法学と議会制論についてのすぐれた研究で知られていたが、60年代半ばからは北海道における自衛隊裁判(恵庭事件)の特別弁護人となって法廷で弁論されるなど、平和憲法の理論と実践の先頭に立たれるようになった。長沼ナイキ基地訴訟では、自衛隊違憲論と平和的生存権に関する指導的論文を次々に発表された。この二つの事件が一大憲法訴訟に発展する上で、先生の果たされた功績は大きい(この点は『北海道新聞』10月6日付でもコメントした[PDF])。著書『恵庭裁判における平和憲法の弁証』(日本評論社、1967年)、『長沼裁判における憲法の軍縮平和主義』(日本評論社、1975年)、『戦争放棄と平和的生存権』(岩波書店、1987年)は、憲法の平和主義の基本文献となっている。先生のお仕事には、冷静な分析と透徹した論理だけでなく、その背後に平和と人間に対するあふれるような愛があった。私が大学院生のときから37年間、先生とは本当に親しくさせていただいた。科学研究費補助金の共同研究『平和憲法の創造的展開―― 総合的平和保障の憲法学的研究』(学陽書房、1987年)ではオブザーバーで、同『恒久世界平和のために――日本国憲法からの提言』(勁草書房、1998年)では共同研究者の一人として論文「自衛隊の平和憲法的解編構想」を執筆する機会を与えられた。さらに、共編著『平和憲法の確保と新生』(北海道大学出版会、2008年)を出版するなど、研究者人生の重要な場面・局面で大変お世話になった。12年前、ゼミの北海道合宿の際、「基地班」の学生たちが先生のご自宅書斎で4時間もお話をうかがう機会があった。当時の学生たちは、先生の熱い思いを感じたと語っていた。8年ほど前から、ご体調がすぐれないのをおして上京されて、高田馬場のホテルに滞在されながらさまざまな人に会い、憲法の危機といかに向き合うかについて熱く説いておられた。私も「30分でいいから」といって会議中に突然呼び出され、3時間くらい話を聞かされたことも1度や2度ではない。亡くなられたのは安保関連法成立後だが、最後に頂戴したお手紙には、維新の党の「対案」に対する私の批判に賛成する旨が書かれており、心強かった。この違憲の法律を施行させないとりくみが先生のご遺志であり、残された私たちの使命であると考える。ご冥福をお祈りししたい。


歴代組閣の新聞紙面

「神経の図太い人や、恐れを知らず平然としている人のことを「強心臓」というが、安倍首相の場合は違う。もともと神経が細くてデリケートな人が、いつの間にか自分には力があり、強いのだと勘違いしている。そういう心のありようを、これからは「アベ心臓」と呼ぼう。そういう特殊な心臓をもった首相の暴走による「アベコベーション」は、さらなる段階に駆け登ろうとしている。「アベノミクス」こそ、日本を短期間覆った露骨な「SF政治」(催眠政治)として、後世の政治史家が描くことになろう」。

これは2年半ほど前に書いた直言「SF政治(催眠政治)にご用心―「アベノミクス」とTPP」の一節である。「アベノミクス」を仕込んだ「催眠商法」のような選挙キャンペーンの結果、安倍自民は2013年参院選2014年衆院選に勝利した。それからまもなく、安保法制のゴリ押しが始まった。どんなに国民が反対しても、法律専門家が一致して批判しても聞く耳をもたず、強引・傲慢な政権運営を続けてきた。そして、9月19日に安保関連法が成立するや、その総括や反省どころか、成立のために尽力した人々への挨拶まわりなど、普通の首相ならやるべきことを一切やらずに山梨でのゴルフに向かった。東京にもどるや、その日のうちに、「アベノミクスの第二ステージ」をぶちあげたのである(「第一ステージ」の総括も反省もなしに)。そして、米国に向かい、金融関係者らに「私にとって最大のチャレンジは経済、経済、経済だ」と叫ぶ一方、国連総会の一般討論演説では、露骨に「金」をちらつかせて国連常任理事国入りをアピールした。さすがに「アベ心臓」である。

10月7日の内閣改造では、「アベノミクス第二ステージ」として、名目GDP(国内総生産)600兆円、希望出生率1.8、介護離職ゼロという「新三本の矢」(三個の的?)を打ち出した(そもそもバラバラに放り投げられている安倍流「三本の矢」と、毛利元就の逸話との関係は意味不明である)。目を輝かせながら、あきれるほど馬鹿馬鹿しい話を、どや顔で語る姿は正視に耐えない。その内閣改造の中身がまたすごい。

「目玉」とされたのが「一億総活躍」担当大臣である。当初、大物就任が取り沙汰されたが、結局、お友だちの加藤勝信・官房副長官がこのポストに就いた。それにしても、「一億総活躍」とは何とも不気味である。加藤氏の職名としては、「一億総活躍担当・女性活躍担当・再チャレンジ担当・拉致問題担当・国土強靱化担当・内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画)」(官邸HP)と、これだけある。日経電子版の見出しは「一億総活躍拉致女性」とちょっと縮めすぎか。意味のわからないポストの意味のわからなさがよく出ている。安倍首相は「あらゆる政策を総動員していく」とも言った。「一億総活躍」には、「国家総動員」の臭気と、「進め一億火の玉だ」(大政翼賛会作詩、長妻完至作曲)に出てくる「行くぞ一億どんと行くぞ」の空気が漂う。日本の人口は1億2685万人だから、人口の5分の1はこの施策の対象にならないのか、と突っ込みたくもなるだろう。

当然、8日付の新聞各紙朝刊は、「一億総活躍」担当大臣の所掌事務がはっきりしないなど、このポストに批判が集中した。経済再生担当相や厚生労働相、国土交通相、地方創生相、女性活躍相などとバッティングしてくることは明らかだ。当面、「有識者」を集めた「国民会議」を設置して、そこで大臣挨拶をするのが関の山だろう。「お友だち」である加藤氏に対する私的論功行賞ないし、「恩賞」としか思えない。自らの地位を保つために主君が家来に褒美を与える恩賞が、既存の大臣ポストでは足らないために、勝手にドンドン作っている印象である。不必要な大臣の報酬に国民の税金が投入されていく。

何でこんなくだらない大臣ポストをつくれるのか。憲法68条は首相に大臣の任免権を与えている。これは絶大な権限である。組閣までの一時期、彼に抵抗できる与党議員はいない。首相の判断で「一億総活躍」担当相などの一定の事務を担当する大臣や、内閣府で特命事項を担当する大臣(「内閣府特命担当大臣」)をつくり、任命することができる。だが、注意する必要があるのは、90年代末からの「行政改革」のなかで「多すぎる大臣」も問題にされ、縦割り行政の克服と内閣機能の強化、事務・事業の減量と効率化(経費削減)などを目的として、中央省庁再編(「中央省庁改革等」)が行われたことである。関連法が2001年1月6日に施行され、1府22省庁から1府14省庁への削減が行われた。内閣法2条2項が改正され、「前項の国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に・・・必要が・・・ある場合・・・・においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる。」と定められた。内閣府設置法も同時に施行され、「内閣の重要政策に関して行政各部の施策の統一を図るために特に・・必要が・・・ある場合・・・・」に「内閣府特命担当大臣」を置くことができるとされた(9条)。

第二次森内閣

ちょうど切れ目に当たるのが、第二次森内閣(2000年7月4日)と第二次森改造内閣(同年12月5日)である。厚生大臣と労働大臣の2人いたものが、5カ月後に厚生労働大臣の1人になった。閣僚の数は前者が18人、後者が17人であまり減っていない印象を受けるのは、「特命担当大臣」が増えているからである。次の小泉内閣も17人。内閣法上の目一杯まで任命している。

2011年に内閣法が改正され、附則で「復興庁が廃止されるまでの間における第2条第2項の規定の適用については、前項の規定にかかわらず、同条第2項中「14人」とあるのは「15人」と、同項ただし書中「17人」とあるのは「18人」とする。」(平成23年法律125号)となった。今年6月、「東京オリンピック」推進本部が置かれている間限定の「五輪大臣」が新設されて、その結果、「第2条第2項の規定の適用については、同項中「14人」とあるのは「16人」と、同項ただし書中「17人」とあるのは「19人」とする。」(平成27年法律33号)となった。復興庁の廃止は2021年3月末、東京オリンピックは2020年だから、それまでは14人が16人となって、これに3人まで加えられるということで、最大19人になった。今回の安倍改造内閣も19人となったわけである。これは、冒頭の写真を見れば明らかなように、宮澤内閣や細川内閣など、中央省庁再編前の20人の「多すぎる大臣」に限りなく近づいている。一体、誰のための、何のための省庁再編だったのか(なお、この人が15年前、「省庁再編と真の行政改革」について熱く語っている)。

それにしても、「内閣府特命担当大臣」は多すぎはしないか。「特に必要がある場合」の判断は首相がするから、好き放題である。改造前、13の特命担当大臣が置かれていた。内閣府の主任大臣は内閣総理大臣だから、13人の特命担当大臣が「上司」をもつことになる。自らの省だけに責任をもつ大臣は6人しかいない。一定の事務を担当する大臣にしても、お飾りの意味での「女性活躍」だの、「一億総活躍」だのは、安倍内閣の趣味の世界である。大臣ポストや「特命事項」を玩具のようにもてあそんでいるとしか思えない。政権与党内を引き締め、自らに権力を集中させるとき、閣僚以下のポストを配分する人事権は絶大な効果を発揮する。今回、うるさい議員を黙らせた例が、反原発を売りにしていた河野太郎議員を国家公安委員長に任命した人事だろう。河野氏はすぐに反原発ブログを閉鎖して、安倍首相に恭順の意を表している(澤藤ブログ10月8日付「あゝ河野太郎よ、君を泣く」参照)。自民党はますます「安倍色(カラー)」に染まり、どこやらの国の政権党によく似てきた。それなりの識見のある政治家たちは沈黙し、「顔の見えない議員」、イエスマンの閣僚からなる国に近づいている

内閣人事局 スポーツ庁

ところで、安倍政権は昨年、各省庁の幹部人事に手を突っ込み、官僚を操縦するために内閣人事局を新設したが、その初代担当大臣の揮毫がこれだ。「人」という字が、安倍政権の人事のバランスの悪さを象徴してはいないか。今回新設された「スポーツ庁」。この看板の揮毫は下村博文前文科相である。本人が退任しても、看板はずっと残る。ここで働く職員は毎日これをみて登庁する。

今回の改造について、安倍首相は適材適所の人事と胸をはっているが、まさに「不適材不適所」のオンパレードである。その見本が高木毅・復興大臣である。原発が数多く立地する福井県選出で、原発早期再稼働を求める議連の事務局長も務めてきた。7日夜の就任の記者会見で、東日本大震災で被災した東北三県にある東京電力福島第二原発(福島県楢葉町、富岡町)と東北電力女川原発(宮城県女川町)を再稼働させる可能性について語った(『東京新聞』2015年10月8日付)。それで、「被災地の皆さん寄り添いながら頑張っていきたい」(『福井新聞』10月8日)。「被災者と寄り添う」とは意味不明である。また、原発を所管する経産相に就任した林幹雄氏は就任の記者会見で、震災後の福島県には「残念ながら行っていない」と述べた。 前任の宮沢洋一大臣も就任前に福島県の状況を見たことがなかったという(8日のテレビ朝日「報道ステーション」より)。

東日本大震災の2周年で直言「「復興の加速化」のなかでの忘却」を書いたが、それからさらに2年半が経過した。避難者はなお約19万9000人。冬を前に、6万8000人が岩手、宮城、福島のプレハブ仮設住宅に暮らしている。復興住宅の完成は4割弱にとどまる(『朝日新聞』9月12日付)。さらに、関東・東北豪雨で茨城県常総市の鬼怒川堤防が決壊して1カ月が経過したが、市内外の16カ所で今も約450人が避難生活を送っている。県や市は公的住宅や借り上げ民間住宅約500戸を確保したが、罹災証明発行などの手続きが遅れ、入居が決まったのはわずか4世帯という(『毎日新聞』10月10日付)。

生活に苦しんでいる人がこんなにたくさんいるのに、首相の発言には「復興」にも「復旧」にも真剣さがうかがわれない。一体何をやっているのか。肝心の復興大臣にも、被災地が脱力するような人物を任命した。安倍首相の頭は、いま、自分の政権の延命しかないようである。

4年前の民主党政権のとき、東日本大震災のどさくさにまぎれて内閣法の改正が試みられたことがある。17人をさらに増やして、省庁再編前の20人と同数にするというものだった。これに、現在は安倍政権の機関紙のようになっている『読売新聞』が社説で猛然とかみついたのである。そのタイトルは「内閣法改正案 今なお「閣僚3増」とは論外だ」(2011年5月14日付社説)。そこで言われていることは、そのまま現在の安倍政権とその改造人事にも妥当する。

東日本大震災の対応に本当に必要な措置か、大いに疑問がある。政府が、閣僚の上限を現在の17人から20人に増やす内閣法・内閣府設置法改正案を国会に提出した。改正案は、内閣府の副大臣と政務官を各3人から最大各9人に、首相補佐官も5人から最大10人に増やすことも盛り込んでいる。

政府は、閣僚3増によって、震災復興相や原子力発電担当相を新設したり、官房長官と沖縄・北方相、環境相と防災相の兼務を解消したりしたい、としている。震災発生直後、地震、津波、原発事故という「複合事態」に、一刻を争って対処している時であれば、閣僚増も理解できた。だが、2か月以上たった今、あえて閣僚を増やす理由はない。不要不急の法案と言わざるを得ない。副大臣や政務官、首相補佐官の大幅増も、「船頭多くして船、山に登る」になりかねない。首相官邸に震災対応の本部や会議を乱立させ、かえって混乱を招いたことをもう忘れてしまったのか。

そもそも「閣僚3増」構想は、衆参のねじれ状態を解消する大連立のため、野党幹部の入閣を想定したものだった。だが、菅首相の稚拙な対応で大連立の機運が失われると、細野豪志首相補佐官の原発担当相起用を公明党に打診した。さらに、現在は、民主党内の「菅降ろし」の動きを封じるため、内閣改造の構想まで語られている。菅政権の対応は、あまりに場当たり的と言うほかない。…政権の延命を優先して復興を遅らせることは許されない。」

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