立憲主義が問われた年――2015年の終わりに
2015年12月28日

北海道新聞2015年11月5日付

11月5日、札幌で北海道新聞社の社内勉強会(非公開)の講師をやった。そこに向かう電車のなかで『北海道新聞』を開くと、総合面の連載初日の記事に目がいった。見出しは「立憲主義か非立憲主義か――新たな対立軸出現」。勉強会でこの記事と見出しを取り上げてほめると、司会の局デスク(編集局次長)が「私がその見出しをつけました」といったので、なるほどと思った。この見出しは、安全保障関連法をめぐる国会審議を通じて鮮明になってきた議論の軸を明確にあらわしている。この夏、国会前のSEALDsのコールでも、「立憲主義ってなんだ?」が叫ばれた。でも、「立憲主義はコレだ」というコールが、少なくとも上記の「モデル」に存在しなかったことは象徴的である(現場ではやっていたという声あり)。

磯崎の法的安定性関係ない写真

立憲主義は、戦後の日本国憲法のもとで必ずしも自明ではなかった。学校教育でも、民主主義や平和主義については教えられていても、教科書で立憲主義について触れられるようになったのはここ10年くらいのものである(直言「『あたらしい憲法のはなし』からの卒業――立憲主義の定着に向けて(2)」の付記参照)。首相補佐官をやった人物がツイッターで、「学生時代の憲法講義では聴いたことがありません。昔からある学説なのでしょうか」とつぶやいて顰蹙をかった。この人物は「考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない」とも発言した(『朝日新聞』2015年7月27日付)。子分がこのざまだから、安倍首相自身の憲法観、立憲主義理解は、「〔憲法は〕国家権力を縛るものだという考え方はあるが、それはかつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、今まさに憲法というのは、日本という国の形、そして理由と未来を語るものではないか」(2014年2月3日衆院予算委)というお寒いもの。近代立憲主義の理解がまったくできていない。

ところで、客観性や実証性、そして一定の知的「権威」が発信する言説を軽視、無視、蔑視さえして、自分の都合のいいように物事を理解し解釈する姿勢のことを、一般に「反知性主義」という。ものを知らない、(普通の)無知、不勉強、知的怠惰はこれにあたらない。反知性主義は、「専門知」に対するアグレッシヴな敵対・敵視の姿勢が特徴である。今年6月以降、憲法学と憲法研究者に対して、安倍首相をはじめ官邸や与党幹部から発せられた言説は、おそらく、この国の政治のなかで初めての現象ではないか。憲法軽視・無視の言説や傾向は歴代内閣にもみられたが、首相自らが「みっともない憲法」と表現するなど、ここまで憲法蔑視の姿勢を明確にした政権はかつてなかったからである。これを私は「戦闘的反知性主義」と特徴づけた。その具体的あらわれは、安倍第2次政権の発足直後は「憲法96条先行改正」だった。

2012年暮れから13年4月下旬にかけて、安倍首相は、憲法96条の改正発議要件の緩和(「3分の2以上」から「過半数」へ)を前面に押し出してきた。その理由について、「たった3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば、国民の皆さんは指一本触れることができない。議論すらできない。あまりにハードルが高過ぎる」と述べた(『毎日新聞』2012年12月24日付)。権力者が、権力者を縛る憲法を改正しやすくするために改正手続を緩和するという本音を突出させてきたことに、これは危ないと多くの人々が思った。改憲派とされてきた小林節氏(慶応大学名誉教授)が政府批判を強めはじめるきっかけも、この96条問題だった(10年前に小林氏が私と出演した番組のタイトルは「憲法96条・国民的憲法合宿」である)。安倍政権が「憲法96条先行改正」から始めようとしたことが墓穴を掘ったともいえる。味方にできる人までも敵にまわしてしまう結果になったからである

なお、首相と非常に親しい関係と思われる、先頃「おおさか維新の会」代表を引退した橋下徹氏も、Twitterで「衆参3分の2による発議を2分の1にしたところで、軟性憲法(法律と同じ手続きで変えられる)になるわけではない。国民投票が必要なので、ここが法律と決定的に異なる。衆参3分の2の発議要件を2分の1にしても、硬性憲法であることに間違いない。護憲派と呼ばれる人達は国民投票を軽視している」として、やはり憲法の縛りを緩めたがっていた(橋下徹Twitter2013年5月4日)。中央政治に彼が唐突に登場する可能性もあるだけに、このことは忘れないでおきたい。

船田本部長の記者対応

2014年になって安倍政権は、違憲の安保法制を憲法秩序にねじ込むために、明文改憲をひとまず棚上げして、集団的自衛権行使違憲の政府解釈(内閣法制局の解釈)を変更させて、それを法律の形で具体化することに全力をあげた。9月19日に安保関連法案が成立するとほぼ同時に、与党・政府部内から、憲法の明文改正を主張する声が出てきた。『産経新聞』2015年2月6日付によると、船田元・自民党憲法改正推進本部長(当時)との会談で、安倍首相は、第1回の憲法改正国民投票の時期を、2016年7月の参議院選挙後とするのが「常識的だろう」との認識を示したという。船田氏は首相に、「一度にすべて改正するのは無理なので、何回かに分けて改正する。環境権、緊急事態(条項)、財政健全化(条項)あたりが候補となっている」と述べ、「国民投票で否決されたら、しばらくは改正ができない。1回目の憲法改正は極めて大事だ。安全運転でいかなければいけない」と「本音を披瀝している」(産経新聞の表現)。

自民党の古屋圭司憲法改正推進本部長代理は、「本音は9条(改憲)だが、リスクも考えないといけない。緊急性が高く、国民の支持も得やすいのは緊急事態条項だ。本音を言わずにスタートしたい。・・・お試し改憲でいけないのか。問題ない。・・・安倍内閣のときが最大のチャンスだ。絶対に失敗しない取り組みをしないといけない」と述べたという(『産経新聞』10月1日付等)。「お試し改憲」で何が悪いと居直っているが、私が朝日新聞社のwebronza で批判したように、まさに「憲法改正に「お試し」はあり得ない」 のである。

ともあれ、「お試し」を含めて改憲まっしぐらの古屋氏では、安倍政権が明文改憲にシフトしたことがあまりにはっきりしてしまうというので、参院選をにらみ、あえて党内評価では「憲法の素人」とされる森英元法相が、憲法改正推進本部長に起用された(この背景は、『朝日新聞』10月24日付「時時刻刻」参照)。前本部長の船田氏は、6月の衆院憲法審査会で与党推薦の参考人が安全保障関連法案を「違憲」と述べたことの責任を問われて、事実上更迭された。

安倍のチャンスは手放さないの写真

安倍首相の改憲論は「情緒的改憲論」として一貫している。加えて、「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」(2015年5月20日、国会党首討論で)という自己チューぶり。安倍首相の民主主義観というのは、「一度選挙で選んだら国民は白紙委任して黙っておけばいい」ということだろう。一事が万事。これを人は民主的な国家の政府とは呼ばない。北朝鮮と妙に似てきたではないか

さて、来年7月の参議院選挙に向けて、またその後に、明文改憲の動きが一気に加速化するに違いない。そうしたとき、市民にも政治家にもメディア関係者にも求められることは、立憲主義について学び、その理解を応用することだろう。

その点で、私も呼びかけ人をやっている「立憲デモクラシーの会」が、「立憲デモクラシー講座」を連続して開催している(早大3号館401教室)。その第1回は、石川健治東大教授の「「一億総活躍」思想の深層を探る――佐々木惣一が憲法13条を「読む」」である。この「直言」の冒頭で、『北海道新聞』の見出し「立憲主義か非立憲主義か――新たな対立軸出現」を紹介したが、佐々木惣一の著書が、まさに『立憲非立憲』(弘文堂書房、1918年)なのである。「直言」スタッフの一人がこの講座に参加した。石川講演についての参加した本人による要約と、それについての感想を書いてもらった(これについての文責は執筆した本人にある)。原稿は、次のリンクから読むことができる(→PDFファイル)。〔その後石川健治教授自身による講演録がwebronza上で連載開始された。連載の第一回目は「[1]すべての人が負けたのだー安保法制」である。――2016年2月23日追記〕

天皇機関説事件80周年の年が終わる。「立憲か非立憲か」という対立軸は来年、より鮮明な形で問われることになるだろう。

《付記》
年末進行のため、本稿と来年1月4日の「直言」は12月20日に脱稿した。たまたま『朝日新聞』12月21日付「天声人語」が、「立憲非立憲」が「佐々木の著書から100年近く、再びに鮮明になってきた対抗軸である」と指摘していた。これも参照されたい。

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