なぜ、いま緊急事態条項なのか――自民党改憲案の危うさ
2016年1月25日

安倍首相の本

倍首相の様子がおかしい。自らを神格化し(天孫ニニギノミコトの生まれ変わり)、全能感いっぱいで、爆走している。国会での答弁風景も、誰もが「大丈夫か」と思う危険水域に入ってきた。ヤジを飛ばす、聞かれたことに答えない、はぐらかす、論点をすり替える、別の問題を延々としゃべり続ける・・・。とりわけ1月19日の参議院予算委員会の答弁には仰天した。

安倍首相の本

福島瑞穂議員(社民党)が自民党改憲草案の緊急事態条項について、「ナチスの授権法〔全権委任法〕とまったく一緒だ」と追及すると、「緊急事態条項は諸外国に多くの例があり、」と述べたのである。議員に向かって、質問をするなと言ったに等しい。批判に対しては反論できる機会があるのに、批判を封じようとする発想は危ない。また、国会の審議は討論会ではない。国民の代表である国会議員の質問に答えるのは、行政府の長である首相の義務である。かつての首相たちもそれぞれに個性があって、時に感情が表に出ることはあった(例えば、吉田茂の「バカヤロー」のつぶやき。解散につながった)。私の記憶に鮮明なのは、安倍首相の大叔父の佐藤栄作の答弁である。怒りと不愉快な気持ちを押し殺して、相手をじっと見据え、「ご意見としてうけたまわっておきます」とか「私はに考えております」等々、野党議員がどんなに激しい言葉で追及しても、腰は低く、やや上目づかいに、慇懃無礼感覚を全身で表現しながら答弁していた。野党議員に向かって「批判を慎め」といった首相はいなかった(1938年の衆議院国家総動員法委員会で、議員の質問に対して「黙れ」と叫んだ、陸軍省軍事課の佐藤賢了〔「東條の納豆」〕を彷彿とさせる)。

毎日新聞1面(憲法改正へ)

安倍首相は昨年、安保法制により、海外で自衛隊に武力行使をさせる突破口を切り開いた。11本の安全保障関連法案には、国民や自治体に対して義務を課す国民保護法改正案は含まれていなかった。2016年は、それを緊急事態条項の「お試し改憲」で実現する方向に舵をきったのだろうか。新年早々、安倍首相は明文改憲を打ち出し(助っ人は「おおさか維新」)、「(憲法改正が)現実的な段階に移ってきた」と語るようになった(1月20日参議院決算委員会答弁)。「お試し」の例から環境権や財政規律条項は消え、緊急事態条項が前面に出てきた。

1月15日の参院予算委員会で、自民党・片山さつき議員が、安倍首相に憲法を改正して「緊急事態条項」を設けることについて質問した。片山議員といえば、北海道の自治体関係者の間で「片山事件」として記憶されている人物である。2004年、財務省主計官だった片山氏は、陸上自衛隊4万人削減案を提示。これに抵抗した宗像久男陸幕防衛部長(当時)は、その4年後に東北方面総監となって、「みちのくALERT2008」という大規模震災対処訓練を実施して、陸自の「存在証明」をはかった。この大規模訓練が、3年後の「本番」(東日本大震災)に役立ったとされている

その片山氏が、福島20キロ圏内からの避難の問題を、憲法に緊急事態条項がないことと強引に絡めて論じていた。そして、世界の成文憲法をもつ国にはすべて緊急事態条項があるのに日本にはないという俗説を展開しつつ、安倍首相に緊急事態条項の必要性について質問した。首相答弁で私が注目したのは、「(緊急事態において)国家、そしてがどのような役割を果たすべきかを憲法にどのように位置づけるか」という下りである。「国民自ら」という言い方で、緊急事態における国民の役割について語ったのは、昨年11月11日の参議院予算委員会の閉会中審査(山谷えり子議員への答弁)あたりからではないか。「国民自ら」という言い方にどんな狙いがあるか。自民党改憲草案99条3項には、緊急事態において、「何人も・・・国その他公の機関の指示に従わなければならない」とあり、緊急事態における国民の協力義務が想定されている。

そもそも緊急事態条項は「お試し」で導入するようなしろものではない(webronza掲載の拙稿「憲法改正に「お試し」はあり得ない――自民党の憲法感覚を問う」参照)。「立憲主義の存立危機事態」を生み出す劇薬である。その認識も自覚も、首相とその周辺にはまったく感じられない。世界のどこの憲法にもあるから日本もという議論については、拙編著『世界の「有事法制」を診る』(法律文化社、2003年)で詳細に論じた。東日本大震災における震災対処の不十分さは緊急事態条項がないからという議論については、拙稿「緊急事態における権限分配と意思決定――東日本大震災から考える」で詳しく論じた。安倍首相が緊急事態条項を押し出してきた以上、この問題におけるまとまった批判をしておく必要があるだろう。そこで以下、奥平康弘・愛敬浩二・青井未帆編『改憲の何が問題なのか』(岩波書店、2013年)所収の拙稿「緊急事態条項」を、出版社の許可を得て転載する。緊急事態条項の議論において活用していただきたい(コピペではなく、出典を明記して)。



 緊急事態条項
 

◎「どこの国の憲法にも緊急事態条項があるのに、日本国憲法にそれがないのはおかしい」という議論の仕方に問題はないか。日本国憲法が緊急事態条項を持たず、国家緊急権について沈黙していることには実は重要な意味がある。

◎「改正草案」の緊急事態条項は、各国憲法や先行する各種の「憲法改正案」の緊急事態条項と比べても、緊急事態定義の曖昧性、法律への委任の多用、法律と同一効力をもつ政令、権利制限の広範性と執拗性などの点で、突出した専断性と危うさを伴っている。

はじめに

「改正草案」は、第9章「緊急事態」として、98条と99条の2カ条をあてている。こうした条項は、2005年の「新憲法草案」にはなかったもので、自民党としては緊急事態条項の「真打ち登場」のつもりなのだろう。だが、結論から言えば、これは、立憲主義の観点から見れば有害無益な、緊急権・緊急事態法制論から見ても突っ込み所満載な、現実の政治的コンテクストのなかで見ればきわめて危険な案である。ここでは、次の二つのアングルから、緊急事態条項の問題点を指摘することにしたい。第一に、憲法に緊急事態条項を盛り込むこと自体の問題であり、第二に緊急事態条項の規定の仕方とその内容上の問題である。

一 憲法と緊急事態条項――どこの国の憲法にもあるから日本にも、なのか?

緊急事態条項のベースには、憲法論における「国家緊急権」の議論がある。国家緊急権とは、戦争や内乱、大規模災害など、国家の維持・存続を脅かす重大事態において、平常時の立憲主義的統治機構のままではこれに有効に対処しえないという場合に、執行権に特別の権限を付与または委任して特別の緊急措置をとれるようにする例外的な権能のことをいう(水島朝穂『現代軍事法制の研究』〔日本評論社、1995年〕196頁)。

日本国憲法はこの緊急権について「沈黙」を守っている。これを「あるべきものがない」という意味で「欠缺」ないし「欠陥」と見るか、それとも、戦前の大日本帝国憲法下の戒厳や天皇非常大権、緊急勅令などの教訓と反省から、緊急権の制度に対して距離をとり、あえてこれを憲法上採用しなかったと見るかという点で、議論が分かれる。憲法の前文と9条の徹底した平和主義との関連で見れば、執行権に権限を集中し、とりわけ軍事装置に特別の権限を与える緊急権に否定的な評価を与え、あえて緊急事態条項を置かなかったと理解するのが妥当だろう。ただ、多くの国の憲法には緊急権を制度化した条項があるのに、日本国憲法にないのはおかしい、あるいは「普通でない」という言い方がよくされる。自民党の「Q&A」39にも、「ほとんどの国で盛り込まれている」とある。だが、他国にあるから日本にも、という安易で粗雑な発想でこの問題を考えてはならない。緊急事態条項は、強大な例外的権能が執行権に与えられるため副作用や反作用が大きく、どこの国でもその誤用・濫用、悪用、逆用の悩ましい過去の一つや二つは持っている。だから、それぞれの国の憲法には、誤用・濫用などを防ぐための「安全装置」がさまざまセットされている。

例えば、「制度化された緊急権の完成形態」ないし「徹底的に規範化された緊急権」とされるドイツを見てみよう。ヴァイマール憲法48条2項は、大統領にきわめて強力な非常事態権限を与えていたため、ヒトラー独裁の露払いの役回りを演じたとされる。その反省の上に、戦後のドイツ基本法〔憲法〕の制定過程では、草案段階では存在していた111条(連邦政府の緊急命令権)が削除された。包括的な緊急事態条項(「緊急事態憲法」)が導入されるのは、基本法制定から20年近くたった1968年のことだった。基本法改正には両院の3分の2以上の賛成を必要とするため、社民党(SPD) の意見もかなり取り入れられた。緊急事態の認定権はギリギリまで議会に留保され(両院選出の48人の合同委員会〔非常議会〕がその3分の2で認定)、緊急事態下でも連邦憲法裁判所の活動は妨げられない。また、市民や労働組合などの運動を弾圧する口実となり得る「対内的緊急事態」という曖昧な概念も回避された。ただ、基本法87a条4項が一定の要件のもとで、「組織されかつ軍事的に武装した反乱者」に対する連邦軍の国内出動を認めたものの、その出動の補完的性格や、出動対象から労働者のストライキが明文で除外されるなど、対象事態の限定化の努力が随所に見られる。その結果、「緊急事態立法の制定者が本来意図したことの95%は実現しなかった」(H・リッダー教授)と評されるまでに無害化した緊急事態条項となったのである(水島朝穂「緊急事態法ドイツモデルの再検討」法律時報増刊『憲法と有事法制』2002年、40〜44頁)。

フランスはどうか。第五共和制憲法(1958年)16条は大統領の非常措置権を定めているが、「状況により必要とされる措置」という曖昧な文言により、1961年アルジェリア反乱時には、事態が収束した後も長期にわたり非常権限が行使され続けた。そうした緊急権の濫用への反省から、1993年、ミッテラン大統領が16条を廃止して、国家緊急権を大幅に制限しようと試みた事実は記憶されてよい(水島朝穂編著『世界の「有事法制」を診る』〔法律文化社、2004年〕109〜112頁〔村田尚紀執筆〕参照)。

韓国はもっと生々しい。1949年から80年まで「韓国憲政史は非常事態化の歴史」と称されるほど、緊急措置が乱発された。90年代以降、過去の憲法破壊行為の清算と憲政正常化の観点から、緊急事態権限の濫用を統制する努力が続けられた。特に、憲法裁判所が、国民の基本権が侵害される場合には、緊急措置を「統治行為」とせずに審査対象とする判決を出していることは注目に値する(水島・同右148〜163頁[宋石允執筆〕)。

このように、緊急事態条項の危うさや悩ましい経験を踏まえ、緊急事態条項を限定したり、制限したり、さらには廃止しようと試みる国すらあるのに、「どこの国にもあるから日本でも…」という形で憲法に導入しようとする態度は、いかに安易で乱暴なものかが分かるだろう。

ここで注意すべきことは、日本の場合、憲法に緊急事態条項はないが、法律レヴェルには「緊急事態」という文言が随所に存在することである。例えば、「警察緊急事態」(警察法71条)、「災害緊急事態」(災害対策基本法105条)、「重大緊急事態」(安全保障会議設置法2条9号)である。これに「防衛事態」(自衛隊法76条)、「武力攻撃事態」(武力攻撃事態法2条)、「治安出動事態」(自衛隊法78、81条)が加わる。憲法9条の観点から合憲性に疑義のあるものもあるが、ここでは立ち入らない。ただ、「改正草案」は右の各種の「緊急事態」との関係がすこぶる曖昧であり、具体的な中身を法律に丸投げしていることは後に見る通りである。「改正草案」が全体として、憲法を、権力担当者が違反してはならない権力制限規範としてよりも、国民が守るべき行為規範のように設計している(ふし)があり、それは緊急事態条項の規定振りにも色濃く投影されている。以下、「改正草案」を内在的に検討していく。なお、緊急権に関する最新の研究として、愛敬浩二「国家緊急権論と立憲主義」(奥平康弘・樋口陽一編『危機の憲法学』〔弘文堂、2012年〕175〜203頁)を参照のこと。

二 緊急事態条項の問題点――饒舌の向こうにある危うさ

わずか2カ条とはいえ、「改正草案」の緊急事態条項は異様に饒舌であり、それゆえ問題点は非常に多いのであるが、紙幅の関係上、次の7点に絞って論ずることにしたい。

1 「緊急事態」の非限定性――「今そこにある危機」は何でも?

98条1項には、緊急事態の類型が3つ例示されている。(a) 「我が国に対する外部からの武力攻撃」、(b) 「内乱等による社会秩序の混乱」、(c) 「地震等による大規模な自然災害」である。(b) の「内乱等による社会秩序の混乱」は、「等」に何を含めるかによって、「社会秩序の混乱」を拡大解釈することが可能となる。「その他の法律で定める緊急事態」に至っては、90年代の国内金融危機や2000年以降の国際金融危機などの経済財政上の事態や、伝染病の流行、パンデミックなども想定され得るのか。3つの例示事態を含めて、それぞれ性質が異なっているにもかかわらず、98条1項では一律に取り扱われている。各国の緊急事態条項が、緊急事態の限定や慎重な列挙に熟慮のあとが見られるのと比べても、「改正草案」のおおらかさには驚くばかりである。

2 法律への委任の多用――存在の耐えられない軽さ…

「改正草案」で目立つのは、法律への委任が実に多いことである。わずか2カ条で「法律の定める(ところにより)」という文言が8カ所に出てくる。同様の文言は、日本国憲法の全103カ条中、30カ所程度であるのと比べても、異様に多い。一般に、法律の定めを求める憲法条項は、行政機関の政令以下のものによって定めることを許さない、権力の抑制原理として機能する(憲法29条2項、50条など)。だが、「改正草案」の発想はこれと違い、緊急事態宣言の要件や効果に関わる事項を、各種緊急事態に関連する法律に委任するようあらかじめ宣言する結果になっている。これは、憲法上の重要事項について、単純過半数により制定可能な法律に委ねるものであり、大いに問題だろう。前述のドイツ基本法は各種の事態を基本法(憲法)自体で詳細に区分けして定めており、重要事項を法律に丸投げする「改正草案」とは対照的である。

3 緊急事態宣言の要件・手続――閣議と国会承認

「改正草案」では緊急事態宣言を内閣総理大臣が行う際、「閣議にかけて」が要件となる。内閣法には、行政各部の指揮監督の規定(6条)と主任大臣間の権限裁定の規定(7条)にこの文言がある。指揮監督権についても、「閣議にかけて決定した方針に基づいて」という文言がある。個別の法律においては、「閣議にかけて」という文言は、各種の対策本部の設置に関連して用いられている(武力攻撃事態法、原子力災害対策特措法、大規模地震対策特措法、災害対策基本法)。「改正草案」の緊急事態条項に類似する規定としては、唯一、災害対策基本法における「災害緊急事態」の布告(105条以下)のなかに、地震災害に関する緊急宣言を発する要件として規定されている。

だが、「閣議にかけて」という文言は、合議体としての内閣の決定の要請とは明らかに区別されており、行政権の主体としての内閣ではなく、内閣総理大臣の権限に依存することを示唆する。慣行として全会一致が原則の閣議決定を必要とせず、場合によっては国会の事前承認も不要なまま、内閣総理大臣の判断だけで宣言を認めることは、緊急事態の専断的認定になりかねない。決定の迅速性の要請があると言っても、常に閣議決定を必要としないことの理由にはならない。閣議決定を不要とすることは、内閣の機能停止を意味することになり、内閣の内部での自律的な権力抑制の作用が働かなくなる。ドイツが緊急事態の認定をギリギリまで議会に委ねたのとは大きな違いである。

宣言等に対する国会の事前・事後の承認についても、「法律の定めるところ」に丸投げされている。事前はもちろん、事後であっても何日(場合によっては何時間)前、あるいは後ということを定めていないのは、緊急事態条項全体に通底する、時間的限定に対する自覚のなさを象徴している。例えば、国会承認において両院の議決が異なる場合の衆議院の優越について、5日間という期間の規定がなされている一方で、承認までの期限の規定がないのはバランスを欠く。そもそも、衆議院の優越における日数の問題は、議決までのタイムリミットとの関係で意味を持ってくるのである(例えば、予算における30日という日数は、通常国会の開会が通例1月中旬以降であり、会計年度が4月1日開始であるため、事実上60日前後の時間が予算検討にあてられるからこそ意味を持つ)。国会が不承認や宣言の解除の議決を行った場合に、「法律の定めるところ」により宣言を解除するという規定は、国権の最高機関たる国会の判断を、内閣が意図的に先延ばしすることも可能にしている。

4 「特別政令」の制定権――立法権の簒奪?

大日本帝国憲法8条は「法律ニ代ルヘキ勅令」を定めていた。緊急勅令である。「改正草案」は、戦前日本における緊急勅令の歴史的教訓を踏まえたものとは到底言えない。「Q&A」は、通常の政令以上の効力を持つ「緊急政令」が、災害緊急事態の布告に伴う緊急措置として認められていると書いている(災対基本法109条)。だが、これは国会が閉会中であるなど、立法府の判断が直ちに期待できない場合を想定したものである。また、必要な措置に限って制定されるもので、決して「法律と同一の効力」を持つものではない。対象事項も限定列挙の形をとり、厳しく制限されている。それゆえ、「改正草案」99条1項の「政令」に関しては、右の「緊急政令」と区別して、以下、「特別政令」と呼ぶことにしたい。

特別政令は、国会の事後の承認を受けるが、緊急事態宣言と同様、期限の規定がない(99条2項)。現行憲法で「国会の承認」という文言は条約の承認に関して用いられているが、内閣の権限として憲法上認められている条約の締結と、「法律と同一の効力を有する」特別政令の制定とは性格が異なる。加えて、承認の可否が明らかになる以前の特別政令の効力や、事後に不承認にされた特別政令に基づく処分等の効力についても定めを欠く。特別政令は、国会の事後承認を待たずに効力を発揮し、承認も通常議案の可決のための手続を省略することを想定しているようにも見えるが、これは重大な問題をはらむ。

特別政令が「法律と同一の効力」を持つということは、「改正草案」の緊急事態条項が多用する「法律の定めるところ」の法律もまた、この特別政令によって改正され得るのではないかという疑念を払拭しきれないからである。特別政令によって改正されうる事項の制限が規定されていないため、いったん緊急事態の宣言が発せられれば、内閣(総理大臣)による濫用的な法改正が、「法律と同一の効力を有する」特別政令によって可能となる。緊急事態の定義の曖昧さと相まって、政府による立法権の簒奪も起こり得る。

5 「基本的人権の尊重」――武力攻撃事態法のコピペ?

99条3項には緊急事態下で「尊重」されるべき人権が列挙されている。だが、自民党の「Q&A」にもある通り、この文言自体は、武力攻撃事態法の引き写しである。法律のなかで人権への配慮を求めている規定と同一の文言を、その人権を保障する憲法の条文のなかにそのまま転写(コピペ)する神経は相当なものである。例えば、令状による捜索と押収を求める憲法35条(「改正草案」もほぼ同趣旨)に、「捜索又は押収にあたっては、財産権やプライバシーの保障を最大限尊重しなければならない」といった文言が挿入されることはあり得ない。憲法は人権保障の規範であり、個別の条項が念を押すまでもなく、第3章に定められる各種の人権の保障は、権力の行使に当たって当然に「最大限に配慮」されなければならないからである。武力攻撃事態法における「配慮」規定を、憲法そのものに転写(コピペ)し、それで人権保障に配慮したかのような体裁を取り繕う「改正草案」のこの部分には、人権保障や立憲主義に対する無理解と無自覚が最も鮮明にあらわれていると言えよう。

6 緊急事態宣言の効果――時間的限定と両院関係

緊急事態宣言の効果の継続は、100日を超えるごとに国会による事前承認を要件としている(99条4項)。権力の抑制原理という点からは、時間的な効力の限定は重要な意味をもつ。緊急事態宣言が発せられる以前の「通常状態」と「緊急事態」との区別を明確化することに、どこの国の憲法も苦慮してきた。ドイツ基本法には、連邦議会が緊急事態の終了を「いつでも」宣言できる規定がある(115l条)。なお、制定当時野党だった自由民主党(FDP) の草案には、緊急事態が新たに更新されないときは4週間で失効するという、「通常状態」への自動復帰の提案が含まれていたことを付記しておこう(前掲・水島編著93頁)。日本の自由民主党には、その自覚も見識もないようである。

両院関係の齟齬や未調整も随所に見られる。「改正草案」第4章が現行憲法の二院制の枠組みをほぼそのまま維持しているのに、緊急事態の宣言と継続の承認において衆議院の優越を認めるとともに、解散の禁止と任期、それに選挙期日の特例を定めることによって(99条4項)、参議院の緊急集会を実質上、無意味化している。両院関係では、予算に関する衆議院の優越の規定を「準用」し、一院(衆議院)だけの決定(通常多数決)によって承認を可能にする一方、緊急事態の宣言の解除について両院の議決を必要としている。権利制限などを伴う緊急事態の宣言と継続が、その解除と要件が異なるのはなぜなのか。規制権限の授権が、その解除よりも「軽く」できるのは、迅速性を過度に重視する姿勢のあらわれだろうか。また、緊急事態の解除に関わる議決が、両院において異なった場合、具体的にどのような解決がはかられるのかも不明確である。

7 司法的統制の不在――裁判所も機能停止?

緊急事態における司法権のあり方について全く言及がないのも致命的である。各国の憲法では、緊急事態においても裁判所の機能が確保されている。ドイツ基本法は、明文で連邦憲法裁判所の任務と地位が緊急事態においても維持されると規定し、フランスにおいては、非常措置権の発動や具体的措置に関して、憲法院に対する諮問が定められている。もちろん、「改正草案」が実現した場合でも、特別政令に対する司法審査の可能性は一般に否定されてはいないが、具体的な事件を通じて特別政令を問題とすることは訴訟上難しく、司法的統制の実効性は低いものにならざるを得ない。

三 むすびにかえて

以上、自民党の「改正草案」第9章について、そこに含まれる問題点を検討してきた。その結果、「改正草案」の緊急事態条項は、もし実現するようなことがあれば、内閣(総理大臣)が「何でもできるようになる」ことを授権するための条項として機能する可能性が高いことが分かった。内閣総理大臣への過度の権限集中など、先行する各種の「憲法改正試案」などと比べても、「改正草案」は突出した専断性を有しているからである。条文の設計が、既存の法律を無批判に、ときに大雑把、乱暴に転写したものになっている点も、憲法と法律の根本的な差異に無自覚な、「改正草案」の危うさを示している。それは、憲法は権力を制限する規範であるという近代の(そして近時では国際的な共通理解としての)立憲主義の大前提を無視したまま(あるいは、知らないまま!)、日本国憲法を、国民が「尊重」しなければならない規範、権力の発動要件を定めたルールへと変質させようとする、「改正草案」全体に通底する問題性とも重なってくる。

憲法の緊急事態条項に、改めて人権の「最大限の尊重」を求める規定を挿入するという「愚挙」を目にしたとき、この一事をもってしても、「改正草案」において想定されている「憲法」が単なる重要な法律に類するものに過ぎないという壮大な勘違いに気づかない人々が権力を担い、憲法を改正しようとしていることに慄然たる思いがする。この緊急事態条項を含む自民党「改正草案」は、決して実現されることなく、そのまま歴史の博物館に寄贈することが、その最良の活(生)かし方ではないだろうか。

なお、筆者は、日本国憲法の徹底した平和主義の観点から、憲法9条の大幅改変と連動して(本書第4章・青井論文参照)、軍事装置に強大な権限を与えるような緊急事態条項には反対であり、「改正草案」はそれだけで検討に値しないのだが、本稿では、こうした外在的批判はひとまず措いて、仮にそれを条文化した場合、立憲主義の観点からどのような問題が生じうるかを内在的に明らかにすることに主眼を置いたことをお断りしておきたい。

(奥平康弘・愛敬浩二・青井未帆編『改憲の何が問題なのか』岩波書店、2013年、U5[185-198頁]所収)
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