「駆け付け警護」――ドイツに周回遅れの「戦死のリアル」
2016年10月17日

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倍首相は自衛隊の「最高の指揮監督権」をもつ(自衛隊法7条)。「私が最高責任者」だとことさらアピールしなくても、自衛隊の場合は最高指揮官の命令で生死が決まる。その「お友だち」の未熟な政治家が防衛大臣になった。安倍首相が憲法違反の声を押し切って成立させた安保関連法の施行により、まずは、南スーダンPKO(国際連合スーダン・ミッション:UNMIS)に11月から派遣される陸自派遣施設隊第11次隊に、「駆け付け警護」の新任務が付与されるかどうか。

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周回遅れでドイツを追う日本。これまで「自衛隊殉職隊員追悼式」で遺族に渡されてきたメダルの材質や構図を変える必要性が出てきたのだろうか。ドイツに続き、日本でも、現実に「戦死者」を出す可能性がすぐそこまで来ている。

8月上旬、ドイツ東部ドレスデンにある連邦軍軍事史博物館を訪れた。どこまでも兵器にこだわるのなら、南西ドイツのコブレンツにある軍事技術研究蒐集館のえげつない展示がおすすめだが、ドレスデンの博物館は建物や展示の仕方に妙なポストモダーン的こだわりがあって、それが評価の分かれ目だろう。私の印象に残った展示は、アフガニスタン治安支援部隊(ISAF)で活動中、タリバンに攻撃されて破壊された軍用車両「ヴォルフ」の実物だった(屋外にもISAFに参加した車両が展示されている)。これに乗っていた軍人を含めて、14年間に56人がアフガニスタン派遣で命を落とした。長らく「復興支援活動中の殉職」とされていたが、2008年10月24日に、連邦国防大臣が初めて「“戦死した”軍人」(“gefallene”Soldaten)という言葉を使った。以後、アフガンでの「戦死者」(Gefallener)という表現が一般にも普及していく。

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「戦死」のリアリティが増すにつれて、コブレンツにある陸軍戦没者慰霊碑が改めて注目されている。慰霊碑のプレート(写真)によれば、1972年10月に創設され、連邦陸軍が管理しているが、第1次世界大戦で陸軍200万第2次世界大戦で同350万と、長らく過去のことだった「戦死者」が、92年以来の「外国出動」の活発化(特に2001年のアフガニスタン戦争以降)により現実の問題となってきた。

2009年9月にはアフガンにおいて、ドイツ軍大佐の命令による航空攻撃により、142人の民間人(子ども)が死亡する「クンドゥス事件」が起きている。殺し、殺される関係性のなかで、それを象徴する衝撃的な「グッズ」が、ボンの歴史博物館の特別展示のなかにあった。「明日から戦友――統一の軍隊」(写真)。冷戦時代は正面から対峙していた旧東の国家人民軍(NVA)と西の連邦軍が「統一の軍隊」となる過程とその現在がテーマだが、そこに、他の軍事博物館にはなかった「標的」の実物がある。交戦規則(ROE)に基づいて、射撃する相手を瞬時に見分ける。その訓練で実際に使用したもので、冒頭の写真がそれである。左のブルーの標的は銃を携行しているので、5.56ミリ小銃弾がたくさん命中している。他方、右の赤い標的は民間人にもかかわらず、少なくとも12発は命中している。武器を持たない民間人を殺害する可能性をここまでリアルに示した展示は珍しい。

現在、南スーダンに派遣されている陸上自衛隊派遣施設隊の第10次隊は北部方面隊第7師団(東千歳)基幹の350人だが、第11次隊は東北方面隊第9師団第5普通科連隊(青森)基幹となる。この新任務が付与されると、これまでの活動とは質が変わる。イラクの自衛隊派遣では、「非戦闘地域」とはいえないバグダッド空港への空自輸送隊による米軍の人員・物資輸送という実質的な米軍協力が行われた一方で、陸自はひたすらサマーワの宿営地に引きこもって「」に徹したことと、現地武装勢力が自衛隊に対して微妙な「手加減」を加えたことによって、「死者ゼロ」で活動を終えることができた(直言「イラクで死者ゼロの理由――国防軍でなかったからこそ(1)」)。しかし、安保関連法施行による新たなミッションの付与により、自衛隊を「外征軍」仕様に変容させていく方向がさらに進むだろう。

10月11日の参院予算委員会では、この7月に南スーダンの首都ジュバ近郊で、政府軍と反政府武装勢力との間で大規模な戦闘があり、数百人が死亡した問題が取り上げられた。稲田朋美防衛大臣は「法的な意味の戦闘行為ではなく、衝突」であると答弁した。野党は、現地の治安状況は、PKO参加5原則上疑問があると追及した。いわゆるPKO参加5原則とは、①紛争当事者間での停戦合意の成立、②自衛隊の活動に対する紛争当事者の受け入れ同意、③中立的立場の厳守、④上記原則のいずれかが満たされない場合の部隊の撤収、⑤武器使用は要員の生命等防護のための必要最小限のもの、である。今回の安保関連法施行により、「駆け付け警護」と「任務遂行射撃」実施にあたっては、国連PKO等の活動が行われる地域の属する国等の受け入れ同意について、「当該業務等が行われる期間を通じた安定的維持」が要件とされた。だが、現地の状況はおよそ安定的とはいいがたく、国会の質疑では、ひたすら「戦闘行為」ではなく「衝突」であるという答弁が繰り返された(『朝日新聞』2016年10月12日付)。

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10月8日に稲田防衛大臣は南スーダンの首都ジュバを訪れ、自衛隊の部隊などを訪問した。防弾車両に乗った移動で、滞在時間はわずか7時間。報道関係者の同行も4人という「代表取材」だった(『毎日新聞』10月10日付)。 TBS「報道特集」(10月15日放送)が「南スーダンの現実と自衛隊」について放送したなかで、自衛隊の部隊の訪問時の映像が流れた。隊長の一陸佐が「反政府側の兵士もPoC(国連の避難民施設)に逃げ込み、それに対してSPLA(政府軍)が反撃したというが起きた」と説明していた。政府軍兵士による国連NGOに対する殺害、レイプ、略奪が行われており、自衛隊は南スーダン政府軍という「国および国に準ずる組織」を相手にする可能性がある

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「戦闘」「戦闘行為」「武力衝突」。なぜこういう区別をする必要があるのか。「海外派兵」は違憲だが、「海外派遣」は合憲、海外における「武力行使」は違憲だが、「武器使用」は合憲・・・等々のこれまでのレトリックの連鎖のなかで、今回は「戦闘」と「戦闘行為」の区別にこだわっているわけである。「戦闘」に至らない規模のものを「戦闘行為」としてとらえる。「戦闘」>「戦闘行為」>「衝突」という関係である。これは、大規模な「戦闘」は終了しているから、一部で「散発的な戦闘行為」が発生していたとしても、自衛隊はそこで活動することができるという結論に導くための操作といえる。イラク特措法の審議の時も、「非戦闘地域」とは「戦闘行為」がない地域のことではなかった。

今回、稲田大臣が「戦闘行為」という言葉にこだわり、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷しまたは物を破壊する行為」とそれを定義している。これは従来の政府見解の線に沿ったものだが、政府見解では、「国際的な武力紛争」の担い手となりうる勢力を、「国家又は国家に準ずる組織」と定義している。「駆け付け警護」に伴う武器使用を実施した場合、自己保存型の武器使用とは異なり、命令による一斉射撃など、憲法9条が禁止する「武力行使」に該当するおそれがあることは従来からの政府見解の枠組みだった。そこで、「駆け付け警護」時の相手をことさらに「国家又は国家に準ずる組織」ではないというふうに絞り込んで、「駆け付け警護」に伴う武器使用が違憲ではないと主張しようとするわけである。戦闘規模の大小ではなく、相手を「国家又は国家に準ずる組織」ではないと認定すれば、武器使用は違憲ではなくなるという論法である(詳しくは、軍事問題研究会〔桜井宏之代表〕「ニュースの背景」10月13日号参照)。

すでに自衛隊が派遣されている南スーダンPKOそれ自体が全紛争当事者の同意を要しない「第4世代PKO」となっており、これに同意しない「スポイラー」による和平プロセスや国連活動への妨害が懸念されており、「駆け付け警護」は、その「スポイラー」に対する武器使用ということになる。「今後、南スーダンでの武力衝突が拡大しても、現地に留まり、駆け付け警護にも対処するには、スポイラーを「国家又は国家に準ずる組織」に該当しない者(単なる犯罪集団)と見なす必要がある。そのためには武力衝突はあくまで「戦闘行為」ではないという政府見解を堅持せざるを得ない。防衛相が「戦闘行為」という言葉にこだわる背景には、こうした事情が存在するのである」(前掲「ニュースの背景」)と。この指摘は重要である。

ライブ講義

安保関連法が施行されたが、あれだけ議論が沸騰した集団的自衛権行使の問題ではなく、遠いアフリカの内戦へのコミットの問題がなぜ前面に出てきたのか。「お試し改憲」と同様、まずは「枝葉」のところから着実に武器使用の「実績」を作っていく。その「はじめの一歩」ではないか。はるか遠方の地では、二歩か三歩かはよく見えない。それに便乗して軍のとしての権限を実質的に拡大していく。南スーダンはまさに「巻き込まれる」上での適地ということになる。

「駆け込み警護」と「任務遂行射撃」の問題については、拙著『ライブ講義 徹底分析! 集団的自衛権』(岩波書店、2015年)で論じてあるので参照されたい(161-168頁)。そのなかで、「駆け込み警護」について次のように指摘した。「・・・第一次イラク復興業務支援隊長を務めた佐藤正久自民党参院議員は、「情報収集の名目で現場に駆けつけ、」、「日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろう」と語りました。これは、まさに「独断越境」の「関東軍的発想」そのものではないでしょうか」(165頁)。

1999年4月にカッセル大学のシンポジウムでお会いしたW・ナハトバイ連邦議会議員(みどりの党の安全保障エキスパート)は、昨年12月のNHKスペシャル「自衛隊はどう変わるのか――安保法施行まで3カ月」に出演して、苦渋に満ちた表情で、「一国の判断で撤退することのむずかしさを痛感している。アフガニスタンを巡りさまざまな利害や思惑が絡んでいることを十分に認識すべきでした。私たちは楽観的すぎたのです」と語っていた。箍(たが)がはずれた首相と、国会審議で自分の言葉で答弁できず、追及されるとすぐに涙ぐむ防衛大臣のもとで、人の生死にかかわる決定がなされようとしている。

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