「立憲主義からの逃走」――ドイツとトルコの大統領
2017年4月17日

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4月15日に福岡市で講演した。テーマは「「立憲主義からの逃走」の時代――日本国憲法施行70年に問う」。会場で、90歳になられた石村善治先生(福岡大学名誉教授)と再会し、懇親会を含めて長時間お話することができた。先生には特別の恩がある。私が26歳の時に書いた論文「西ドイツ緊急事態法制の展開――70年代の「対内的安全」を中心にして」『法律時報』51巻10号(1979年9月)の現地取材を兼ねて、1979年10月から11月までドイツに滞在した。その間、60年代から緊急事態法に反対する論陣をはった数少ない憲法学者の一人であるヘルムート・リッダー(Helmut Ridder)ギーセン大学教授を訪れる計画をたてた。1978年の学会のおりに石村先生に初めてご挨拶したとき、先生がかつてリッダー教授のもとで研究されていたことをうかがっていたので、推薦状を書いていただいたのである。私はそれを持参してドイツに向かった。

リッダー教授

つい先程、自宅書庫の奥に眠っていた当時の「ドイツ旅行メモ」を出してきて、1979年11月5日(月)のところを開いた。その日、10時51分にフランクフルトからギーセンに列車で着いて、石村先生に教えられた住所を探すが、なかなか見つからない。教授に電話をすると、その住所は郊外の自宅であることがわかった。教授は太い声で研究室の住所、「Hein-Heckroth-Straße 5」というので、それを頭にたたきこみ、タクシーで向かう。この住所は、教授の声とともに、38年間ずっと頭に残っている。

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研究室は2階建てのHausで、メモによると、「13時の約束時間にタクシーでぴったしセーフ。ヒヤヒヤした。Prof.Ridderは、想像と声とは全くちがう、石村善治氏に似たこうこうや(60歳、1919年生まれ)。こちらの論文の趣旨をうなずきながらきいてくれた。DuRの編集部もかねているとのこと。研究室には4人の人が勤務していた」とある。2階の全フロアを使っていて、一番右の部屋が教授室、真ん中が秘書の部屋、その奥が助手室だった。ドアには「民主主義と法」(Demokratie und Recht)という緑色の大きなポスターが貼られていた。当時教授はその法律雑誌の編集委員代表をやっていたことは知っていた。部屋にいた女性秘書と背の高い男性を紹介された。この2人のことは後述する。

当時、ドイツの批判的法学のなかでは、この「民主主義と法」派と、U. K. Preuß教授らの「批判的司法」(Kritische Justiz)派があった。私は当時、両誌とも私費で定期購読していた(前者はドイツ統一後しばらくして停刊)。メモを見ると、私が教授に、この2つの雑誌の性格や、それぞれの論客たちの対立点についていろいろ質問して、教授がそれに答えたメモが2頁にわたって続いていた。研究室を出るとき、最近出版されたという『「たたかう民主制」のイデオロギーについて』(1979年)という小冊子にサインをしたものを頂戴した(写真参照)。以下、メモの概要。・・・ちょうど雨が降ってきたので、教授自ら運転して駅まで送ってくれた。駅のカフェで大きなケーキを二つも注文してくれて、私はもてあましながら全部食べた。彼の有能な弟子たち(Ingeborg Maus、Hans Copic、Martin Kutschaなど)の名前を並べると、「よく読んでいるね」と関心を示しながら、もうすぐ自分についての記念論文集が出るとうれしそうだった、とある。

私の訪問の2年後、還暦記念論文集がDieter Deiseroth, Friedhelm Hase, Karl-Heinz Ladeur (Hrsg.), Ordnungsmacht? Über das Verhältnis von Legalität, Konsens und Herrschaft: Festschrift für Helmut Ridder zum 60. Geburtstag. 1981として、また10年後に古稀記念論文集が、Ekkehart Stein, Heiko Faber (Hrsg.), Auf einem dritten Weg: Festschrift für Helmut Ridder zum siebzigsten Geburtstag, 1989として出版されている。

さて、前述したように、リッダー教授から2階の研究室で女性秘書とバイトの学生を紹介された。この秘書は私と同年齢で、当時26歳のブリギッテ・ツィプリース(Brigitte Zypries)だった。翌年彼女は国家試験に受かり、隣の部屋で85年まで助手として勤務した。後にドイツ社会民主党(SPD)の政治家となる。2002年から2009年まで、シュレーダー内閣(SPDと緑の党の連立政権)とメルケル内閣(大連立政権)で法務大臣を務めた。現在の第3次メルケル内閣では、経済・エネルギー大臣を務めている。一方、背の高い男性の方は、「民主主義と法」誌の編集のアルバイトをしていた学生、フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー(Frank-Walter Steinmeier)だった。私より3歳年下だった。その後彼も国家試験に受かり、リッダー教授の定年退職後も助手として勤務。1991年に博士号を取得している。その後、SPDの政治家となり、1999年にシュレーダー内閣の連邦首相府長官、2005年からメルケル内閣の外務大臣を務めてきた。リッダー教授が2007年4月15日に88歳で死去すると、2010年にリッダー教授の全作品を収録した分厚い著作集(Dieter Deiseroth, Peter Derleder, Christoph Koch, Frank-Walter Steinmeier(Hrsg.), Gesammelte Schriften, 2010)〔カタログPDFファイル〕に、批判的法学者や反核運動の中心メンバーの法律家(元連邦行政裁判所裁判官)とともに共同編者として関わっている。

ちなみに、8年前に書いた直言「ドイツ基本法60周年に寄せて」をご覧ください。その一番下の8行の文章のなかで、シュタインマイヤー氏がリッダー学派であることが書かれている。

ここまでギーセン大学の憲法学者とその弟子たちについて書いてきたのはほかでもない。2017年2月12日、このシュタインマイヤー氏が第12代の連邦大統領に選出され、3月19日からその地位にあるからである。ギーセンの地元紙は彼が大統領候補になった時点で、そのギーセン時代について記事にしている(Gießener Allgemeine Zeitung vom 14.11.2016)。そのなかで、私が訪れた頃にリッダー研究室でバイトをしていたこと、3つ年上のツィプリース(経済・エネルギー大臣)が秘書をしていたこと、そして、彼がそこで出会った法学部の女子学生と結婚し、それが現夫人であることなどが書かれている。この記事で私が驚いたのは、研究室の住所(Hein-Heckroth-Straße 5)である。道に迷って、必死に公衆電話から教授に住所を聞いたので、番地まで頭にたたき込まれている。9年前の「直言」の末尾を再度ご覧ください

激動のヨーロッパのなかで、ドイツの位置と役割がますます重要になっている。そのときに国家元首となったのが、1968年に憲法(基本法)に緊急事態条項を導入するのに徹底的に反対した数少ない憲法学者の一人だったリッダー教授(直言「ドイツ基本法の緊急事態条項の「秘密」」)の弟子だということである。もちろん、私の場合もそうだが、指導教授と弟子は学問的な方法論についても、さまざまな問題についての評価においても決して同じではなく、対立することもある。独立した研究者である以上当然だろう。リッダーの弟子だったシュタインマイヤーも、その博士論文はホームレスの問題で、社会国家的分野である。師匠が取り組んだ緊急事態法や政治刑法などの微妙な問題について言及はない(集会の自由についてのコンメンタールには参加)。

彼は、ドイツ連邦軍の海外派遣が始まった頃、首相府長官として対テロ戦争への対応などを仕切った。左派系からは批判されたが、「実行力あるプラグマティスト」「現実主義者」という評価は定着したようである。基本的にドイツの対外政策はぶれることはなかった。師匠の徹底した批判的スタンスを忘れていなかったからこそ、そうした舵取りができたのではないか。だから、2010年に現職の閣僚の立場で、リッダー全著作集の編者を引き受けたのだろう。ご自身に「リッダー学派」の憲法研究者というアイデンティティがあるということである。これは、今後のヨーロッパと世界にとって、また日本との関係においてもプラスの効果が出てくるのではないか。事実、トランプ政権のイスラム政策などに対して、大統領選出前の段階だが、かなり批判的なコメントを出していた。連邦大統領は、ヴァイマル憲法により強大な権限を与えられたライヒ大統領に対する反省から、国民統合の象徴、儀礼的な役割を果たす存在となった(直言「大統領の抵抗」)。それでも、重要な行事における演説、外国訪問における他国との関係で発せられる言葉は関心をよぶ。ドイツの現大統領が、立憲国家(立憲主義)に確固たる軸足を置く、進歩派のリッダー学派に属する憲法研究者であったことはほとんど知られていない。周辺諸国において、「立憲主義からの逃走」が目立ち始めるなかで、シュタインマイヤー大統領の今後の言動が注目される所以である。

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さて、このようなドイツ連邦大統領とは正反対の、強大な権限をもった独裁的大統領が今日(4月17日)誕生した。トルコのエルドアン大統領である。昨日(16日)、大統領の地位と権限を強化することの是非をめぐる憲法改正国民投票が行われた。憲法改正に賛成51.41%、反対48.59%となり、改憲が過半数となり、エルドアン大統領は勝利宣言を行った。改憲内容は、(1)首相のポストを廃止し、行政府のトップを直接選挙による大統領とする、(2)大統領の副大統領および閣僚の任命・罷免権(議会の同意不要)、(3)法律に代わる大統領命令の発布権、(4)大統領の政党所属が可能、(5)大統領の予算編成権と議会解散権、(6)司法府の人事権などである。大統領への権限集中はかつてない規模と内容になっている。戦後ドイツの基本法では、大統領権限を換骨奪胎して、象徴的な大統領制にしたのに対して、トルコではヴァイマル憲法の大統領(大統領内閣制)以上のフル装備の「独裁」への歴史的逆走と言えるかもしれない。さらに、改正案には大統領任期を2期10年延長することも含まれている。エルドアン大統領の任期は最長で2029年までということになる。エルドアンは死刑復活を主張しているので、EU加盟を狙って死刑を廃止したトルコが、死刑の再導入することが確定的となった。昨年7月15日の「クーデター未遂事件」(この「ドイツでの直言」の最後の付記参照)を奇禍とするエルドアンの「逆クーデター」(独裁)の「事後的正当化」といえよう。ただ、憲法改正に半数近くの国民が反対しており、ドイツ紙には、「エルドアンにとってのピュロスの勝利〔採算のとれない勝利〕」(Frankfurter Rundschau vom 17.4.2017)とか、「トルコ共和国の死」(Die Zeit vom 17.4.2017)とか、「この勝利はエルドアンの敗北である」「エルドアン時代の終わりの始まり」(Die Welt vom 17.4.)といった評論も掲載され、今後の展開は予断を許さない。

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とはいえ、この3月に自民党規約を改正して、自らの任期を3期12年に延長した安倍晋三首相とエルドアン大統領は気持ちが悪いくらいに気が合う。2014年は、エルドアンと「8カ月の間に3回も」会談している。異様な頻度である。憲法改正への異様なこだわりと、自らのための任期延長という厚顔さ、反対派をことごとく排除する強権的政治手法、これまで両国の政治指導者がさすがに踏み込まなかった分野への人事介入(裁判官、メディア、大学)、とりわけ憲法改正で権威主義的統治を強化するという仕方も、程度の差こそあれ、そっくりである。安倍的改憲の前哨戦として、トルコの憲法改正国民投票には要注意である。

先週末の福岡講演から帰ったばかりなので、トルコの憲法改正国民投票についての分析をここでは十分に行うことはできない。そのかわり、今年1月に共同通信配信で全国の地方紙(ブロック紙と県紙)に配信された拙稿「立憲主義からの逃走」をここに掲載しておこう。掲載紙のすべてを確認できなかったが、掲載が判明した紙名を末尾に列挙した。

最後に、福岡講演の際、冒頭の主催者挨拶に立った石村先生は、『法と情報――石村善治先生古稀記念論集』(信山社、1997年)を手に掲げ、そこに収録された拙稿「ドイツにおける軍人の参加権――「代表委員」制度を中心に」にも言及しながら講師紹介をされた。この論文集には、ドイツからリッダー教授も、「プレスの内部的自由」にも触れる論文“Beobachtungen und Erwägungen eines deutschen Juristen beim Streifzug durch ein "weites Feld"”を寄稿していることを記しておきたい。

「立憲主義からの逃走」――2017年の予兆

2016年3月から半年間、在外研究のためドイツ・ボンに滞在した。英国のEU離脱(Blexit)、テロ事件、難民問題など、激動のヨーロッパを肌で感じた。1961年から28年間存続した「ベルリンの壁」が崩壊して、「ボーダーレス」「グローバル化」が急激に進んだが、それが27年続いたところで、「メキシコ国境に壁を築く」という米合衆国大統領が誕生した。「壁」思考の再来である。孤立主義と異質な他者の排除を両輪として、21世紀における「家産国家」や「人治主義」の復活の兆しさえある。

『永遠のファシズム』の著者ウンベルト・エーコの「ファシズム・テスト」でトランプを診ると、ファシズムの14標識のうち、「知的世界への不信」や人種主義など8つがあてはまるという(『シュピーゲル』誌2016年47号)。世界史的に見れば、トランプ新政権の誕生はまさしく歴史反動であり、とりわけ人権保障と権力分立を基軸とする立憲主義に対する挑戦となるだろう。ドイツのメルケル首相は当選直後の電話会談で、「ドイツと米国は、民主主義、自由、法と人間の尊厳の尊重――出自、肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的立場にかかわりなく――という共通の価値によって結びつけられている」として、「こうした価値を基礎として密接な協力をしていく」と述べた。これは、ヒスパニック系住民や黒人、イスラム教徒、女性、性的マイノリティなどへの激しい差別的言動を展開するトランプ新大統領への見事な苦言であり、牽制といえるだろう。

いま世界中で右翼ポピュリズム政権が増殖中である。すでにEU諸国ではハンガリー、ポーランドなど6カ国。昨年12月にオーストリアではかろうじて阻止されたが、今年3月のオランダ総選挙、5月のフランス大統領選挙、9月のドイツ総選挙で極右の躍進が予測されている。難民やイスラム教徒の排斥、プレビシット(直接民主制)の強化、伝統的家族の復権などが共通して主張されているが、立憲主義への嫌悪も共通して確認できる。

思えば、90年代東欧における「立憲主義のルネッサンス」と呼ばれる現象の中心には、違憲審査制ないし憲法裁判所への関心の高まりがあった。ドイツの連邦憲法裁判所が重要なモデルとなり、基本権侵害の救済手段たる憲法異議の制度も東・中欧諸国(旧社会主義国)に継受されていった。だが、近年ハンガリーでは「立憲主義からの逆走」が起きている。4年間で18回も憲法改正が繰り返され、「違憲の法律の憲法化」も進んでいる。「基本法」という名の新憲法まで制定され、政府の意のままに憲法が操作されている。憲法裁判所の弱体化も著しい。「スピーディな政権運営」にとって、立憲主義の仕組みはいずこにおいても不都合な存在となっている。

2017年5月、日本国憲法は施行70年を迎える。環境保全や緊急事態条項などから始まった「お試し改憲」路線は、天皇譲位や参議院の議員定数不均衡問題(合区)まで持ち出して、何でもよいからとにかく憲法を変えるという没論理の世界に飛翔している。この国でもまた、「立憲主義からの逃走」が始まってしまうのだろうか。

(2016年12月14日稿)
○共同通信文化部配信。掲載紙の例:『琉球新報』2017年1月3日付、『神奈川新聞』同、『愛媛新聞』1月5日付、『南日本新聞』(鹿児島)同、『山梨日日新聞』1月6日付、『新潟日報』同、『千葉日報』1月7日付、『埼玉新聞』1月9日付、『長崎新聞』1月10日付、『京都新聞』同、『中国新聞』(広島)同、『秋田魁新報』同、『沖縄タイムス』同、『佐賀新聞』同、『信濃毎日新聞』1月12日付、『日本海新聞』(鳥取)1月13日付、『徳島新聞』1月14日付、『山陽新聞』(岡山)1月18日付など。
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